水琴窟 54

       水琴窟 54の5
問、仙経ながく焼き捨てて
答、曇鸞大師は、四論の講釈をやりかけた所、たまたま病気になり、之では四論の講釈も出来ないと思い、その頃中国で流行っていた道経に目をつけて、早速、陶弘景という道教の名師について、長生不死の道を学ぶ事にしました。
 間もなく道教の道に通達して得意になり、長安の都に帰りました。その頃、偶々、インドから長安に来ていた菩提流支にあい。中国には長生不死の法があるのだと自慢した所、長生不死と言ったところでせいぜい百年か二百年のことであろう、仏教は無量寿を説くのだと叱られ、天親菩薩の浄土論を授かり、阿弥陀仏の本願に帰依したというのです。
 この物語りは、親鸞も正信偈や、和讃に語っていまして、随分、大切にされています。何故こんな話を、大切にされるのかと、不審に思っていたのですが、このエピソードには、大切な問題がある事に気付かされました。
 其れは、世間の幸福を求める心を棄てて、仏の法に帰すると言う事であります。我々が、仏の法を信ずる様になると言う事は、容易なことではありません。随分、長い間の仏道
修行を経なければ不可能なのです。曇鸞が立ち所に悟ったと言いますが、実は、其れまでに、長い間の仏道修行を経て居たからであります。
 世間の幸福を求める心を棄てて、仏道を求める事は、今日では、最も難しい事であります。『仏法聞き難し、今既に聞く』と言われますが、之は、容易な事ではありません。しかし、先ず之が成されない限り、絶対に仏法に遇うことは出来ません。之が、仏道に入るための第一の関門であります。
 この第一の関門を潜る事が、中々の難問題で有ります。私は、海軍の航空隊の訓練を受けましたが、その時、先ず、『娑婆気を棄てよ』と、迫られました。其れはとても難しい問題でありました。『娑婆気』というのは、この世の一切の思いを棄てる事であります。何しろ、娑婆気の中にドップリ漬かって居る人間に、この世の一切の執着を棄てよと言うのです。其れは、『何時戦死してもよいと言う覚悟を決めよ』と言う事でありました。戦争が激しくなり、負け戦である事は充分判かって居ましたから、覚悟は決めていましたが、死にたく無い心は消えませんでした。
 何度も、何度も、何故特攻隊に行かなければ成らないのかと、仲間で話し合ったものでありました。結局、『俺たちが死んでやらなければ、弟や妹達が助からないでは無いか』という結論に成るのです。『お国のため』とか『天皇陛下の爲』では有りません。
 其れが、当時の日本の兵隊の、偽らざる心境でありました。イスラームの兵隊は、神の爲に死んでいくと言われていますが、そんな思いとは大いに違っていたのです。
 イスラームの人達も神の爲にと言うのは、タテマエであって、本音は、生きることが出来なくなって、意地でヤケになって居るのかも知れません。
 兎に角、『娑婆気を棄てる』と言う事は、この世の執着を棄てる事でありました。今思えば、『仙教ながく焼き捨てて』という事は、『娑婆気を棄てる』と言う事であると思います。仏道を求めると言うことには、それ程の覚悟が必要なのです。
 曇鸞大師の在世当時には、道教がとても流行っていて、中国全土に蔓延していた模様です。勿論、中国だけでは無く、今日も、この世の幸せを求める心は、日本でも大流行ですから、中国で道教が流行って居る事を非難する事は出来ません。
 この世の幸福を求める教えを、外道と申します。外道と言えば、日本では、相手を蔑む言葉とされていますが、元々、外道とは、外に向かって、この世の一切の幸せを求める事であります。人間が、誰も当たり前にして居ることで、別に変わったことではありません。 この外道を棄てて、仏道に入るのが、求道の第一の関門だと言うので有ります。そうして、是れが、仲々の難かしい問題であります。
 『彼女の聞法三十年、しかし、彼女には何者も無し、』と言う巻頭言があります。其れは、彼女の聞法が、話を聞いているだけに終わって居たからです。話を聞いて三十年を費やすのは易く。道を求めるのは容易ではありません。是れが、第一の関門を潜っているか、居ないかの境目であります。 
この関門を潜らないままに仏道を求めているならば、結局、人生空過に終わるのです。私は、昭和十七年の夏、島根県連の最後の晩に、夜晃先生の前に呼び出されて『頭を下げよ』と、厳しく叱られました。
 然し、その時には、如何して頭を下げねば成らないのかと言う事が、如何しても分かりませんでした。結局、形だけ頭を下げてその場は許されましたが、信心は獲られない儘に戦争に行くことに成りました。あの儘死んでいたら、仏法には逢えない儘にこの世を終わって居たのです。
 『頭を下げよ』と言う事は、この第一の関門を潜れと言う事で在ったのですが、其れが判らないのです。そんなに、簡単に判るものでは無いのです。長い聞法の歴史が続けられてこそ、漸くにして理解されるものなのです。
 昔、東本願寺での伝道研修会を受けた頃、『伝道研修会と懸けて何と説く』、と謎をかけて、答は、『寺の釣り鐘と解く』、心は、『吊し上げて、叩きあげる、』と言われたものでありました。
 当時は、何でこんなことをしなければならないのかと、不審に思っていましたが、是れが、第一の関門を超えさせるための大切な方法であったのであります。
 今は、そんなことを為れば、パワハラと言われ、刑罰に成りますので、誰もそんなことを為てくれる人は居ませんから、仏法が、『有漏の聞法』になってしまいました。
 以前、同朋会館で、そんなことを『複活させよう』と為ましたが、結局、嫌われて、止めさせられて仕舞いました。
 然し、この第一の関門を是非潜らなければ、聞法に為らないのです。是れをどの様な方法で実行為るかが今日の問題であります。
 戦後間もなくの頃は、戦時中の名残がまだ残って居ましたから、あの様な荒療治が許されたのでしょう、今日では、やはり、熱心に辛抱強く、この事を説得為て行くしか方法は無いのでしょう。然し、この問題が解決されない限り、絶対に仏道に入れない事を銘記すべきであります。
 親鸞が、曇鸞の此のエピソードを大切に伝えて居る真意が拝察されるのです。即ち、道教の教えを棄てて、選んで、仏道を求めると言う事が、仏道を求める事の、第一の必須の関門であることを、繰り返し、繰り返し、強調為なければ成らないのです。
 是れは、今日、見逃されて居る問題で有りますから、特に注意を為ておく問題であります。
   

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