水琴窟 24

   水琴窟 24 
 問、慈悲と智慧の問題
答 北森嘉蔵と言う学者に『神の痛みの神学』という著書があります。敗戦後の占領軍が日本を統治して居た頃に、この本は書かれたもので、当時の厳しい検閲の中ではとても出版は許されないと思い、ガリ版で一部に人に読んでもらえればよいと思って書いたと云うのです。所が出版社が印刷して仕舞って世に出る事になったのだそうです。
 この本が、大変有名になり、北森氏の代表作となりました。後に此の本を読んで、対談の時、曽我量深先生が、『仏教の慈悲と言う事も、貴方が言われるような悲と言う事に徹しなければ本当のものに成らないでしょう』と言われたと云うのです。さらに『自分はもう三〇年も前からこれを想い続けている』と言われたのです。それを聞いて、北森氏は大きなショックを受けられた言います。
 元々、北森氏は、昭和六年に出版された金子大栄師の『日本仏教史観』の中の維摩経義疏の言葉『衆生の実病は痴愛に因りて生じ、菩薩の応病は大悲を以て起こる』と言う文章に出会って、自分の神学を明らかにする当たって、仏教者の言葉の中にそう言う問題が提起されていたと云う驚きをもっていたと云うのです。
 これは、日本人である北森氏の深層意識の中に、無意識の儘に、仏教の思想が生きていて、こういう発想が生まれたのではないかと思われるのですが、仏教の慈悲と言う言葉の中に、唯『慈しむ』と云うだけでは終わらないものがあるようです。
 北森氏の『神の痛みの神学』には、『愛の宗教』と言われているキリスト教の伝承の中に、もう一つしっくりいかぬものを感じていたと言う問題提起が有るのです。
 旧約聖書を拠り所とするユダヤ教と、新約聖書を作りだしたキリスト教との相違点は、ユダヤ教の『神の怒り、峻別』と言った厳しさを、キリスト教は、『愛の宗教』の中に解消していく傾向が見られる訳です。その結果、ユダヤ教の偏狭性を破って、キリスト教の寛容性、弘さと優しさを持つものにしていったのです。所が其処に又問題が出てきます。 夫々の時代の中で、世俗的なものの中に埋没するのです、これはキリスト教だけの問題ではありません。仏教も同じですが、人間主義に転落したり、全てを許すと云う恩寵主義に埋没したり、中々厄介なものです。北森氏もその様なキリスト教団の問題と取り組んで来られたのであります。
 維摩経では、釈尊の多くの弟子たちが、維摩を見舞に行って、皆、維摩の為に打ち負かされてしまうのですが、最後に文殊菩薩が登場して、目出度く収まる訳です。文殊は智慧の持ち主です。此の問題の解決には、智慧が必須の条件なのでありましょう。
 智慧の無い慈悲は、痴愛に溺れます。慈悲を欠いた智慧は、裁きに終始します。慈悲と智慧が両立しこそ、真の救いが成り立つのです。
 話は簡単ですが実際にどう取り組むのかと云う事に成ると、簡単ではありません。此の知恵と慈悲の問題と取り組んできたところに、仏教の歴史的展開が有るのでしょう。  
 法然上人の浄土宗の宣言は、天台宗の傘下にあった念仏を、浄土宗として独立させたのだと言われています。何故浄土宗の独立が、八宗同心の訴訟にまで発展したのでしょうか。
 其処には、従来の佛教を根底から揺るがす問題を孕んで居たのです。従来の佛教は、真言・天台を中心に、自力の修行によって智慧を極めて成仏すると云うのが建前でありました。所が、此の聖道門の修行に耐えられない衆生は、念仏して弥陀の浄土に往生して、修行をやり直して成仏の果を得ようとしたのです。
 其処には、聖道門の修行に耐えられない者と言う弱さを認めるしかない衆生の悲しみがありました。しかも、阿弥陀仏の慈悲に縋って仏道を成就したいと云う悲痛な願がありました。此の弱者としての悲痛な願に免じて往生浄土が許されていたのです。
 其処には、聖道門こそ成仏道の唯一の道であるとの矜恃が保たれていました。所が、『浄土宗の興行によって聖道門敗退す』と云う事になったのです。是は、聖道門の体質が暴露されたわけです。  
 聖道門は元来、成仏道の原理を示すものです。何故釈尊は聖道門の悟りを説いたのかと言いますと、聖道門は仏道の基礎原理です。此の基礎原理の上に成仏の道が建立されているのです。其の為に、釈尊は先ず基礎をしっかり固めてその上に成仏の道を説いたのです。
 聖道門の教えだけでは成仏は不可能であることは先刻明らかであったのでしょう。それ故に、浄土の教えが、聖道門に並んで説かれていたのです。
 浄土門は、インドの民間信仰が紛れ込んだもので、本来の佛教では無いと言う人が居ますが、それは間違いでありまして、仏教の経典も、お釈迦様が生まれるよりずっと以前から伝えられていた神話に由来するものでありましょう。
 お釈迦様は、人間の苦悩の源は何か、救いとは如何なるものか、どうすれば救いが得られるのかと問い続けて、それを明らかにして行かれたのですが、その問いに答えるものが神話と言う形で、既に蓄積されて居たものと思われます。      
 人類の歴史は、今日私達が認識しているより、もっと永い歴史と経験を蓄積しているものようでして、その蓄積の叡智の中から、神話と言うものが語り継がれてきたものでありましょう。従って、民間信仰と言って馬鹿にしてはならないものがある筈です。 
 北森氏の『神の痛みに神学』と言う発想の真意は、『愛の宗教』と言われているキリスト教の教義の中に、『愛の宗教』と言うだけでは抑えきれない問題があるのではないかと云う事でした。其れを受けて、曽我量深師が、『仏教の慈悲と云う事も、貴方が言われるような悲と云う事に徹しなければ、本当のものに成らないでしょう』と言われたと云うのです。
 更に、曽我氏は、善導の『機の深信』と観無量寿経の『無縁の大慈悲』とは、深く関わるものである、と言われているのです。つまり、『出離の縁あろことなし』と言う『機の深信』が、『無縁の大慈悲』と言われる、大悲の無縁性を証して来るものだと云うのです。この二つの事柄は、遂に一つの事柄であると云うのです。
 此の事は曽我先生の独自の説として、やがて葬り去られる危険性があるもので、北森氏は、それではいけない、是非この問題を展開して欲しいと云っていられたそうです。
             (広瀬杲著、観経四帖疏講義、定善義、Ⅲ p1112)
 慈悲と言う事を重大なテーマとしている経典は観無量寿経でありますが、親鸞は、真実の教は大無量壽経であり、観経は方便の教であると言われました。方便とはどうでもよいものと云う事ではありません。方便が無ければ真実は伝えられません。
 しかし、方便は何処までも方便であって、真実こそ重要であることは間違いない事であります。其処に、慈悲と言う問題が、慈悲と言うだけでは終わらない問題を抱えていると云う事です。
 慈悲は智慧によって支えられてこそ、『摂取不捨』と言う慈悲の働きを完全に果たし得るのです。

    

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