釈迦弥陀は慈悲の父母 (7)

釈迦弥陀は慈悲の父母  二尊教について (7)

 さて、次に『無因論』ですが、我々は、現在『無因論』のただ中に住んでいるようなものです。と言うのは何事をしても、自分の思い通りに成ることは少なくて、思う様にならないことが次々に起こってくるのです。そんな時『まあ仕方が無いさ』と言って済ましているのですが、こんなことが日常に度々起こっているのです。   
 人生はこんなものだと考えて、自暴自棄になる程の事もありませんが、これは、全て『無因論』に陥っているのです。  
 この世の出来事は、全て然るべき原因があって起こるのですが、我々にはそ れが予知できませんから、突然起こる災害の様に見えるわけです。その災害に ついては、ただ慌てふためくより手が無いのあります。  
 そこで神や仏に、災害が来ないように祈るのですが、一向に効き目がありません。遂にこの世には神も仏も有るものかと言うことになります。   
 このような生活は、徒に、無意味な生活をただ惰性に任せて送るだけの人生ですから、やがて、愚痴の中に空しく死んでゆく事になります。  
 そのような我々に、

        本願力に遇いぬれば      
        空しく過ぐる人ぞなき      
        功徳の宝海みちみちて      
        煩悩の濁水へだてなし

と、愚痴に終わるより外に道の無い者に、『功徳の宝海みちみちて、煩悩の濁水へだてなし』と言える人生を与えられる道が、既に成就されていたのであります。   もし今生に於いて、本願力に遇うという御因縁が無くて終われば、永く人生空過の嘆きを見る事になります。偶々遇いえた本願の教えでありますが、如来は久遠から待ち続けて居て下さていたのであります。『偶々行信を得ば、遠く宿縁を喜べ』との親鸞聖人の仰せ、誠に仰せの通リであります。
  無因論の直中に居る我々をその中から救い出して、この人生に意義を見出して生きることが、この教えに遇うた唯一の幸せであります。この幸せを、一人でも多くの人々に分かって差し上げたいと願うのです。それを『自信教人信の誠を尽くす』と言います。
 昔、大谷大学が創設されたとき、時の学長が、此の言葉を学是とされたと聞いております。  
 日本全国に散在するお寺も、偏に、『自信教人信の誠を尽くす』の為に建てられている訳ですが、いつの間にか、それが単なるスローガンになってしまいます、申し訳ない事であります。今こそ、この精神のために奮い立たねばならない時であります。  今の時代は、正しい宗教が見失われています。一神教も、本来の役割を見失い、戦争に拍車をかけることに精を出しています。仏教もすっかり本来の精神を忘れて、死者儀礼に明け暮れています。浄土真宗も葬式と法事しか役割が見出せない状態であります。  
 宗教が正しく認識されて本来の使命を取り戻すことは容易ではありません。しかし、宗教が復活しなければ人類は滅亡に至るのでしょう。誠に現代は人類存亡の重大な危機に逢着しているのです。  此処まで、宗教の健康性を保つために、二尊教と言う構造が重要であることを述べて来ました。しかし、其の為に一神教を排除しようとしているのではありません。宗教が色々の事情によって生まれている事を理解して、互いに他の宗教を認め合い、冷静に話し合っていく必要があるのです。  仏教は宗教戦争をしてこなったと言われています。しかし、仏教も宗教戦争を全然しなかったとは言えません。戦争に巻き込まれた歴史が度々ありました。仏教も一神教的な傾向になる時、特に、戦争に巻き込まれる危険性が生まれます。心すべき事です。
 日蓮上人などは、法華経の一神教的傾向に依り、好戦的な信仰を推し進めました。しかし、仏教の思想には戦争を避ける思想が根強く生きている筈です。
 日本が戦争に明け暮れした時代には、仏教などは戦争に役立たないものと言われ、蔑まれてきました。人類が戦争を止められない限り、浄土真宗は余り歓迎されないでしょう。しかし、浄土真宗の思想は、それでも必ず生き残れる筈です。人生とは、そんなものです。
 浄土真宗は、たとえ歓迎されなくても、二尊教の思想を発信し続ける必要があるのです。自信を持って、このことを訴え続けて行きたいと思います。
 二尊教の構造は、他の宗教には見られない構造です。仏教、就中浄土真宗にのみ見られるものでありましょう。従って、これを理解してもらうには、苦労が必要です。
 今日、世の宗教が、軒並みに、現世の幸福を祈るものと考えられている中で、それは偶像崇拝であって、真の宗教では無いことを、人々に訴える事は、容易ではありませんが、地道に、偶像崇拝の真の意味を説得し続けることです。世界中の心ある人に必ず通ずる筈です。
  偶像崇拝と言う言葉は、元々、ユダヤ教に始まる言葉でありますから、一神教の人々にも理解して貰える筈です。今こそ、此の言葉の意味が重要な役割を演じなければならない時であります。 宗教が人間の心を、正しく育て、最も健康な精神生活を保つ為の役割を果たす為に、二尊教の構造は大事な存在であります。
 人間の 健康な精神生活を護る為には、観念化と偶像化、他因論化と無因論化の排除であることを繰り返して述べて来ました。此れを達成する為に、二尊教の宗教が是非必要であることを心に止めて置いて頂きたいのであります。

 

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