水琴窟 2

問と答 『二』
問、 宗教と言えば、迷信ばかりではないの ?。
答、
確かに、世の中には、いかがわしい迷信が満ち溢れています。その中から正しい信仰心を選び出すことは至難の業であります。そこで、正しい信仰とはどういうものなのか考えてみたいと思います。
広辞苑を開いて迷信を調べてみると、『迷妄と考えられる信仰。又道理に合わない言い伝えなどを頑固に信ずる事。その判定の基準は常に相対的で、通常、現代人の理性的判断から見て不合理であると考えられるものについて言う。』とあります。
又、『俗信』と題して、民衆の間で行われる宗教的な慣行・風習・呪術・占い・まじない・幽霊・妖怪の観念など。このうち、実際に社会に対して害毒を及ぼすものを迷信といって区別する場合がある。』と書いてありました。
要するに、現代人の理性的判断から見て不合理であると判断されるもので、特に社会に対して害毒を及ぼすものを迷信というと規定されているようです。
然し、『現代人の理性的判断から見て』と言うことが極めて曖昧であります。現代人の理性的判断が基準となる訳ですが、現代人は常に流転しているものです。その理性的判断も常に変わるものですから、迷信の規定はあやふやなものに成ります。
また、理性的判断が基準となる訳ですが、人間は理性だけで生きて居るものではなく、理性を超えた何ものかに動かされているものであります。理性的判断だけで信仰を語る事は出来ないのです。
神話という問題があります。キリスト教で、聖書の非神話化という問題が一時喧しく叫ばれました。聖書の神話的表現を、理性で解釈出来るように改めるというのでしょうか。
然し、ここには多くの問題がありました。則ち、理性だけで宗教の問題は解けないのです。 非神話化と言うのが、唯、理性的判断に委ねると言うことであれば、大いに問題があるのです。神話には、神話独特の論理がありまして、必ずしも理性的範疇に入らないものがあります。そこに、人間の理性の限界があるのです。
人間の理性の限界を教えるために、あえて理性では計れない世界を、神話の世界は語るのです。神話では、動物たちも人間と語りますし。木や草も人間と同じように行動したり考えたりします。其れを子供達は素直に受け入れています。理性だけでは律しきれない何物かを子供達は感じているのです。其処には、神話の世界の素晴らしい一面が躍動して居ます。
仏教では、神話的表現の経典と、論理的表現の仏教学が両立しています。これはキリスト教の神学にも言えることだと思いますが。要するに神話と学問と両立が大切でしょう。
宗教と一口に言いましても、色々あって何もかも一緒には出来ません。明らかに個人や社会に害毒を流すものもあれば、個人的に信じ込んでいるだけのものもあります。その中で、どれを迷信だというのか、中々難しいと言わねばなりません。
正しい信仰心というのは何かと言われても、ちょっと返答に困ります。そこで、仏教の信仰心とはどういうものかと考えることに致します。
蓮如上人は、『諸々の雑行雑修、自力の心をふり捨てて、一心に阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生御助け候へとたのめ。』と言われています。
『諸々の雑行雑修』をふり捨てて、『一心に阿弥陀如来』に、『われらが今度の一大事の後生御助け候へ』と頼むことだというのです。然し、この言葉も随分誤解されてきていますので、充分分析する必要があります。
先ず、『雑行雑修』と言う言葉ですが、最も難解な言葉でありましょう。そもそも、信心と言うことに最も注意をしたのは、善導大師でありまして、『雑行雑修』と言う言葉を最初に使われたのも善導大師であります。
私達は、善因善果、悪因悪果、善い事をすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になると信じています。然し世の中には、悪い事をしても不幸にならない者も居ます。その時『人生は理不尽だ』と言います。確かにこの世には理不尽なことが、随分、まかり通っています。それでも、善良な人間は善因善果、悪因悪果の法則を信じて生きようとしています。
然し、度重なる理不尽に遇うとこの信念が揺らいできます。正直者が馬鹿を見ると言うことになります。矢張り人生は少々誤魔化しても、うまく渡らねば損をすると言うことになるのです。『小人閑居して不善を為す』と言うことになるのでしょう。これはみんながやっていることだからしようがないと言って済ましています。聖人君子ならいざ知らず、我々凡夫にはとても出来ないことだというのです。これが生死流転の姿であります。
仏教は生死出ずべき道です。この生死流転の世界を離れて安穏な世界に出る道であります。然し、生死を超えると言いましても、そう簡単に超えることは出来ないことで、仏教は難しいと言うことになってしまいます。確かに、これはいい加減な取り組みでは出来る事ではありません。過去の聖者達が命懸けで取り組んできた問題であります。
親鸞聖人は、十九歳の時磯長の聖徳太子の御廟に詣でて『日域大乗相応の地』と言う夢のお告げを受けられたと伝えられて居ます。この『日域大乗相応の地』と言う言葉は、当時の比叡山では頻りに叫ばれていた言葉であったと言います。然し、親鸞聖人は、果たしてその言葉通りの事実が、この比叡山に実現して居るのかと疑っていられたものと思われます。
当時の仏教は、善根を積んで其れを回向して仏に成ると言うことが常識でありました。善根を積むことが出来るものは、それで成仏出来るのですが、善根を積むことなど思いもよらない、貧しい一般庶民に取っては、成仏の望みは諦めるより外ありません。『普く諸々の衆生と共に』という大乗仏教の理想は、比叡山では果たせないのではないかという疑問が、ぬぐえない問題として親鸞を苦しめておりました。
然し、聖人は更に十年間比叡の山で頑張ります。『汝の命根十余歳』と言う言葉が夢のお告げにあったからです。『よし、もう十年頑張って見よう』と決心したのであります。其れは命の限りを尽くして、『日域大乗相応の地』という言葉の意味を追求してみる為の求道でありました。
然し、その努力は虚しく、徒に十年の歳月が流れました。そこで、聖人は翌二十九歳の正月一日から、聖徳太子ゆかりの寺である京都六条の六角堂へ、百日の参籠を思いたたれます。
これは約束の十年が過ぎても、まだ道が得られない最後の悶えでありました。恐らくこの時の聖人の心境は、これで駄目なら死を選ぶ覚悟でありました。
そうして、九十五日目の暁、夢に『行者宿報設女犯』の偈を得られたのであります。
『貴方が宿報によって女犯の罪を犯すならば、私がその相手になって遂に極楽へ導い
てあげよう、これは我が誓願である』と観世音菩薩が告げたのであります。
女犯の罪は、最も重い罪であります。二十九歳の親鸞にとって最も切實な問題でありました。其れを縁として。極楽に導くと言う事は、既に法然上人の教えを予感されています。
親鸞聖人は既に法然上人の教えを知っていられたのでしょう。然し、その法然上人の教えを受け入れるためには、余程の決断が必要でありました。その決断の為の参籠であったのでしょう。この夢告に依って法然上人に遇う決断が着いたのです。
兎に角、一度上人に遇ってみよう、その上で態度を決めることにしようと決心して、法然を尋ねたのであります。其れでありますから、容易には教えを頷きません。又百日の間降るにも照るにもいかなる大事にも上人の教えを聞き続けたと言われています。そのあげく、やっと納得して上人の弟子になることを決断したのです。
此の様ないきさつを歴て法然に会いに来た親鸞は、他の弟子達と違って、『ただ者』ではないと法然も見ていたのでしょう。入信間もない親鸞に、著作や肖像の書写を許しています。
誠に、法然と親鸞の出会いがなかったなら、今日、浄土真宗は伝えられ無かったものと思われます。
法然から親鸞への傳承によって、初めて正しい信仰心とは、どういうものであるかが
明らかになったのです。迷信と正信との区別をすることが出来る教えは浄土真宗しかありません。それ程厳密な検討を要する問題が迷信の問題であります。
そこで徹底してこの問題と取り組むために長くなりますので稿を改めるることに致します。 (続く)

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