この世のサンガ

 大無量寿経の説法を頂いていると色々のことが教えられています。その中でサンガの教えを頂いてみます。  サンガは僧伽と漢字では書きますが、もともとインドの言葉で、音を移したものです。「和合衆」とか「衆」と翻訳されています。仏教の修行者の集団であります。   

 抑も、僧伽は、古代インドで自治組織を持つ同業者組合、共和政体のことであり、仏教徒が自分たちの集団を呼ぶことにしたものであるとされています。従って、共和政体を維持する自治組織という意義を持っているものでありましょう。  

 爾来、仏教徒の集団を僧伽と呼んできましたが、仏教徒といえども人間で、度々人間である事の限界が出てきて、和合僧が破られると言うことも起こったことでありましょう。そこで『破和合僧』という罪が五逆罪の中に数えられるようになりました。  

 後に浄土教が盛んになるにつれて、純粋な理想的僧伽は、この世では成立しがたいことが反省され、浄土の僧伽こそ真の僧伽であると考えられ、この世の僧伽は、浄土になぞらえて成り立っているのだと考えられるようになったと思われます。 しかし本来、僧伽と言えば此の世のものであります。それを夜晃先生は『我等の世界』と呼んでいられます。   

 「真宗念仏の世界は、竪に無限絶対なる如来大悲本願によって、仏凡一体の関係にあると共に、横に同朋と、信心のまことによって結ばれて一つの美しい世界を出現するのである。」 (難思録 p172 『我等の世界』)  

 「我等は一人一人が信心決定して念仏することによって、平等なる信によりて自然に結ばれていなけばならない。」(同上)  

 「利によって集まるものは利によって去り、名によって集まるものは名によって散る。 名利権勢を求めて集まらず、立身出世を求めて集まらず、主義によって徒党を組まず、不平愚痴をもって集まらず、善悪によって結ばれず、学歴によらず、男女老若によらず、規約によらず、かくして人間の発する何ものにもよらず、したがって人間のあらゆる心を持ち合わせつつ、ただ、自然にして、謀からざるに、如来本願力の大信心によって結ばれ、一味平等なる法味楽の調和によってのみ我等の世界は成就されるのである。」(同上)  

 此は夜晃先生の、御同朋に対する最大の尊敬を表す言葉であります。夜晃先生は亦『私から御同朋を取り去ったら何も残りません。』とも云って居られました。夜晃先生は一生を貫いて徹底して御同朋を尊敬して下さいました。そこに『我等の世界』がありました。 

 これは親鸞聖人に学ばれた姿勢であります。我々もこの姿勢を徹底して学ばねばなりません。そこに浄土真宗のサンガの姿がありました。  

 所で、大無量寿経の下巻の構成を伺うに、私達の現在地は、三毒五悪段であります。この現在地に在りながら、現在地が三毒五悪であることを見失っているのが私達であります。私の現在地が三毒五悪であることに気付いたものは、じっとしているわけには行かぬのです。急いで何とかここから出ようとするわけです。  

 その三毒五悪から出ようとする者に、出口を教え、出る方法を教えるものが大無量寿経であります。大無量寿経の上巻は、私達の救われた世界であります。その世界に到達する接点が、上巻と下巻の切れ目であります。 

 上巻の終わりに華光出仏と云って、一々の華の中より三十六百千億の光を出し、一々の光から三十六百千億の仏を出し、その仏の一々の光が遍く十方を照らして無量の衆生を仏道に導くと説かれます。そして、下巻の始めに移り、第十一願、第十七願、第二十願、第十九願と続いて成就文が述べられます。そこに第二十願の成就文というものはありませんが、それは法然上人が第十八願成就の文とされたものは、普通の読み方をすれば、明らかに第二十願の成就文であります。  

 だから、親鸞聖人は『至心回向』の四文字を、『至心に回向したまえり』と特別に主語を変えて読まれました。一つの文章の中で途中から主語が変わると云う事はあり得ませんが、この文章を第十八願の成就文として読む限り、『至心回向』はあくまでも、阿弥陀如来御自身の『至心回向』でなければならないのです。衆生の至心回向であれば、第二十願であります。  

 あの文は、もと第二十願の成就文でありましたが、その底に、第十八願成就の真意がこめられているのを、流石、法然上人は見逃さなかったのです。それで、法然上人は是を第十八願の成就文とされたのであります。 所が、この親鸞聖人の読み方に就いて、浄土宗鎮西派の良忠上人は『あまりにも乱暴な読み方である』と云って非難されています。  

 しかし、親鸞聖人は敢えて、こんな読み方をされました。まさに、『ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず』と、教行信証の信巻別序と後序に、二回も宣言してありまますが、ここに、親鸞の信の面目躍如たるものが在るのであります。  

 それでは第十八願の成就文は何処へ行ったのかというと、実は、第十一願から第十七願、第二十願、第十九願へ続く、一連の成就文の全体が、第十八願の成就文に当たるのでありましょう。それをつづめて、法然上人は、二十願成就の文を第十八願成就の文とされたのです。そこには、法然上人の人並み優れた慧眼と、親鸞聖人の前代未聞の読破力の、打打発止のせめぎ合いが見出されます。両聖ならではの見事な駆け引きであります。  

 良忠上人は、天台の優れた学者であったと言われて居ますが、人間が築いた学問が優れていた為に、却って人間の智慧を超えた、本願念仏の心が分からなかったのでしょうか。その結果、折角の、法然上人の浄土宗独立と言う大事業を水に流して、昔ながらの天台宗の念仏に後退させてしまいました。誠に残念な事でありますが、是も、人間の浅はかな知恵の歴史のなせる悪戯と云わねばなりますまい。

 そのような歴史の流れの中で、親鸞聖人がただ一人、法然上人の事業を継承されたのであります。蓮如上人に至って、漸く親鸞聖人の真意が世に現れます。  

 それは下克上の戦国時代という時代社会の事情の中で、期せずして起こった状況が、蓮如上人に味方したという事かも知れません。兎に角、蓮如上人の並々ならぬ努力によって、法然上人の浄土宗独立という大事業が、親鸞聖人によって継承されていた事実が、広く日本民族の中に浸透して行くことになりました。  

 ここには、日本民族に古くから伝わっていた大無量寿経の精神が、時を得て表面化したという事情があるのではないかと思われます。 そもそも、大無量寿経はモンゴリアンの神話の中に古来から語り継がれていたものでありましょう。それが、現在北アメリカの原住民によって語り継がれているグレートスピリットの神話であります。彼等が伝えているグレートスピリットとうい神格は、後にやって来たアメリカ人が信仰しているゴッドと、とてもよく似た神でありますので、キリスト教の宣教師達が、お前たちの神は、我々のゴッドだと言いますが、彼等はそれを認めなかったと云われます。そこで、已む無くこれを『グレート・スピリット』と名付けたと言うのです。  

 確かに、阿弥陀如来とゴッドとはよく似ているのですが、全然違っています。それで、敗戦後に日本に来た宣教師達が、親鸞聖人はキリスト教になる一歩手前まで来ていたのだと云いました。今はそんなことを云う者は居ないと思いますが、当時は戦勝国という独善もあってか、そんなことを得々と言う宣教師がいました。  

 ゴッドは一神教の神です。阿弥陀如来は二尊教の如来です。阿弥陀如来は、明らかにゴッドになることを拒否した神です。これは宗教を巡る永い思索の結果現れた人類の叡智の結果であります。それは遠く人類がエジプトを離れて世界に広まり始めた頃から続いてきた思索でありましょう。  

 以前は、一神教こそ人類が到達した最後の神であるとされてきました。ヨーロッパ優先時代の宗教学であります。しかし、今は、必ずしも西洋が優れているとは云えない時代であります。東洋にも優れたものが在ります。その一つが仏教であります。  

 日本には、古くから大無量寿経の教えがあったものかも知れません。それは縄文時代の宗教です。今日ではそれを証明する手立てはありませんが、日本民族の心の深層に記憶されていたものが、法然上人の浄土宗独立宣言によって呼び覚まされたのではないかと思われます。法然上人と親鸞聖人の二聖の出現によって、日本民族の心に宿っていたものが目を覚ましたのです。中国浄土教に無いものが、日本浄土教にあるとすれば、それは日本独自のものであります。  

 暁烏 敏師が、戦前に、日本には世界に誇るものが在ると云ったのは、浄土真宗のことでありました。敗戦の混乱で動転して、此の暁烏の発言はうやむやの中で忘れられましたが、今こそもう一度見直してみる必要があります。確かに、中国伝来の浄土教に無いものの一つが、この第二十願の意義の発見でした。        

 大無量寿経の下巻は、我々の現在地が三毒五悪であることに目覚めた者が、そこから出発して、弥陀の誓願に遇い、上巻の救いの世界に至らしめられる道行きを説く経典でありますから、三毒五悪を説くことで一応その使命は終わったのであります。  

 それでは何故その後に胎生化生の問題を説くのでしょうか。そもそも、胎生化生の問題は、二十四願経では、上中下輩の往生を説く三輩往生の中で、中下輩の往生の者の相として説かれていました。  

 上輩の者に比べて、中下輩が劣っていると云う事を語るものでした。共に阿弥陀仏国に往生することに変わりはありませんが、この世に於ける修行の程度によって上中下の差別があるというのです。 熊谷直実入道が、法然上人の教えを受けて上品上生の往生を願ったと云われていますが、二十四願経の説に従えば、当然のことと思われます。所が、我々の大無量寿経〔四十八願経〕の説き方は、些か趣が変わって居ます。即ち、弥勒菩薩の何の因縁によって胎生と化生の相違があるのかという問いに対して、疑惑の心を持ちながら彼の国に生まれんと願う者は、彼の国に胎生して三宝を見ることが出来ないと云われます。ここには、はっきり疑惑の罪により胎生すると云われます。

  ただ往生する前の修行の違いで、胎生と化生が分かれるのでなく、仏智疑惑の罪によって胎生化生の区別が生ずるのだと、わざわざ弥勒菩薩の質問に答えるという形を取って、はっきり言い切っていられます。ここに大無量寿経の思想的進展が見受けられます。  

 大無量寿経が二十四願経から四十八願経に展開することによって、大きな進展をとげたものは幾つかありますが、 その一つが第二十願の発見であります。四十八願経以外の異訳の経典には、二十願に相当する願ははありません。  二十願の意義を発見したのは、親鸞聖人ですが、その前に四十八願経を説くことを見出した人々が居たのです。その人々は、明らかに第二十願の意義に目覚めていた筈です。  

 第二十願は、専修念仏を勧めます。第十八願の念仏と第二十願の念仏とは、外見上は変わりません。何処で区別するのでしょうか。 法然上人も或るいはこの区別に気付いては居られなかったかも知れません。それは、歎異抄が伝えている『信心一異の諍論』の両聖のやりとりの上に伺われます。  

 この問題は、高田派の伝承によれば、法然門下の長老である、念仏房の法話に起因するのであります。即ち、念仏房が『私は、永年法然様のお育てを頂いてきましたが、未だに法然様の御信心には遠く及ばぬ者であります』と述懐いたしました。それを聞いて皆感動して念仏房を褒め讃えたのであります。所が、親鸞は唯一人、其れに異を称えたと言うのであります。そこで皆が一斉に親鸞を非難したのです。しかし、親鸞には、どうしても譲れぬ思いがあったのす。  

 親鸞の釈明を聞いていた法然が、法然の信心も、親鸞の信心も共に如来より賜ったもので、唯一つであると言う事に気付いたのです。これは、歎異抄が語らなかったなら、誰も気づかずに終わった問題であります。歎異抄が、大切な証文と言うものの一つが此れであります。  

 法然上人門下の念仏は、見事なものであったと思われます。満堂念仏の声に満ち満ちて、これこそ浄土そのままの姿であろうと思われる壮観でありました。 しかしその中に胎生のものと化生のものが居る事を、誰が見出し得たでありましょう。大無量寿経は、それを経の終わりに当たって語っていたのでした。正に、この大無量寿経経の帰結というべきものであります。  

 親鸞聖人は、この胎生化生の説法によって、法然門下の念仏に、胎生の者と化生の者が居ることに気付いたのです。  これが、この世のサンガの実情であります。而も胎生の者は多く、化生の者は少ないのです。

 この世のサンガには、胎生の者と化生の者が混在しているのです。そのサンガに勧め入れようとするのが第二十願の心です。聞法を熱心に続けているようでも、サンガを見いだせなければ、何時までも外向きの聞法におわります。  資糧位に留まって加行位にも進めません。通達位の『信心決定』の身になるためには、先ず、資糧位から加行位に進んで、加行位の修行を尽くして、ようやく通達位に至るのであります。而も、加行位と通達位の間には、有漏 から無漏 へと云う断絶があります。簡単に、一足飛びに信心は得られないのです。その求道の歴程を明らかにしたのは、唯識の資糧位、加行位、通達位、修習位、究竟位という、『五位』の教えです。(唯識に学ぶ参照)  

 親鸞聖人が第二十願を『大悲の願』と言われ、『果遂の誓いまことに故あるかな』と仰がれるのも、此の、第二十願こそ最も重要な、大慈悲の具体的表現の願であるからです。 我々は、浄土に往生しようと思えば、先ず、胎生の者となるのです。その胎生の者の中から、自らの疑惑の罪に目覚めて、初めて化生の者と成る事が出来るように、お育てを頂いていくのです。  

 歎異抄に、『辺地胎生の往生は、地獄の堕ちて空しく終わる』という異義を戒めてありますが、辺地の往生を勧められる大慈悲の御心を、我が身の事実を通して、受け取れというみ教えでありましょう。  

 辺地の往生に満足して、進んで化生の往生を求めないものは、懈慢界と言われて、厳しく戒めていますが、仏の本意は、先ず誰でも往生を願う懈慢界に往生せしめて、然る後に、真実報土に往生させてやりたいとの大慈悲でありました。まさしく、第二十願こそは、大悲の願の極みでありました。 我々は、偶々、この世のサンガに遇うことが出来た喜びを感謝するものでありますが、この世のサンガには、胎生の者と化生のものが混在しているという事実を忘れてはならないのでありましょう。  

 親鸞聖人が晩年に及んで、繰り返し繰り返して仏智を疑う罪の深きことを,自身に言い聞かせていられるお姿を拝見して、何故あのようにしつこく云われるのか不思議に思っていましたが、大無量寿経の最後の帰結が此処にあったことを知らされて、初めて聖人の深い慮に気付かして頂き,師恩の広大に深謝申すことであります。  

 佛智疑惑の罪ゆえに 五百歳まで牢獄に  かたくいましめおはします これを胎生とときたもう。   

 佛智疑う罪ふかし この心おもいしるならば   悔ゆる心をむねとして 佛智の不思議をたのむべし  

 『以上二十三首 佛〔智〕不思議の弥陀の御ちかいを疑う罪とがをしらせんとあらわせるなり。』〔蓮如開板の文明本)と在りますが、草稿本では、 『以上 疑惑罪過二十二首 佛智疑う罪とがのふかきことをあらわせり、これを辺地、懈慢、胎生なんどというなり。』(草稿本)となっており、明らかに、親鸞聖人ご自身の悲嘆述懐として述べられます。  蓮如の文明本では、他者への戒めと取れますが、それは蓮如自身が親鸞聖人の戒めを受け取った心境を現す為でありましょう。親鸞聖人御自身は、あくまでも自身の述懐として述べられているのであります。  

 大無量寿経の最後の帰結をわが身自身の上に頂かれた親鸞聖人の真意を頂戴すべきであります。第二十願の誓いに隠されている、胎生往生の問題が、大無量寿経の最後の課題であったことを頂いて、この世のサンガには胎生と化生のものが混在している事実の上に、如来の大悲の遣る瀬無い慮りが在った事に思い、図らずも、この世のサンガの広大恩徳に遇い得た者として、此処に謹んで『サンガに帰依さして頂く』次第であります。

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