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水琴窟 32

水琴窟 32 

水琴窟 32
問、篤く、三宝を敬へ
答 これは、聖徳太子の十七条憲法の言葉であります。今日、聖徳太子は架空の人物であろうという説が言われています。しかし、この十七条憲法を書いた人物がいることは確かな事実です。その人を、仮に、聖徳太子と呼んでおいてよいと思います。
第二条に置かれている『篤く、三宝を敬え、三宝は佛・法・僧なり、』の言葉は、その後永く、今日まで、日本人の深層意識に留まって来ました。
私は、仏教の教えを顕す唯一の言葉である『篤敬三宝』の言葉について、『仏』と『法』を敬う事に就いては異論はありませんが、『僧』を敬うと云う事はどういう意味であろうかと疑問に思って居ました。
『僧』とは『サンガ』であると言われます。印度では、元々、同業組合をサンガ゙と呼んでいたと云いますから。それを仏教も採用したのだろうと思っていたのです。サンガは『和合僧』と翻訳されていて、仏教徒の団結を促す為であろうと思っていました。従って、『破和合僧』の罪が大切に説かれるのも、団結を乱す罪であろうと思っていました。
所が、この『破和合僧』には重大な意味があることを知らされたのです。即ち、サンガに帰依すると云う事が無く、それに背くことは、仏教を破滅させる事になるのです。
『破和合僧』に依って、仏教は弘まら無くなり、やがてこの世から消えて行くことに成るのです。仏教が個人的に信仰されているばかりでは、それは二乗地の信仰です。二乗地の信仰は、独りよがりの信仰で、自己満足に終わり、他に伝えられません。
仏教は、声聞によって始まります。声聞とは、只管に聞法に励む者です。声聞が聞法を重ねて縁覚(独覚)になります。独覚とは、仏法が次第に、よく解るように成る事です。声聞と縁覺は立派な仏教者なのです。しかし、この世界に留まる限り二乗地と言われます。
仏教が二乗地に留まる限り、他に伝えられることはありません。その人の信仰は、個人的信仰で、自己満足に終わるからです。これが『二乗地』は、菩薩の死であると言われる所以です。
竜樹が二乗地に堕する事を菩薩の死であると言って、厳しく戒めたのは、二乗のみでは仏道が滅びるからです。若し仏教徒が、『声聞』と『縁覚』ばかりに成れば、仏教は滅びます。
しかし、今でも二乗と言われる仏教が、東南アジアに立派に生き残っているではないかと言う反論があると思います。それに就いては、説明を要しますが、東南アジアの佛教は、大乗仏教ではありません。大乗仏教から見れば、多分に未成熟の仏教であります。
そもそも、小乗仏教と言われるものは、仏教の基礎であります。何万年と言う長い年月をかけて、人類が蓄積して来た叡智の基礎段階に在るものです。従って、此の基礎段階を無視したり、否定する事は許されません、しかし、其の基礎の上に築かれた思想が大切なのです。
小乗仏教は、戒律を守ると言う強権主義によって維持され生き続けています。大乗仏教は、この戒律厳守と言う教権主義を捨てたのです。即ち、破戒無慚の者も包もうとしたのです。この為に、『サンガに帰依する』と言う、法則を生み出しました。大乗仏教が、教団を維持し、その精神を永遠に継続させる為には、サンガが必要なのです。
サンガに帰依すると云う事は、同朋を尊敬する事です。サンガと言っても、所詮、人間の集まりですから、其処にはいろんな人が集まっています、従って、当然、意見の相違が起こります。その時、互いに相手を批判するだけでは、サンガは成立しません。争いばかりに成り、やがて分裂してしまいます。
キリスト教等が、神の罰を厳しく説いて、神の権威を強調するのは、教団を維持する為でありましょう。仏教は『神の権威』を主張しませんから、教団維持のために別の方法を考えなくてはなりません。その為に『サンガに帰依せよ』との教説を生み出したのであります。
しかし、人間の集まりには、必ず意見の相違が生じ、争いが始まります。それを収める為にはどうすれば良いのでしょうか。これは中々難しい問題であります。
『サンガに帰依せよ』との教えは、大乗仏教では、真に『仏と法に帰依する者』は、自ずから『僧に帰依する』と言うのです。従って、二乗の教えは、自己満足に終わって、真の仏道では無いと言うのです。
仏教に入る為には、必ず声聞・縁覚の段階を潜らなければなりません。仏教の基礎段階であると言うのは、必ず、その段階を潜らねばならないと云う事です。所が、其の段階に留まってはならないと言うのです。
仏教が、小乗仏教から大乗仏教に発展したと言う歴史の事実には、人類の叡智の積み重ねによって、宗教の意義の深化が行われたのです。しかもその思想の深化を、絶やす事無く後世に継承していく為の重大な法則を見つけたのです。この法則を発見した事により、仏教が強権主義を克服して、然も、永遠に伝承される道が開けたのです。
教団を維持していくためには、教権に依る強い束縛が必要なのです。この教権によって団結が維持されるのですが、この教権が強ければ強い程、団結は維持されますが、半面、個人の自由は束縛されます。
一神教は、強い教権によって維持されています。信仰は、『神への恐れ』であると言われます。『最後の審判』と言う恐れが、強く信者にのしかかっているのです。イスラム教徒の『自爆テロ』は、『神の最後の審判』に依って支えられています。
私は、特攻隊に志願した人間ですが、その時の心境は、『俺たちが死んでやらねば、弟や妹たちが助からない』と言うものでした。特攻隊員同士で幾たびも議論し合って、結局落ち着く所は、弟や妹の為に死ぬと言う結論でありました。
『お国の為に』という内容は、往時の私達には、結局、其れしか考えられなかったのです。イスラム教徒の信条とは、随分違っていたと思います。
兎に角、一神教は教権主義で維持されていると云う事です。それに対して、仏教は、教権主義を認めませんから、教団を維持するための方法が無いわけです。これは宗教教団にとって、大変な問題であります。
其処に、『サンガに帰依する』と言う思想が生まれました。サンガに帰依する前に、先ず、佛と法に帰依する事が要求されます。佛と法に帰依する事は、仏法に帰依する事です。仏法に帰依する事は、自身の『機の深信』に目覚める事であります。
業縁に押し流され、業火に焼かれている我が身の事実に徹する心は、同時に周囲の一切のものが、自他共に業火に焼かれている存在であることに気付くのです。此処に、『共に是れ凡夫のみ』(41の4、聖徳太子、十七条憲法、第十条)と言うい自覚が生まれるのです。

聞法する者は、仏と法に帰依する事は当然ですが、サンガに帰依することが無いなら、大乗仏教が成立しないのです。それは二乗の集まりではありましても、大乗仏教にはなりません。
サンガと雖も凡夫の集まりであります。従って、愛憎善悪の渦が巻き起こります。その時、『愛憎善悪の心を浄土に流し、念仏申せ』との師教が思い出されます。誠に、愛憎善悪の心を浄土に流して念仏する道が有ったのです。
サンガに集まる人に対して、不満や批判の思いが起こる時、それをあながち止めよと言うのではありません。議論する時は徹底して議論すべきです。其の上で、愛憎善悪の心を浄土に流して念仏するのです。
『貴方も、私も、宿業に流され、業火に焼け爛れて居る存在であります。しかし、必ず仏に成る可き身であります。』と何処までも、互いに信じ合って、念仏するのです。其処に、『サンガに帰依する』と言う教えが生きて来るのです。
それは大変な事のようですが、真に仏法に遇い得た人には、それが出来るのであります。此処に。サンガに帰依するという事が、仏道成就の必須の条件であると言わねばならい意味がありました。
釈尊在世に時代には、仏陀が現存されていましたから。仏道が成就していました。しかし、仏の滅後になると、釈尊の人徳の影響が衰えて、仏教が当に滅亡しようとしたのです、その時、サンガの意義に目覚めたのが、大乗仏教の先輩たちでした。この先輩たちの目覚めが無かったら、仏教はこの世から姿を消していたことでしょう。此処に、『篤く、三宝を敬え』と言う教えが大切に伝えられ、大乗仏教として、三国に流布して今日に至りました。
『厚く三宝を敬へ』と言う聖徳太子の精神は、三国・七祖を貫いて今日まで伝承されて来ました。この後も、永遠に人類を救う鏡となって頂くよう、我々仏教徒が、此のサンガに帰依し、讃嘆し、護持して行かねばなりません。

水琴窟 59

問 一神教のみでは
答 世界の宗教は、一神教優位になって居ます。このまま、一神教のみが優位になって、一神教のみの世界に成れば、人類は、滅亡する恐れがあると説き続けて来ました。
此処に、二尊教と言う宗教があることを、是非、世界に訴えねばならない理由があるのです。
一神教は、真か偽かと言う二者択一の選択しか出来ない世界観であると云いました。其れに対して、仏教は、真、仮、偽と言う三つの選択肢を持つ世界観を堅持して居るのです。
仏教の、真、仮、偽の選択肢の世界観は、釈迦、弥陀、諸仏が共存する世界であります。是れを、二尊教と言うのは、釈迦は、諸仏の一員であるからです。諸仏とは、真実が、虚偽に働き懸ける具体的課程を表して居るのです。具体的働きは、夫々が、夫々の形を取って働くので、色々の姿を取って居ても好い訳です。全体を一つに統一する必要は無いのです。
釈迦は、特別に娑婆世界という、五濁悪世に働き懸ける使命を持って、この世に出現した仏でありました。五濁悪世は、殊の外、仏法が聞き難い所でありますので、極難信の法を説くと言われて居ます。従って、この娑婆世界に生まれた衆生は、特別に、釈迦の御苦労を身に染みて感謝申し上ねば成らないのです。
何故一神教のみの世界になれば人類が滅びる事になるのかと言うと、真か偽かと言う選択肢しかない世界では、『我は真なり』と云えば、我と異なる考えの者は、皆、偽ということに成ります。その為、『我こそ、真なり』と言う主張を互いに言いはる所に、争いが生まれ、やがて戦争になるのであります。
所が、今日の戦争は、兵器が物凄く発達して、勝負が着かなくなるのです。此れからの戦争は、勝利者が居ない敗者ばかりの戦争になるだろうと言われています。敗者どころか、人類滅亡の戦争に成るに相違ありません。
仮と言う選択肢があれば、『貴方も真を表す爲に努力して居るのですね』と言うゆとりが生まれてくるのです。仮と言う世界は、真を表す爲の課程です。真は、必ず仮を通して表現されるものですから、其処に、和やかに、相手の意見を聞いて行ける世界が展開するのです。
此れが、二尊教が持つ素晴らしい世界であります。日本は、この二尊教の『浄土真宗』を元にして世界に訴えるべきでありましたが、残念ながら、明治以来の戦争に勝利を得たために、のぼせ上がって、戦争ばかりに力を入れて、浄土真宗を無視してきました。
今こそ、浄土真宗に帰らねばならない時であります。しかし、戦争ばかりに走り続けたために、すっかり、宗教の重要性を忘れて仕舞いました。折角、二尊教と言う宗教を与えられながら、宗教無視の生活に明け暮れして居ることは、誠に、勿体ない事であります。
外道とは、真実が何か解らない世界で有ります。皆がよってたかって此れが真実だと叫んで居ますが、全く決め手が無いのです。その外道の世界から、仏教の世界に入って、初めて、此れが真実だと言えるものが見付かったのです。
所が、真実は明らかに示されたのですが、真と偽とが対立するだけでは、真実と真実との主張の争いになります。其処に、もう一つの転回が必要なのです。その転回が浄土教への転回であります。
浄土の教えは、真と仮と偽の三つの選択肢を持つ教えです。その教えは、本願念仏の教えでありますが、本願を信じて念仏申す、この道に於いて、初めて、皆の人々が穏やかに、暮らせる世界が成就されるのであります。
所が、私達が、 真に救われる爲には、もう一つの転回が成されなければ成らないのです。其れは、我執を超えるという問題で有りました。
我々は、心の奥底に、末那識という心の働きを持っています。其れは、自他区別識と言われて、自他を瞬時に区別して身の安全を図る機能でありまして、そのお陰で今日まで生き延びて来られたのであります。しかし、この働きの故に、自我の固執という問題が起こるのです。
この自我の固執(我執)によって、弥陀の回向の念仏の功徳を、自の善根とするのです、『私は念仏しているから良いが、あの人は念仏為ないから駄目だ』という心が抜けないのです。この我執は、根深いものでありまして、死ぬまで無く成らないもので有ります。
如来の智慧光の前に引き出されて、頭を大地に下げきって、謝るより外に、施し用の無い代物で有ります。此れを、『如来無視』、『佛智疑惑の罪』と申します。
この三つの転回を潜って、初めて私達の救いが、見事に成就されるのでありますから、私達は、この三つの関門を必ず潜る必要があります。
これが、『往生三度になりぬるに、この度特に遂げ易し』という法然和讃の意味であろうと思われるので有ります。
法然上人は、『源空みずからのたまわく、霊山会上にありしとき、声聞僧にまじわりて、頭陀を行じて化度せしむ』と言われていたと言います。此れは、先ず、外道を捨てて、仏道を求めたと言う意味であります。そうして、聖道門の修行をされたのが、第一の転回でありました。
更に,日本の国に生まれて、選択本願念仏集を著わし、第二の転回をなさったのです。その専修念仏の一道には、更に、第三の関門があることを見出し、念仏道に一生を捧げきって、目出度く、往生の素懐を遂げられたのであります。
『この度特に遂げやすし』との御述懐は、其れを語って居られたのでありましょう。
法然上人の此の御述懐を、態々和讃に作って述べられる親鸞聖人の御深意は、聖人の御自身の心境でも有りましょう。師弟共に同一の心境に住していられる風光が見られるのであります。
この世に生まれて、此の三つの転回を遂げて、往生浄土の素懐を遂げる事が出来ろ事は、何物にも代えることが出来ない幸せであります。仏法を聞き得たという事は、此の三つの関門を、必ず潜り抜けて、真報仏土に往生する事であります。若し途中で足踏みして前に進めなくなれば、往生の大利益を失う事になります。
往生は歩みであります。留まれば,其れがどんなにこころよい世界であっても、往生ではなく、仮城になるのであります。心して歩み続けねばなりません。
私も、法然、親鸞両聖人の顰み倣い、せめて真似だけでも、『往生三度になりぬるに、この度特にとげやすし』と、高らかに歌いながら、この世を去って行きたいものと思って居ます。

水琴窟 58

問、諸仏と言う事について、
答、諸仏と言う事について、考えることが在ります。其れは、宮城選集を頂いて居て教えられたことです。
『仏教では諸仏と言う事が説かれます。一神教の場合、正と邪の二極に分かれる世界観になります。そして、正か邪かのどちらかに決めつけるようになっていきます。其れに対して、仏教の場合は、そう言う二極ではなくして、諸仏という概念が置かれて居るのです。』
(宮城選集、第十五巻、p535)
一神教には、真と偽の二つしか選択肢が無いのでありましょう。その為、『我は真なり、汝は偽なり』と、自己を肯定して、争う事になります。
諸仏と言うのは、真なるものが働く具体的な姿でありまして、それぞれ、色々の形を取って顕れるのです。百人が百様に顕れて、然も唯一の真実を顕わすのです。
『教学の上では、真・仮・偽と言う三極と言う事になります。この、仮と言う事が大事なのです。真か偽かと言う二極に対して、仮と言う概念を置いているのです。如何なる物も絶対的なものではない。然も其処には、同じ願いが展開して居るのです。同じ願いが、それぞれのすがたを取ってあらわれているのです。
それぞれに具体的な姿と言うものは、何処までもその時その場その存在においてと言う事であって、絶対化すべきものでは決してない。
仮と言うのは、つまり具体相、具体的な存在です。具体的と言う事は、ある時、ある所に、あるものとして在ると言う事で、そこに具体性を見る訳です。』
『その時、其処における、そのもののありようであって、其れをもって、全ての時に、全ての場、全ての存在に、全部押しつけていく訳にはいかない。
そこに、それぞれの現れ方、それぞれの顕わし方が在る。其れが、仮と言う概念です。
ですから、真から仮への間に、無限の展開があると言う捉え方だと言ってもいいでしょう。』
『諸仏それぞれが、それぞれの分に於いて、真を表現し、偽を明らかにして居られます。』
(同上、p536)
真理は、唯一つでも、其れを表す爲には、様々な立場があって然るべきでしょう。私の主張のみが真実であると固執すれば、他のものは偽になるのです、其処には、自己主張同志の争いが始まります。それが、今日の争いの原因であります。
但、弱いから、妥協して他に従うのではなく、それぞれの立場が在ることを認めて、協調しあって生きる、生き方が在るのでしょう。其処に、諸仏の存在を認める世界が在るのです。
諸仏は、それぞれの世界で弥陀の功徳を讃嘆します。釈尊も諸仏の一人でありますが、釈尊は、特に、五濁悪世の但中に立って、弥陀を讃える役目を担って居るのです。弥陀を讃えると言う事は、阿弥陀の世界に行けと勧めるのです。其れを『発遣』と言うのです。  諸仏の発遣が無ければ、弥陀の本願と言うのも、話になります。観念論になるのです。弥陀は偏に『我に来たれ』と『召喚』するのですが、諸仏は、口々に『弥陀に帰れ』と発遣します。此処に、『二尊教』の妙趣が在るのです。
諸仏は、決して『我に来たれ』とは言わないのです。口を揃えて、『阿弥陀に帰せよ、我も共に行かん』と言うのです。其処に、諸仏の役割が在るのです。此の、二尊教こそが、宗教の健康性を保つ原理で有ります。
一神教は、厳しく法の原理を説くのでありますが、その厳しさが、法の権威となり権威主義に陥いる原因になるのです。権威主義の前には、絶対服従が要求され、信仰は、神への絶対服従を要求し、神への『恐れ』となります。是れは、信仰の純粋性を保つためには、有効で有りますが、権威の前に絶対服従が求められる事によって、弱者の声が消されて行くのです。弱者とは、苦悩の衆生と言う事です。
『苦悩の有情を捨てずして』と言う『弥陀の本願』との相異です。弥陀の本願は、飽くまでも『苦悩の衆生を捨てず』という願に生きるのです。聖道門は、賢者の爲の教えでありまして、勢い、弱者の嘆きの声は切り捨てられました。
その為、『聖道門をさしおきて、選んで、浄土門に入れ』と言われるのです。聖道門は、真実の教えではありますが、其処から漏れる者があるのです。万人の爲の教えではありません。漏れる者とは、弱者です。この弱者を救う道は、浄土の教えしかありません。
弱者とは、誰のことでありましょうか。若し弱者が、自分以外の他者であれば、お気の毒とは思っても、そのまま見過ごして通れます。しかし、弱者が、自分のことであれば、そのまま通り過ぎる事は出来ません。誰のことかをよくよく考えてみる必要があるのです。
弥陀の本願は、如何なる弱者も漏れること無く救う道で有ります。
如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり
(正像末和讃、11の35)
私の父は、この和讃をとなえる時には、必ず涙ぐんで居たと、大森先生がよく言われていました。『若い頃は、此の老僧は、随分涙もろい人だなと思って居たが。この頃になって、やっと老僧の心情が解るようになった。』と述懐して居られました。
『苦悩の有情をすてずして』と言う言葉が、受け取られる様に成るには、人生の経験を経なければ成らないのです。人生の経験を経て、弱者とは、我が身の事であったと頷ける様になって、初めて、弥陀の本願が、我が身の爲に興こされていた事に気付くのであります。
『真か偽か』と言う二極対立の激しい人生観でなく、『真・仮・偽』と言う、緩やかな、三極の人生観に立って生きる事が与えられている事に、大いなる幸せを感ずることであります。
諸仏の存在を許すことに、二尊教の特色が有るのであります。一神教の厳しさと、二尊教の緩やかさと、夫々、趣きは、異なりますが、どちらが良いかは各自が、自分の責任で選ぶべきでしょう。
諸仏の存在を認めることは、阿弥陀仏の特別のお心であります。諸仏は夫々の立場に立って、阿弥陀仏を讃嘆します。阿弥陀仏は諸仏を『我が善き親友』として遇します。決して諸仏を支配しようとは為ないのです。これが、釈迦弥陀二尊教の原則です。
二尊教に於いて、初めて、健康な宗教と言えるのです。一神教は、強い力を持っていますが、同時に、恐ろしい支配力を発揮して、権威主義を振り回すのです。
覇権国家が、弱い国を征服して強大になるのも、この権威主義の構造の故です。今、覇権国家同志の覇権争いが、人類滅亡の運命を、引き起こそうとしている事実に、我々は、目を開くべき時であります。

水琴窟 57

問、 深層意識
答、 私は、偶々。大谷派の寺院に生まれました。その為、子供の時から仏法を聞かねばならないと言う事は心得て居ました。今思い返して見れば、其れは、よくよく、宿善に恵まれて居た結果でありました。
父も、母も、仏法の志は篤い人でありましたので、自然に、仏法は聞くものだと、思うようになったのです。是れは、大変な事であったと思うのです。今日、仏法を聞くという事は、容易な事ではありません。
遠く、お釈迦様から始まった、仏教の歴史は、印度から、中国大陸を伝わって、朝鮮半島を経由して日本に伝えられたのですが、其れは、文字を伴って伝えられた仏教でありました。
其れとは別の、海上ルートを通って日本に伝えられたものがある様です。其れは、縄文文化と言われているものであります。今日では、その全容は判りませんが、旧モンゴリアンと言われる人々によって伝承されたものである様であります。
その伝承は、アメリカ大陸にまで伝えられて居て、アメリカ原住民の神話に見られるものです。それを、アメリカでは、グレート・スピリットと名付けたと言われています。
日本の、阿弥陀如来と同じ神話に由来するものの様です。日本における、阿弥陀如来の信仰は、縄文時代以来の信仰が、深層意識となって、法然や親鸞の上に顕れたものでは無いかと考えられるのであります。
深層意識というものは、深く人間の心に根ざして居て、意識していないのにその人を動かして居るものです。
梅原猛と云う方が、生前『日本の深層』と言う本の中に力説して居るのです。この梅原説は、注目に値するものであります。今後、縄文時代の研究が進んで、梅原説が証明されることを願う者でありますが、証明は難しいかも知れません、証明されなくても有力な仮説として注意されて良いと思います。
日本民族の深層意識の中に蓄積されていたものが、聖徳太子の名に代表されて、親鸞の『浄土真宗』として、地表に顕れたのでは無いかと思われるのです。この日本民族の深層意識となって居る精神は、今日も我々日本人に保たれている心でありまして、後に日本列島に侵入してきた『弥生人』によって嫌われ、歴史の上からは、抹殺排除されましたが、どっこい、根強く生き残り、今日まで日本人の心の中に、生き続けて居るのです。
これが、親鸞の説いた『浄土真宗』であります。聖徳太子の名のもとに伝えられて居る、『十七条憲法』の精神は、『篤く三宝を敬え』であり、『和を以て貴と成す』で有ります。三宝を敬うと云う事は、仏教の精神以外には、人類が永遠に平和を保って行く道は無いと言う事です。是れは、全人類に向かって明らかにすべき事であります。
この事を、嘗て、暁烏敏師が戦前に提唱したのです。戦後の混乱の中で、この提唱は、うやむやになり、忘れ去られて仕舞いましたが、今こそ、もう一度提唱しなければ成らない問題であります。
仏法は、権力や、威力で押しつけるものではありません。静かに話し合って納得されるべきものです。そんな悠長なことを言っても駄目では無いかと言われるかも知れませんが、仏教は元来そうしたものでありました。その為に、仏教は滅んで行った国もありますが、どっこい頑張って生き残っている地方もあるわけです。真理と言う者は、常にその様な形で生き延びていくものなのでしょう。
日本は、その仏教が生き残っている貴重な国で有ります。是れは偏に、浄土真宗のお陰であります。
浄土真宗以外には、真に人間の救いを成就する道は無いのです。随分思い切った事を云うようですが、浄土真宗が見出されたお陰で、聖道門の意義も見出されたわけです。聖道門が悪い訳ではありません。聖道門は、浄土門の爲の要門であります。
要門は、道を得るために、如何しても潜らねば成らぬ、必要な通路であります。故に、浄土真宗に到るための必要な課程で有るのであります。
私が、仏道成就の爲には、『三つの関門』を潜らなければ成らないと云うのは。人間が救われるための、必須の法則であるからであります。其れは、日本に於いて、法然、親鸞に依って見出された法則でありました。
インドで仏教が衰えたのは、大乗仏教は生まれましたが、浄土の教は充分完成し得なかったからで、浄土真宗までは到達出来なかった爲であります。中国でも現在、仏教は見失われています。矢張り、善導大師までは伝えられた浄土教が、善導以後途絶えたた爲であります。
日本に於いてのみ、仏教が生き残れたのは、まさしく、浄土真宗が仏教を支えたのであります。日本に於いて、初めて、浄土の教えが、晴れて天下に真の姿を表したのであります。
これは、『三つの関門』を潜ってこそ、『往生浄土の道』が、完成される事を証明するものであります。浄土真宗は、まさしく、人間の救いの道を、はっきり指し示すもので有りました。我々は、遠慮する事無く、この事実を海外に発信すべき時が訪れて居る事に目覚めなければ成りません。
戦前は、武力で日本精神を世界に伝えようとしました。其れは明らかに間違いでありました。人間は、武力によって納得するものではありません。話し合いに依って時間を懸けて、言い分を聞いてもらうより道はありません。其れには、時間と辛抱が必要です。
成功するかしないかは判りません。然し、それより外に方法は無いのであります。所が、人はせっかちですから、この方法には耐えられなくなり、いきなり、他の方法を用いようとするのです。其れが世界紛争の原因です。
この儘、世界紛争に巻き込まれて、人類は滅亡して行くのでしょうか。悲しいことであります。人類滅亡の末路を見ることは、悲しいことでありますが、是れも、因縁の然らしめる所でありますから、何とも、致し方の無い事であります。念仏して死んで行くまでの事であります。
兎に角、浄土真宗に依らねば、世界の平和は成就しないのでは無いかと思われるのですが、浄土の教えを辛抱強く語り続けて行くより方法は無いでしょう。これが、日本に生きている、念仏申す者としての今日的使命でありましよう。

水琴窟 56

問、 往生みたびになりぬるに
答、法然上人の和讃に、
  命終その期ちかづきて 本師源空のたまわく
   往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし
『往生みたびになりぬるに 』と言われる意味が判らなかったのですが、往生成仏を果たし遂げる爲には、三つの難関を潜って初めて成就為るのであると言うことに気付いてみて、三度目と言う事が頷ける様に思われます。即ち、釈迦の在世中に仏弟子としての生涯を送り、日本に生まれて聖道門から、浄土門に入り、浄土往生を願って、人間に生まれた意義を完成する事が出来たと言う事です。
 第一の関門は、外道から仏道への転回です。世尊の教えを聞き得たのです。世間の教えに従っていた者が、是れを捨てて、仏の教えを聞く事が出来たのです。是れは希有最勝の出来事で有りました。
 曇鸞大師が、『仙経ながく焼き捨てて、浄土に深く帰せしめき』と言われているのは、偏に、この第一の関門の前に立たれて、是れを超えることを、『菩提流支』から厳しく迫まられた事を語っているのです。
法然上人は、父が、仇のために殺される、その臨終に当たって、『お前は、父の仇を討とうとしてはならない、恨みに対して、恨みを持って返せば、恨みは何処までも尽きることはない。父の死を縁として、仏道を求めよ』と言い残したと言われています。その遺言が、法然の出家のきっかけに成ったと言われています。法然上人の例を見るように、この第一の関門を潜る事は、時に、命がけの事でありまして、容易な事ではありません。
 私は、海軍の航空隊の訓練を受けたものでありますが、その時、第一に要求されたのが、『娑婆気を捨てよ』と言う事でありました。これは、中々大変なことで在りました。即ち、娑婆への一切の未練を捨てて、『何時死んでもよい覚悟を決めよ』と言う事でありました。 其れは一応判っていましたが、何時死んでもよいとの覚悟は、容易に決められるものではありません。何度も何度も迫られてやっとその覚悟らしいものが出来あがって行きました。 然し、本当に死ぬ覚悟は出来なかったように思います。やむなく死ぬ覚悟をしていたのであります。其れは、今、申して居る『第一の関門』を潜る様な問題であったと思います。
 この第一の関門は、仏道に入るための、最初の大事な入り口であります。『娑婆気を捨てる』という事は、権力によって無理矢理に超えるより外に方法は有りません。しかし、仏道では、教権や、権力に依らずして、自然に成就されていく、自覚であります。其れが、仏道への目覚めであります。
 若し、この第一の関門を潜る事を怠って聞法すれば、折角の聞法が、皆、『有漏の経験』に終わるのです。有漏の経験は、いくら熱心に積み重ねても、決して、『無漏の経験』にはなりません。有漏の経験に終われば、仏教の知識は増え、物知りには成れるのですが、信心には成りません。如何に多くの人がこの誤りを犯していることでしょうか。
 仏教学者が、どれだけ仏教に精通しても『信心』には成らないのです。其れを物語っているのが、渡辺照宏氏と二葉憲香氏との論争でした。(水琴窟、14、参照)
渡辺氏は、仏教学者としては、自他共に許された人であるかも知れませんが、信心は獲られていない人でありました。その結果、仏教が観念論に成って居るのです。
是れは、仏教を学ぶ者の、最も注意すべき事であります。仏教が、如何に精緻に研究されて居ても、観念論に成れば、仏教の真精神が見失われ、単なる、理論に成るのです。是れは、仏道を求める者の最も恐るべき落とし穴であります。
 法然上人は、父上の遺言に依って、この第一の関門を潜り抜けた方でありました。それは,父上の死を通して成された、悲痛な経験であります。其の故に、必死の求道が始まりました。
 然し、必死の求道のあげくにも、まだ超えなければならない関門があるのです。其れが、第二の関門であります。『聖道門を投げ棄てて、選んで、浄土門に入れ』という関門でありました。
 法然上人の『選択本願念仏集』は、正しく、この第二の関門を潜ると言う問題に答えたものであります。法然上人は、『選択本願念仏集』を著わすことに、その生涯を尽くされたので有ります。
 是れは、誰も成し得なかった、大事業でありました。この第二の関門を見出した功績は、法然に譲るべきでありますが、仏道に関わる多くの人々が、但、観念論に留まって、永く、見出し得なかった課題でありました。
 聖道門は、仏道の基本でありまして、仏道を求める者は必ず学ばねばならない『要門』であります。此の、要門こそ、仏道とはどう言う道なのかを説く教えであります。此の、要門をしっかり学んでこそ、その上に仏道の救いの道が明らかに為るのであります。
 従って、この要門を疎かにしては、仏道は、成り立ちません。浄土の教えを聞く人も、この原則を、よくよく、心得て置くべきであります。
 然し、この要門の世界に留まって、其れから先に進めない者が居るのです。自分には、聖道門の修行が出来るはずだと言う思いを捨てられないのです。その人は、聖道門で頑張れば良いのです。其れが禅宗などの修行者です。
 人間は、よくよく、自己肯定の存在でありますから止むを得ないわけです。如来は、其れを許して、修行を続けよと仰せになるのです。
 聖道門の修行では、自分は助からない存在であると気付いた者だけが、この第二の関門を潜って、浄土の教えに辿り着くのであります。
 浄土の教えは、『唯、本願を信じて念仏申せ』と言う教えであります。本願力回向によりて、阿弥陀の浄土に往生するのです。しかし、目出度く弥陀の浄土に往生しても、仮土に生まれる者が居るのです。その為に、更に、第三の関門が用意されて居るのです。
 折角、弥陀の浄土に生まれながら、仮土に生まれて、三宝の慈悲に離れて、真実報土に往生出来ないのです。それは、偏に仏智疑惑の故であります。其の爲に、第三の関門があるのであります。
 第三の関門とは、浄土門の中の、『正助二業の中、助業を傍らにして、選んで正定業を専らにすべし』という問題であります。是れは、親鸞聖人によって明確に意識せられたものでは有りますが、既に、善導大師によって語られていますので、善導・法然によって見出されて居たもので有ります。
 此の、第三の関門は、『佛智疑惑の罪』であります。仏智疑惑とは、人間の思いを優先して、仏の智慧を疑う事であります。
 私の思いを第一に考えて、何処までも、自己の思いを正当化し、仏の教えには耳を貸そうとしない、頑なな、自己肯定の我執の心で有ります。其れが、仲々見えないのです。
 この心は、私の最も深いところに巣を作っている根性でありまして、人生の終わりまで無くならない根性で有ります。
 この三つ目の関門は、仏の智慧の前に連れ出されて、教えによって叩かれて、叩かれて、如来の前に謝り入る以外には、手の施し様の無い代物で有ります。
親鸞聖人が、晩年になって、『仏智疑惑の罪』に就いて、執拗なほど繰り返し、繰り返し和讃に詠われているお意を、不審に思っていましたが、その深いお意が、やっと頷ける様に思われます。
 この第三の関門を潜ってこそ、念仏の救いは成就為るのです。ここに、初めて、人間に生まれた喜びを、全身に満喫する事が出来るのでありました。
この三つの関門を潜って初めて往生浄土が果たせるのでありました。其れを表す爲に、わざわざ、『往生三たびになりぬるに』と言う和讃が作られて居たのでありましょう。
 この様に、仏道成就の爲には、必ず、『三つの関門』を潜って、超えなければならないのです。これは、仏道の鉄則でありました。仏道を志す者が、銘記すべき事であります。
 此れは親鸞聖人に依って初めて意識されたものでありますが、仏道を成就した人々には、理解されていたものでありましょう。其れが、地下水の様に大地の底を流れ続けていて、親鸞にまで流れてきて、地上に現れたのです。親鸞聖人のお陰で、私はその事を知らせて頂きましたが、浄土の祖師達は既にその事を知って居られたのでありましょう。
 私も、此の三のつ関門を潜り抜けて、『往生三たびに成りぬるに、この度、殊に遂げやすし』と、高らかに歌いつつ、今生を『おさらば』したいものと思って居ます。

胎生と化生の問題

胎生と化生の問題  岡本 義夫

 
 胎生と化生の問題 (1)
 康僧鎧の翻訳と伝えられる『仏説無量寿経』(以下『魏訳』と呼ぶ)は、経の終わりに至って『胎生と化生』の問題を提出します。
 このことは、翻訳年代から見て、『魏訳』が他の異訳の大経に先んじていると考えられます。古い翻訳と言われる『二十四願経』では所謂「三輩章」の中で、第二輩と第三輩の者に胎生の者が有ると説いているのですが、『四十八願経』である、『魏訳』と『如来会』には経の終わりに至って、この問題が特に取り上げられて説かれています。(宋訳も同様ですが、これは今は略します。)
 『魏訳』を読んでみると、胎生の教説の前に阿難が世尊に促されて、起坐敬礼します。
 「仏阿難に告げたまわく『汝起ちて、更に衣服えお整え、合掌恭敬し無量寿仏を礼すべし・・・」(島地聖典 1/70 )【以下同じ】
 これは『開顕智慧段』と名付けられる一段ですが、いきなり唐突に出て来るので理解に苦しむのですが、先の『二十四願経』には、この部分で、世尊が阿難に称名念仏を勧めて居られるのです。
 「仏言わく、なんじ起ちて更に袈裟を被て、西に向かいて拝し、日の所没する処に当たりて、阿弥陀仏の為に礼をなし頭を地に着け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え・・・」
     ( 真宗聖教全書 三経七祖部 179頁)
 阿難がこの世尊の言葉を受けて、念仏を称えると、大衆も一斉に念仏を称えます。すると阿弥陀仏の浄土が現れるのです。この経では明らかに世尊が称名念仏を勧めて居られるのです。ところが、四十八願経になるとこれが無くなって、『無量寿仏を礼すべし』となっています。
 称名念仏に対する警戒が感じられます。歴史的に称名念仏に対して、警戒すべき問題があったのかも知れません。
四十八願経と二十四願経との相違点は幾つも数えれますが、その一つに称名念仏が露わに説かれなくなったという事があります。
 更に、本願文の変化が有ります。即ち、二十四願経では、魏訳の十七願と十八願が一つの願として誓われて居るのに対して、四十八願経では十七願から二十願まで詳しく分離されています。特に十九願と二十願が十八願に続いて説かれていることです。     
 この魏訳が翻訳される時に当って、既に、胎生の問題は意識されていたものと考えられますが、これに、はっきりとした自覚を与える為には、遠く海山を隔てた日本の地まで、二千年の時間を懸けて仏法が伝承される必要がありました。
 法然上人までは、この問題はあまりはっきりとは自覚されていません。親鸞聖人に至って初めて、重大な問題として発見されたからです。
 『魏訳』の阿難が無量寿仏を礼念する場面を、二十四願経に照らして読んでみると、この時、大衆が一斉に念仏して居る様子が想像されます。光明の洪水の譬えがひかれていて、浄土とこの世とが一緒になって念仏の渦が湧き起こっています。
 我々は、昔、講習会で、念仏の合唱を体験したものでした。あの頃は高声念仏が流行している時代でありました。念仏の渦巻きの中で念仏して居ると、念仏の雰囲気に酔って、これが浄土の姿かと思うこともありました。それを思い出すとき、『魏訳』のあの場面が『さもありなん』と想像されるのです。
 親鸞聖人も、法然門下の念仏合唱の光景を見ておられたものと思います。その念仏合唱の姿の中に、胎生の者と化生の者が居ることを見て居られたのでありましょう。 
 世尊は、念仏合唱の中に、胎生の者と化生の者が居るのを見たかと阿難に注意をされました。阿難は、世尊に注意されてそれに気付いたのでしょう。
 親鸞も、この世尊の教説によってこれを知ったのです。しかし、『魏訳』の翻訳者は、既に、この事に気付いていたに違いありません。何と云う慧眼でしょう。このような智慧による、内観自覚の歴史が、大無量寿経の歴史であります。
 親鸞聖人は、化身土の巻の初めに、
 『然るに濁世の群萌・穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり、偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し・・・』と、悲痛な述懐を述べて居られます。
 『自分は間違っていないが、あの人達は違っている』と云うのであれば、誰でも云えます。ところが、これは『仏の仰せ』『仏言』であります。人間の判断ではありません。
 如来の教誡は、人間の心から出るものではありません。従って、ただ頭を下げて承るばかりであります。一斉に念仏している大衆の中に、胎生の者と化生の者が居るなどと云う事は、如来でなければ見出せないことであります。阿難も如来に云われて初めてわかったのでしょう。
 親鸞聖人も、この教えによって、『胎生と化生の問題』の重要な意味に目覚め、化身土の巻を開かれたものと思われます。

   胎生と化生の問題 (2)
 二十四願経の第二輩(中輩)と第三輩(下輩)に説かれている胎生の者は、阿弥陀仏の国に生まれようとする者の一部でありました。上輩の者には、胎生の者が居るとは説かれてはいません。
 四十八願経の場合は、世尊が阿難に注意して居られます。阿難は世尊の注意を受けて初めて胎生の者と化生の者が居ることを知ったのです。
 一斉に念仏している姿を見て、この中に胎生の者と化生の者が居ることを見出だすことは、仏の智慧で無いと出来ません。人間の智慧では出来ないのです。
四十八願経が胎生を特別に経の終わりに説いたのは、如来の智慧の目から見出された、哀愍すべき衆生の実相を知らせんがためでありました。
 二十四願経も勿論仏説ですから、中下の衆生をさげすんで仰せになるわけではありませんが、二十四願経を人間の発想で読むと、自分は上輩の者であると自負して、中下輩の者を胎生者とさげすんで批判している見方になります。
 あくまでも、如来の教説であることを忘れてはなりません。この教説の前に自己の実相を知らされ、胎生の者とは誰のことかを知らされて、如来本願の広大恩徳を仰ぐべきであります。
浄土真宗に帰すれども 真実の心はあり難し
虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし
   無慚無愧のこの身にて まことの心はなけれども
    弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたもう
 これは愚禿が悲しみ嘆きにして、述懐としたり
と和讃にあるように、親鸞聖人は、無慚無愧 のこの身と言い、まことの心の無いものであると自己を自覚して居られます。胎生者とは、親鸞その人の内観によって見出された、自己自身の自覚でありました。
 胎生の者を外に眺めている限り、折角の世尊の教誡も虚しく終わります。如来の教誡を自身の上に受け止めて、念仏申すべきです。
 大無量寿経の胎生化生の文が、十九願と二十願の願成就の文であると云われても、どうしてそうなのか、もう一つはっきり受け取れない気がしていましたが、この胎生の問題こそ。化身土の巻が開顕された理由であった事を知らされてやっと納得されました。    因縁に恵まれて仏法を聴く事が出来たのですが、真なるものが少なく、虚なるものが多いという事実、一斉に皆と共に念仏しているのに、胎生の者が多く混ざって居ると云う事実を知ったならどんなに悲しい事でしょう。それが、親鸞聖人に化身土の巻を開らかせた理由なのです。
化身土の巻は、大部なものであります。ある意味では、教行信証六巻開顕の意義は、正しく、化身土に有ったと言うことも、決して過言では無いかもしれません。
 憶うに、化身土巻には、教誨が二つありました。
 一つは、『正真の教意に拠りて、古徳の伝説を披き、聖道浄土の真仮を顕開して、邪偽異執の外教を教誨し、如来涅槃の時代を勘決して、正像末法の旨際を開示す。』とあります。
 二つには、『夫れ、諸の修多羅に拠りて真偽を勘決し、外教邪偽の異執を教誨せば』とありました。
この二つの教誨を見ると、化身土巻の問題がはっきり見えてくるようです。 即ち、一つには真仮の問題でありますし、今一つは真偽の問題であります。
 胎生の者は、真偽の問題は超えて居る様に思われるので、今さら迷信に走ることは無いようですが、案外せっぱ詰まると、真偽の区別が分からなくなるのです。
 さらに、真仮の問題は、最も難しいもので、簡単に真仮を取り違える危険があります。
 これらの問題は、仏法を聞かない人の問題ではなくて、既に、永く聞法している人の上に見られる現象であります。
 真仮と真偽の混乱が、聞法者の緊急課題でありました。胎生者は、七宝の宮殿に居ると云われます。これは本人は、得意の絶頂に居ることを意味します。しかもその宮殿の床は、その人の向かう方にぐるぐる回ると云います。従ってその人は常に七宝の宮殿を見ているわけですが、悲しいかな、その人の視野に映っている限りの七宝なのです。
 何とも皮肉な譬えであります。その人間が見ている限りの七宝の宮殿でありますから、見えない部分がどんなに悲惨なものであっても、本人には一向に気が付かないのです。これが『懈慢界』と名付けられた 『菩薩処胎経』に説かれている宮殿の描写です。名が示すように、懈怠心と憍慢心の世界ですが、自分では気付かず、却って得意になっているのです。
 特に、真仮の区別がつかない者は、『真仮を知らざるに由りて、如来広大の恩徳を迷失す』(12/159)と言われます。
 真仮とは、聖道門と浄土門のことでありますが、同じ仏法の内である聖道と浄土の区別がつかないこと位で、そんなに大きな問題ではあるまいと思われます。ところが、親鸞聖人にとっては、重大な問題でありました。
吉水の教団は、この事だけで、四名の死罪と、七人の流刑者を出したばかりではなく、吉水の教団が崩壊したのであります。
 『真仮を知らざるに由りて、如来広大の恩徳を迷失す』と云う事は、重大な過失でありました。
 
胎生と化生の問題(3)
 『真仮を知らざるに由りて・・・』という重大な過失とは、『正像末法の旨際をわきまえない』ことであります。
 今は末法の時であります。末法の時に聖道門は修し難く、悟り難い教えであります。
 修し難い、悟り難いと云う事は、単に困難であると云うのではなく、不可能であると云うことです。
 末法の時代には、聖道門の修行では、悟りを得ることは不可能であると云うことです。これはすでに道釈禅師によって指摘されていましたが、誰もそれに耳を貸す者が居なかったのです。
 法然上人が、善導大師の指南によって、初めて日本に於いて取り上げられました。これは大変な事でありました。殆んどの人は、それを知らずして、いたずらに専修念仏を誹ることに専念したのは、重大な過失を侵すものでありました。
 聖道門の人たちも念仏を非難したのではありません。念仏は自分たちも称えているのです。彼らが非難したのは、『専修念仏』なのです。『専ら、念仏のみを称える』と云うことです。他の聖道門の修行を排して、『唯、念仏だけを称えればよい』と云うのは、偏頗な考えであると云うのです。誠にもっともな意見です。
 ところが、法然上人にすれば、その考え方が重大な過失であると云うのです。法然門下の人々の中に、この法然の主張を正しく理解していたものが幾人あったのでしょうか。
 親鸞聖人が化身土の巻を書かねばならなかったのはこの為でありましょう。色々の修行がある中で、聖道門の修行はどれも皆困難な修行であることは誰でもよく知っていることです。しかしその中で念仏の修行は容易なものです、だから念仏を称えて往生成仏出来ればそれが一番たやすい道であると考えて、念仏を選んだと云うのです。それを『諸行往生』言います。
 法然上人は、『諸行往生』も認めていられます。但し、それは本願の行では無いと云うのです。聖道門に遠慮して、遠回しに表現してあるようです。その為に、上人没後、鎮西派の第三祖良忠上人は、諸行往生を鎮西派の念仏の正義といたします。これは聖道門に後退したのです。即ち、『真化を知らざる者』に転落したのです。
 親鸞聖人は、法然上人の真意は、専修念仏であることを察知して、専修念仏の意味を問い続ける道を選ばれました。
 諸行往生は本願の行では無いのです。即ち、人間が選ぶ行なのです。ですから、人間の要請にこたえた行なのです。従って、阿弥陀仏の本願は無視されています。仏智を疑うものです。本願の真意は見失われています。それを『広大の恩徳を迷失す』と云うのです。
  仏智疑う罪ふかし この心おもいしるならば
   くゆる心をむねとして 仏智の不思議をたのむべし 
  仏智の不思議をうたがいて 自力の称念このむゆえ
   邊地懈慢にとどまりて 仏恩報ずるこころなし (疑惑和讃)
 『仏智を違う罪』を自覚して、仏智の不思議をたのむ者こそ、本願に相応して浄土往生を遂げる事が出来るのであります。
 ここに、胎生の者と化生の者との区別が生まれるのであります。親鸞聖人はしつこい程疑惑和讃に、何回も何回も繰り返して、仏智疑惑の罪を誡められています。それほど親鸞聖人にとって、胎生と化生の問題は重大でありました。
 魏訳の大無量寿経が、称名念仏を露わに説かなかった理由も、この辺の事情に由るのかもしれません。称名念仏には、確かに胎生と化生の区別がつかない欠点がありました。しかし、だからと言って称名念仏を否定したら、本願の趣旨は失われます。誠に微妙な問題であります。親鸞聖人の苦悶の程が偲ばれます。なぜあれ程までに疑惑を悲嘆されるのかという思いがありましたが、仏道を歩むものが必ず陥る難関として、仏智疑惑の罪の重大さを見出されていたからであります。
 『仏説観無量寿経』と『仏説阿弥陀経』の二巻の経は、まさに胎生の問題を内に秘めながら、極楽の荘厳を説いていました。その秘密を、親鸞聖人は『顕彰隠密の義』として説き明かされました。
 『仏説観無量寿経』は第十九願の、『仏説阿弥陀経』は第二十願の、それぞれの往生には『胎生の往生』が隠れている事を秘かに語っていたのです。
 『仏説観無量寿経』には韋提希夫人の救いが説かれていますが。その背景に親鸞は、第十九願の『諸行往生』の心、即ち『如来の本願力を信ぜず、『自ら行じた諸善万行の功績を頼みにする心』が隠れている事を見出したのです。
また『仏説阿弥陀経』には、みずから称えた念仏の功徳を回向して、往生を遂げんとする『人間の深い野心』が隠れている事を見破ったのです。
 これは何れも本願を疑う罪でありました。第十九願には『己の善根を頼む心』があり、第二十願には『如来回向の功徳を盗む心』があります。それが本願を疑う罪であります。
 『仏説観無量寿経』も 『仏説阿弥陀経』も、阿弥陀如来の浄土の荘厳を説いているわけですが、唯それだけでなく、親鸞聖人は自己内観の智慧の眼によって、そこに、胎生の者の存在を示唆している仏の教説を見出したのです。

    胎生と化生の問題(4)
 化身土の巻に『夫れ、「雑行・雑修」其の言葉一つにして、其の心惟れ異り』と云う御文があります。(12の174)
 これは難解なところでありまして、先輩達も仲々理解に苦しんでいられる所であります。しかし、よく見るとその前で文章が切れています。それで『夫れ・・・』と云う言葉が出ているのでしょう。
 長い御自釈の途中ですが、『すでに真実の行の中に顕し畢んぬ』で文章が一度切れて、改めて『夫れ・・・』と始まっています。ここからは、『雑行・雑修』と云う問題が取り上げられています。
『雑の言に於いて万行を摂入す』と言い、『雑の言は、人天・菩薩等の解行雑るが故に雑と曰えり、本自リ往生の因種に非ず、回心回向の善なり』と言われています。  更に、『諸善兼行するが故に雑行と曰う、定散の心雑るが故に雑心と曰うなり』とあり、また、『雑修とは助正兼行するが故に雑修と曰う、雑心とは定散の心雑るが故に雑心と曰う』とあります。 
 何ともややこしいのですが、じっくり読んでみると『定散の心雑るが故に』と云う言葉を二回繰り返してあります。定散心が二つあるわけです。一つは『諸善兼行』する定散心であり。いま一つは『助正兼行』する定散心であります。  
 諸善兼行は十九願の心であり、助正兼行は二十願の心であります。いずれも同じ『定散心』と言ってありますが、十九願と二十願の相違があるのです。十九願も二十願も、この『定散心』の故に『胎生の者』となるのです。
 諸善兼行は、もろもろの善を励むのですから結構な事でありますが、その為に権実真仮の区別がつかなくなり、末法の世の愚悪の衆生の自覚が見失われて、いつの間にか僅かな善根をよい事にして自惚れ、身の程を忘れて懈慢界に堕ちるのです。
 助正兼行は、善導大師の教えである五種正行を大事に勤めるのですから、何も悪いことは無い筈ですが、助業と正定業の区別がつかず、正定業の意味が判らないのです。五種の正行を専らにする事は善導大師が勧められる浄土の正しい行でありますが、弥陀の本願に誓われた正定業は、『一心専念弥陀名号』の念仏でありました。それは『彼の本願に順ずるが故に』正定業なのであります。衆生が称える念仏ではありますが、『順彼仏願故』の念仏であります。衆生に功績があるのではなく仏願に功績があるのであります。所が、二十願の衆生は、本願の念仏を『己の善根』にしているのであります。ここに、仏智疑惑(如来無視)の罪があるのです。
 諸善兼行は第十九願の心であると云いました。『仏説観無量寿経』には、顕彰隠密の義があると親鸞聖人は頂かれています。それは、善導大師の『上来定散両門の益を説くと雖も、仏の本願に意を望まんには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称するにあり』とのお言葉を受けて、『無量寿仏観経を案ずれば、顕彰隠密の義あり。顕と云うは、即ち定散諸善を顕し、三輩・三心を披く、然るに二善・三福は報土の真因に非ず、諸機の三心は自利格別にして利他の一心に非ず。如来の異の方便・欣募浄土の善根なり。是はこの経の意なり、即ち是れ顕の義なり』と示されたのであります。
 諸善兼行の者は、実は念仏の『サンガ』の一員であります。法然門下の念仏者は、全て純粋な他力念仏の人達ばかりではありませんでした。それが、この世の『サンガ』の実態であります。しかしその『サンガ』に支えられて、その中から真の念仏者が誕生するのでしょう。  
 親鸞聖人が第十九願を大悲の願とされるのも。まず『この世のサンガ』に勧め入れて、やがて真の念仏者に育て上げる為の方便の願だからです。 
信心の人におとらじと 疑心自力の行者も
如来大悲の恩を知り 称名念仏はげむべし
 疑心自力の行者も決して卑下してはなりません。自分もサンガの一員として、如来大悲の恩を篤く蒙って、その中に包まれて居るのです。如来の大悲の恩徳に包まれて居ながら、『仏智を疑う罪』を抱えている事に目覚めて、深く自らを懺悔すべき者であったのであります。
 これは助正兼行の者も同様であります。助正兼行とは、第二十願の心であります。この願は、『仏説阿弥陀経』に『不可以少善根福徳因縁得生彼国』と説かれ、『執持名号  若一日・・・若七日 一心不乱』 と説かれます。また、『我見是利 故説此言』と言われました。   
 所が、同じように一心に専ら念仏しているのですが、助正兼行の念仏と、正定業の念仏と二つあるのです。一つは、胎生の者の念仏であり、いま一つは本願に相応した念仏であります。外から見れば全く同じ念仏であるのに、異なると云われるのは何故かと云いますと、信心が異なるのであります。
 信心が異なると云えば、簡単なようですが、これを自覚する事は大変な事であります。
親鸞聖人が『信心』に特に注目した理由はここにありました。
 法然上人は『往生の業には念仏を本と為す』と言われ、念仏を中心に教化をされましたが、親鸞聖人は『信心を要とすべし(歎異抄)』と仰せられ、信心に重きをおかれました。 是は別に法然上人の『念仏』に異をとなえて、『信心』と言った訳では無いと説明されてきましたが、従来なんとなくその理由はぼんやりしていました。同じ事を云われるのであれば、言葉を変える必要は無い筈です。現に、他のお弟子方は、そんな事をしていません。
 親鸞聖人が、なぜ念仏と云わずに信心と云ったのか、その理由ははっきりしています。念仏を勧めるのみでは胎生と化生との区別がつかないからであります。それは法然門下の吉水教団の中に胎生の者と化生の者とが混在している現状を目の当たりにしていたからであります。
 親鸞聖人はその吉水教団の現状を見て、これが現実の『この世のサンガ』の姿であると知られたのでありましょう。『この世のサンガ』の実態は、純粋な『浄土サンガ』ではありません。必ず胎生の者と化生の者が混在しているのです。其の現実のサンガの中に身を置いて、私はどういう存在なのかと云う事が問われねばなりません。
 『勿論、俺は化生者だ』と云い切れるのか。それとも、『サンガの中に包まれて居ながら、仏のお心が判らず、胎生の者に留まって居る存在でありました』と自らに覚めて謝り入るしかない存在なのか、それが大きな問題であります。
 曽我量深先生が、『歎異の精神』と云われた意味がこれでありました。『歎異の精神』と云うのは、『自分は正しいが、あの人達は間違っている』と他人を批判するのではなく、自己を省みて自分の中に『先師口伝の真信に異なることを嘆く』事でありました。
 他人を批判するのであれば、『破邪顕正』であります。『歎異』とは言いません。我が宗門には、『歎異抄』と『改邪抄』(がいじゃしょう)と云う二つの聖教が伝えられています。『改邪』と言えば、自己は正義に立っていて、他の異なるものを改めると云う意味になります。歎異抄は内観の立場であり、改邪抄は外から眺めた立場です。
 ドイツの友達の学生に歎異抄の翻訳の手伝いを頼んだら、ドイツ語には『歎異』と云う言葉が無いと言って、『歎異』と云う言葉を説明するのに困ったと云う話を聞きました。外国語には、『歎異』と云う言葉は無いのでしょう。
 これは、或いは浄土真宗にだけ通用する独特の言葉かもしれません。『破邪顕正』と云うことなら、洋の東西を問わず通用する言葉でありますが、『異なることを嘆く』などと云う言葉は、東洋にも西洋にも聞いたことが無い言葉です。浄土真宗にだけ『歎異抄』に出てくるのですから、ドイツの方が戸惑ったのは無理もありません。
 『ハザード』と云う言葉を新聞やニュースで見かけます。何でも邪を打ち破る為の戦争と云う意味だそうです。そういえば戦前の日本でも、しきりにそんな言葉が飛び交っていました。其の場合それを云っている本人は正義の騎士の心算でしょうが、自己の殺戮を正当化するための言い訳であります。
 『邪』は徹底して打ち滅ぼす事が、『正義』の為の神聖なる行為であると信じられてきました。しかし、歎異抄には、『聖人の仰せには、「善悪の二つ総じて持って存知せざるなり。その故は、如来の御こころによしと思召すほどに知りとおしたらばこそ、よきを知りたるにてもあらめ、如来のあしと思召すほどに知りとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそおおせはそうらいしか。まことに、われもひともそらごとをのみもうしあい候』と述べられています。
 善悪邪正を争う世界は『存知』の世界です。存知は人間の計らいの世界です。人間の存知の世界では、常に善悪邪正の争いが絶えないのです。ぞれを『そらごとたわごとまことあることなし』と見極めて、『ただ念仏のみぞまことにておわします』と決定した所に仏道がありました。これはすでに『世間虚仮、唯仏是真』と言われ、聖徳太子の座右の銘であったと伝えられているように、仏教の昔からの古い伝統であります。
 更に、仏教には『歎異の精神』と名付けられるものがあったのです。これは決して浄土真宗だけのものではありません。仏教全体の精神でありますが、何時の間にか聖道門では忘れられて、浄土真宗でのみ用いられる様になったのでしょうか。しかしこれは明らかに仏教全体に通用すべき精神でありました。
 歎異の精神とは、胎生の自己に覚めて、これを克服する為に限りなく浄土に向かって歩み続ける事を云うのです。若しその歩みを留まれば胎生であり、歩み続けるならば化生であります。
 従って、化生とは名詞では無くて動詞であります。胎生の者は、仮城の快楽に酔うて先に向かって旅を続ける事を欲しないと云われる意味がそれであります。仮城に留まれば胎生、自己の居り場所が胎生である事に目覚めて、立ちあがって歩み続ける事を化生と云います。
胎生と化生の問題 (5)
 化生とは動詞であります。動詞であると云うのは、仮城に留まって動かないのが胎生であり、本来の自己を求めて歩み続けるのを化生と云うのです。
 本来の自己と云うのは、私達が普通に自分だと思っている自分は実は本当に自分ではありません。末那識の働きによって自分だと勝手に思い込んでいる自分なのです。
 本当の自己は、私には判らないのです。しかし判らないでは済まされませんので、適当に是が自分であろうと決めてかかっているのです。それが本当の自分で無い証拠は、自分の思いや願い事をかなえるために尽くしても尽くしても満たされないのです。まだ足りない、まだ足りないと云うのです。それは自分が尽くしている主人公が、実は偽物であるのですがそれが判らない所に人生に悲劇があるのです。
 仏法は本当の自分を尋ねる為の教えです。いや、もともと人生とは本当の自分を訪ねる為にあったのです。しかしどちらを向いて尋ねて行けばよいのかも判らないのですから始末が悪いのです。
 善導大師は、二河白道の譬えでは、『人ありて西に向かいて行かんと欲するに百千の里あらん』と言われました。是が求道の初めであります。『西に向いて行く』と善導大師は云われます。しかしこれはあくまで譬えであります。
 『西に向かう』と云うのが最も適切な譬えでありますが、『西』とは何を譬えているのでしょう。それが判らないと何にもなりません。所が善導大師は、西については、西岸極楽世界とだけ言って、それ以上は何も解説していません。
 そこで、安田理深先生のお考えですが、あの二河白道の譬えを九〇度左に回転してみよと言われました。そうすると、西が下になり、東が上になります。
 東とは、私共の生活の場です。愛憎善悪、喜怒哀楽の世界です。私たちは、上にむかって這い登ろうともがいています。或る者は足を引っぱられて堕ちて行きます。また或る者は自ら足を滑らせて堕ちて行きます。そこで今度は他人の足をつかんで引きずり落とし、それを踏み台にして上に登ろうとします。是が生存競争と名付けられたこの世の生きる為の戦いであります。その生存競争の足元は、貪欲と瞋恚の海であります。貪欲と瞋恚の底にあって貪欲と瞋恚の源となっているのが愚痴であります。この愚痴こそは、我々の一切の悪業の根源であって、無明とも申します。これは、我らの深層意識の底に潜む自我意識【末那識】であります。この自我意識が源となって、この世の一切の愛憎善悪、悪業煩悩が展開しているのです。
 この貪欲と瞋恚と愚痴の海は、深くして底なく、広くして辺なし、果てしもなく続く大海であります。それを火の河と水の河とに譬えたのは、貪欲が起こって居る時は、瞋恚は起こらず、瞋恚が起こって居る時は、貪欲は起こらないからであります。
 西に向かうとは、その足元の、貪欲と瞋恚の海の底に向かって、深く深く自己を掘り下げて行く事でありました。これが、内観の仏道の歩みであります。
 ところが、この内観の歩みは、貪欲瞋恚愚痴の姿を内観凝視する歩みでありますから、自我意識にとって決して快いものではありません。苦痛に満ちた歩みであります。従って、誰も初めから喜んで歩む者は居ないのです。
 しかし、進む事も死、留まるも死、後に引き返すことも死と云う『三定死』の窮地を自覚せざるを得なくなった時、初めて人間はこの『西に向かって行け』と云う教えを思い出します。そうして、この教えを思い出した人間だけが、敢えてこの苦痛に満ちた道へ足を踏み入れようと決心するのです。しかし、容易には踏み出せません。それは死を意味する恐ろしい道でありました。
 その時、『仁者、但決定して此の道を尋ねて行け、必ず死の難なけん、若し住まれば、即ち死せん。』と言う東岸の善知識の声が聞こえてくると言われます。さらに、西の岸から『汝、一心正念にして直ちに来たれ、我よく汝を護らん。』と云う召喚の声が聞こえると云うのです。
 これは誠に善く譬えられた譬喩であります。我々がもし、この発遣と召喚の声を聞き得たなら、初めて『内観の道』に立つ事が出来るのです。阿弥陀仏の浄土は、私共の足元の貪欲と瞋恚の、その底にある愚痴の、更にその底に隠れている自我意識の底まで掘り下げて行った、内観の歩みの、その果てにあるのです。
 正に『内観の一道、彼岸に通ず』のお言葉通りであります。『内観の一道』とは、貪愛と瞋憎の底を深く掘り下げて、無意識の領域にまで透徹して、そこに隠れている自我意識を見出して、これこそ私の迷いの正体である事を自覚した歩みであります。
 この様な内観の歩みは、、人間の努力では出来るものではありません。必ず、如来の智慧光の働きを蒙らなければ成就しないのであります。従って、我々に於いては、聞法に聞法を重ねて、次第にお育てを蒙り、その聞法のあげくに漸く到達できる世界であります。
 『ただ念仏して、弥陀に助けられまいらすべし』と云う事は簡単な事の様でありますが、その内奥には、以上のような歩みの歴史が隠されていたのです。それを『極難信』と云います。念仏は『行』は易行でありますが、『信』が難信であります。即ち、内観の道をたどって漸く到達できるのが、『信』だからです。念仏の易行は極難信の『信』に支えられて居ますから、どんな人でも念仏一つで救われるのです。
 極難信と聞いて驚いてはいけません。と同時に甘えてはいけません。極難の信を成就す
る根源に、真如の働きがあるのです。即ち、一切衆生の根底に、宿りたもう真如の働きがあったのです。これを『・・・法性と云う、真如と云う、一如と云う、仏性と云う、仏性すなはち如来なり、この如来微塵世界にみちみちてまします。即ち一切群生界の心にみちたまえるなり。草木国土ことごとく皆成仏すと説けり。・・・』(20の7、唯信抄文意)と、親鸞聖人は頂かれました。
 唯識学では、『本有の無漏の種子』が、一切衆生に生まれながらに宿っていると云います。まことに、大いなるものは一切のものの内に宿って、常に働き続けているのでありました。これを『仏恩の深重なるを念ず』と親鸞聖人は喜ばれました。
  
胎生と化生の問題 (6)
 胎生の者とは誰の事か。この人生に生を享けて、仏法に遇い、其のサンガの一員に
加えられた喜び、これに過ぎるものはありません。
 所が、其のサンガには、胎生の者と化生の者が居ると、世尊は説かれたのであります。その胎生の者とは、一体誰の事なのか。あの人とこの人が胎生の人であろうと考えるのが、凡夫の分別の智慧であります。しかし、私は如何であるのか。考えた事があるでしょうか。親鸞聖人は、自己の上に胎生のものを見出されたのであります。愚禿悲嘆述懐和讃はそれを語っていました。
  不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して
   罪福信じ善本を たのめば邊地にとまるなり。
  仏智疑惑のつみにより 懈怠邊地にとまるなり
   疑惑のつみのふかきゆえ年歳劫数をふるととく   
これらの和讃は、島地聖典では、『疑惑和讃』となって居ますが、草稿本では、『愚禿述懐』となっており、後書きに『已上二十二首仏智疑う罪とがの ふかきことをあらわす
これを辺地懈慢胎生なんどというなり』と書かれています。
 蓮如上人が編纂された『文明本』では、親鸞聖人の真意が伝えられなくなっています。
蓮如上人は、宗祖のお言葉を聞く立場から頂かれたのでありますが、宗祖の真意は、
『愚禿述懐』でありまして、宗祖自身の事を述懐されて居るのであります。 難思録、 旅愁抄五 (p197)に、
 『念仏の心は。今まで人生を楽園にすることが出来るように考えた考えを、根底から打ち砕いて、劫初より未来際に亘って無明生死の荒涼たる大砂漠である事を自証する。しかるに、この荒涼の旅路にも、清い泉は湧き、念仏の淨華は咲いている。しかし、止まってはならない。さようなら感激の花よ。泉よ。大地の果てからしきりに喚びたもう声が聞こえる。私は新しい旅路に発たねばならない。』とあります。  
 『人生は旅である』とは、誰でも口にする言葉でありますが、『旅』の意味がよく判りませんでした。               念仏のサンガに出会い得た事は、この世に生を享けた者の最上の喜びであります。しかし、この喜びに何時までも浸って居てはならないのであります。ここに留まるものは、胎生の者と言われます。潔く、左様ならを云って旅立つものを化生の者と云います。
 この世のサンガは、化城です。旅愁抄七に、
 『・・・旅人よ。化城は安息の宿場である。理想の国、真理の都、涅槃の城は間近かである。歓喜の化城が壊れたとて悲しまなくてもいい。旅を急げとのことである。懈慢界の化城に足をとどめていつまでも眠ることが、道の如く思えたら、心の芯のとまった時だ。願往生心は、水火の中を進む、だが化城の現れるのも、化城の消えるのも大慈悲の恵みである。大慈悲を体感する事が、旅のいのちである。もののあわれという。』とある。
 人生の旅に疲れた人にとっては、手足を思う存分に伸ばして憩う世界がいる。化城は憩う世界である。心行くまで眠るがよい。しかし何時までも眠っていてはいけない。左様ならを云って新しい旅に発たねばならない。それが、一夜の宿を借りる旅人の姿であり、化生する者の姿であった。
 我々は旅人であります。願生の旅を続ける旅人であります。旅人であると云う事は、留まることを許されぬ者でありました。
 懈慢界・胎宮とは、旅人に留まる事が許されぬ事を教える教誡でありました。サンガの一員に召されて、思う存分手足を伸ばして憩うことが出来たら、また『左様なら』と言って新しい旅に旅立っていく、そこに、願生浄土の風光が展開されて行くのでしょう。
 私は、永遠の旅人であらねばなりません。しかし、その旅は、内観の旅であります。限りなく自己自身を凝視して、自己の真相に覚め続ける旅であります。決して物見遊山の旅ではありません。その事をしっかり心に入れて旅を続ける必要があります。
 胎生と化生の問題は、大無量寿経の帰結でありました。世尊は大無量寿経の終わりに当たって、願生者の大切な最後の問題を、お説き下さったのであります。
 我々の歩みが、胎生の者に終わるか、化生し続けるものになるかは、我々に人生の終わりまで続く課題であります。
 夜晃先生が、晩年に至って,『旅愁抄』を書かれた意味も肯ける様です。念仏のサンガに遇い得たことは、大慈悲の恵みでありました。しかし、その大慈悲に甘えてはならないのであります。『左様なら』を言って、その恵みの化城を後に為て,何処までも、何処までも,内観の旅を続ける事を要求するものが、大無量寿経の生き方でありました。
 今生に生を得て、大無量寿経の説法に遇うとが出来ました。誠に、不可思議の強縁であります。深く、大慈悲の恵みに深甚の御礼を申し上げつつ、此の稿を終わります。   南無阿弥陀仏。