2021年会座情報

御正忌 1月12日(火)、13日(水)(両日とも13:30~16:00)
初法座 2月3日(水)
彼岸会 3月18日(木)
永代経法座 4月20日(火)、21日(水)
安居会 7月6日(火)、七日(水)
お盆会 8月16日(月)
報恩講 11月18日(木)、19日(金)
年終法座 12月23日

同朋会・・・毎月28日前後に開催(くわしくはお問合せください)

碇草~ikarisou~

    いかり草 1
   日本の深層 (一)
 梅原 猛に、『日本の深層』という著作があります。(小学館、梅原猛著作集、6)
 彼は、母が仙台の生まれであり、母の死によって、父の生家である愛知県知多郡の田舎で育てられたのであるが、自分の血の中には、東北の血が混ざっていると述懐しています。此の『日本の深層』は、『梅原猛が、日本の本土に残る縄文文化の跡を訪ねた紀行文』であります。
 芭蕉の『奥の細道』は、江戸時代の日本人の常識である東北文化に対する偏見、『東北は文化の遅れた辺境の地』というイメージによって『奥の細道』と名付けられましたが、この『奥の細道』は、『江戸時代の小氷河期の過酷な風土を生き抜いた東北の人々に永遠の命が与えられ、日本人の全てが供有する心の原点となった。(安田貴憲、解説)』と解説されて居る様に、日本人の心に深い印象を残した書であります。
 又、『遠野物語』について、『柳田国男の『遠野物語』によって、明治末期の東北の片田舎の伝統的生活と民話に永遠の命が与えられた。』といわれています。(同上、解説)
『しかし、梅原先生のこの『日本の深層』によって、二十世紀後半の東北の人々と風土そして縄文文化の伝統に永遠の命が与えられたのである。(同上、解説)』と解説され、東北に対する偏見が拭いさられる切っ掛けを生み出した書であると、評せられています。 この三つの名著は、何れも、日本民族の心の深層に懐かれている、深層意識を揺り動かすものでありまして、私達の長く忘れていた故郷を思い出させる機縁になる著作でありましょう。
 蓋し、大和朝廷によって東北に追いやられ、文化に見放される結果になったのは、基づくところは、弥生人の縄文人蔑視の悪癖の結果であると言わねばならないのであります。
 今、改めて縄文時代を見直そうという時代を迎えて、彼(梅原猛)の此の書は、新しい脚光を浴びることになったのであります。
 彼は、度々、自分の推理は正しいものであると主張していますが、確かに、今日この書を一読すべき時が訪れていると思われます。 
 この書で梅原猛は、『縄魂弥才』という言葉を作っています。これは、佐久間象山の『和魂洋才』という言葉を捩って作られたものでありますが、『縄文の精神文化』の基礎の上に、大陸伝来の『弥生の才能』を積み上げて『日本人の原型』が作り上げられた姿を如実に物語って居て絶妙であります。
 紀元前三世紀頃に大陸から日本にやって来た、弥生人に依って齎された、文字文化と稲作技術、並びに青銅と鉄の鋳造技術は素晴らしいものでありましたが、その技術を巧みに取り入れて、『日本人の基礎』を作り上げた『縄文人の根性』には、したたかなものがあったと言わざるを得ません。其のエネルギーは何処から来たのか、其処に、縄文時代という文化的基礎が存在して居たのであると思われます。
 何しろ、一万年以上と言われる縄文時代の歴史は、唯、無内容に過ごされていたのでは無いのでありますが。私達はすっかりその事実を忘れていたのであります。それは、日本に後から進出してきた弥生人の策略に、まんまと、嵌まって仕舞ったのであります。
 弥生人の故郷は、恐らく、中国大陸の『殷の時代の後継者』では無いかと思われます。秦の統一によって大陸から追い出された、春秋戦国時代の国の指導者達が、朝鮮半島を経て、日本にまで亡命して来たのでは無いかと思われます。従って、優れた統治能力と技能を持っていたものと思われるのです。
 その為に、文字を持たない縄文人には、大陸伝来の技術の威力には、とても歯が立たないのです。その結果、縄文人の其れまでの歴史は、抹殺され、新しい歴史に書き換えられました。
 然し、精神は書き変えられませんから。深層意識に残された縄文魂は、その後の日本人に受け継がれて今日に到っているのです。従って、『縄魂弥才』は今も生きているのです。私は、この縄文魂を掘り起こして、聖徳太子の名と共に、今の日本人に受け継がれて行くことを願う者です。
 偖、その縄文魂ですが、其れは、十七条憲法の第一條『和を以て貴となす』という言葉と、第二條『篤く三宝を敬え』の二つの言葉に尽きると思います。
 聖徳太子の名を、日本の歴史に登場させたのは、日本書紀ですが、日本書紀の作者は、架空の人物である聖徳太子を登場させて、密かに、縄文の精神を日本の歴史に忍び込ませたのです。天皇家の一員であると言う触れ込みで、誰からも非難されることの無い人物として聖徳太子は、日本歴史に堂々と登場しました。然も、悲劇の一族という日本人好みの設定は見事に功を奏して、日本人にうってつけの人物になりました。
 親鸞は、薄々このからくりに気付いて居たようですが、太子の名で日本仏教が大きく力を発揮することが出来た功績を高く評価して、『和国の教主聖徳王』と崇めたのです。
 親鸞に依って,見出された、浄土真宗と言う精神は、聖徳太子の名と共に、永く日本民族の精神生活を支え、日本民族の心に定着する事が出来ました。
 従って、日本民族の深層には、浄土真宗の精神が生きて居るのであります。此れは、旧モンゴリアンと言われる民族に受け継がれてきた伝統であろうと思われます。その証拠としては、アメリカ・インディアンに受け継がれて居る神話に大無量寿経の神話に共通するものがあるからです。アメリカ・インディアンは旧モンゴリアンの末裔であります。
 今日、日本民族の深層と言われているものは、梅原猛氏は其処までは言わなかったのですが、親鸞の浄土真宗の精神が蓄えられていると言わねばなりません。
 親鸞に依って、聖徳太子の名と共に、浄土真宗として提唱された、この縄文時代以来の精神は、大切に日本民族の心の中に受け継がれて行くべきものと思います。
 梅原猛氏によって提唱された、『日本の深層』には、以上のような問題があったのです。この事実を踏まえて、我々は、此れからの日本の行くべき道を見つめて行かなければならいと思います。
 私が、度々申しあげています様に、日本人の使命として、浄土真宗の精神によって世界の平和を訴え続けて行かねばなりません。その為に、この梅原猛氏の『日本の深層』は、大きな力を私達に与えて呉れました。謹んで、御礼申し上げます。
 日本書記によって、架空の人物として創り出された聖徳太子の名によって、旧モンゴリアンの思想が、巧みに新モンゴリアンの歴史に忍び込んで、生き永らえたのです。此処に日本書記作者のしたたかさがあると言えるのですが、其れを見抜いて、『浄土真宗』として、立派に、歴史の上に浮かび上がらせた親鸞にも、類い稀な、したたかさが感じられるのであります。
 こうして、歴史から消え去ったかに見えた 縄文の精神が、日本人の心の中に今も堂々と生き残って居るのです。此れが、『日本の深層』の事実であります。

    碇草 2 日本の深層 (二)
 日本人は、旧モンゴリアンと新モンゴリアンと言う二つの種族が混合して今日に到っています。旧モンゴリアンの血を多く受け継いでいるのは、東北の人々で、東北美人がその典型でしょう。西日本は、新モンゴロイド型の血が多く受け継がれて居るように見えます。
 旧モンゴリアンは、氷河期に暖かい地方に住んでいましたので、寒さの影響が少なく、
顔の起伏も深く、髭も濃いのです。此れが一見すると、現代の日本人と異なるところから、アイヌは日本人とは異なる民族であると主張されてきた理由でありました。
此処には、新モンゴリアンこそ日本人の原型であるとの偏見が支配していたのです。此れは、日本の歴史と同様に、弥生人による戦略に嵌まってしまった結果であります。
 アイヌ人こそ、日本民族の原型であります。アイヌ人は、旧モンゴリアンの形質を保ち続けて来た人々なのです。従って、縄文の文化を知ろうとすれば、アイヌ人の文化を研究する必要があるのです。
 例えば、古代日本語とアイヌ語とは、『宗教的』な『霊』に関係する言葉が、同一の語源から出て居ると言われて居ます。この旧モゴロイドの宗教的意識が、日本人の深層意識となって伝承されて、法然・親鸞によって、初めて意識の表面に顕れたのであろうと思われます。其れが、『浄土真宗』なのです。
 そもそも、モンゴリアンの故郷は、今は太平洋の海底に沈んでいる、スンダーランドと呼ばれて居る場所では無いかと考えられるのです。其処には、人類史上初めての土器の遺跡が眠って居るのでは無いかと思われます。
 永い氷河期が終わり、氷河が溶けて海水が増加して来て、今日では、二三百メートルの海底に沈んでしまった、スンダーランドと名ずけられた海底の何処かに、モンゴリアンの旧遺跡があるのでは無いかと思われます。
 これは、今日では想像以上の領域を出ませんから、其れまでにして置きますが、兎に角、旧モンゴリアンの文化と言われるものがあったものに相異無いと考えられるのであります。その北辺に位置していた日本の地形を考えると、縄文土器の起源も、その辺に在るかと想像されるのです。
 この、旧モンゴリアンの、思想が、縄文文化の源泉になっていたのであろうと思われます。其処には、先祖崇拝という思想が根強く生きて居たと思われます。
 今日、日本の仏教が、葬式仏教だと蔑まれていますが、其れは、理性中心の思想からの批判で在りまして、日本人には、日本独自の思想が在るのです。本来インドでは無かった、死者儀礼が色濃く日本仏教には根着いて居るのです。
 この度の戦争でも、日本人は異常なほど、遺骨収集に熱意を示しました。此れは戦争で、非業の死を迎えた同胞に対する、篤い想いを表現して居るのです。
其処には、生前の善悪の行動は、宿業に支配されたもので、死を通して人間の本来の姿に帰るという思想です。戦争は、人間の思惑による理不尽な行為です。その宿業によって、戦いという現実に振り回された人間ですが、死を通して、本来の平和の世界に帰るのです。
 其処には、敵味方としての愛憎も憎しみも在りません。ただ、宿業の儘に押し流された人間の哀れさが在るのみであります。この人間の哀れさに目覚めるとき、人間の哀れさに同感するのです。其処に、敵か味方かを離れた哀れみが生まれます。
 日露戦争の時、敵味方を超えて、島根県の沿岸では、流れ着いた死者を葬った、と言うことを聞いて居ります。此れが、縄文人の思想でしょう。
其処には、死霊を恐れるという問題もありましたでしょう。流れ着いた死体を、その儘にするわけにはいきませんから、仕方なく葬ったのだという意味もあるのでしょうが、それは、現代人の理性的解釈でしよう。
 明治の人には、もっと素朴な心が在ったのではないかと思われます。敵も味方も、死
んで仕舞えば、愛憎を超えた同じ人間であります。
 明治時代に靖国神社が創建されましたが、戦争で戦死した人達を神として祀るという事です。其処には、明治の近代化的思想が反映していました。神仏分離令と言うものが発布されて、国家神道なるものが生み出され、国粋思想から戦争が美化されたのです。その為、戦後になって、首相が参拝する事に、外国から異議が出たわけです。
所が、日本人には、別の意味があるのでしょう。其れをもっとはっきり説明し得なかったところに、問題があるわけです。それは、死と言うものに対する、日本人独特の思想なのです。
 今日、日本人には、西洋の『近代的合理主義』なるものに毒された爲に、このような『縄文人の精神』は失われて仕舞いました。しかし、『近代的合理主義』なるものは、甚だ怪しいものでありまして、今日、大いに反省すべき代物であります。その反省は、別の機会に譲りますが、反省すべき代物であることを申しあげておきます。
 兎に角、日本人の心の底に、深層意識として残って居る、縄文時代以来の、日本固有の精神を取り出して、明るみに出してみる必要ががあるはずです。そうして、この心を大切に受け継いで行くべきものと思うのです。 
 敵か味方か、正か偽か、真実か然らずんば邪であると言う、激しい『二極対立の世界観』で無く、真と仮と偽と言う、緩るやかな、『三極世界観』に立つ所に、浄土真宗の精神があります。これは、縄文時代以来の日本人の深層意識に培われていた、日本人固有の『精神的世界観』であろうと思われるのであります。
この度の戦争の時、私は、マニラに居りました。アメリカの戦闘機乗りの飛行士が、一人撃ちおとされて居るというので皆見に行きました。私は行きませんでしたが、帰ってきて、敵の兵隊であると言って、死体を蹴飛ばして居たと言うのです。そうして、
『あんなことを為なくてもよいのに』と言っていました。
 『だから、俺は行かなかったのだ。敵地に墜とされたら、俺達も、同じ運命になるのだ。』と言った覚えがあります。
 戦争ですから、こちらが打たなければやられます。そこで、必死になって機関銃を撃ち続けるわけですが、後になって考えると、何の憎しみも無く『只、殺し合っているのです』、国と国との戦争です。個人と個人の間には何の憎しみも在りません。其れが、戦争に参加した者の正直な感想でした。
 こんな事は、西洋人には通用しない考えでしょうか。兎に角、日本人には、その様な心がある事は事実でしょう。『鬼畜・米英』と言う言葉が盛んに新聞などに見受けられましたが、個人的には、余りピンと来ない言葉でありました。
  第二次世界戦争の敗戦の後、日本人は、容易にアメリカの民主主義を受け入れました。これは、西洋人には理解されない現象であったかも知れません。此処にも、縄文人の精神が無意識のうちに動いて居たのかも知れません。
 戦争による憎しみは、この世の妄念であります。念仏によって浄土に流すべき、この世の妄念妄想でありました。浄土の心に帰るとき、この世の妄念妄想は、浄化されるべきものであります。日本人は、無意識の内に、浄土真宗の心を持っていたのではないでしょうか。
 明治維新によって、神仏分離令が施行せられ、廃仏棄釈令まで発行され、仏教など古くさいものは、日本人には、要らないものと言う教育が為されました。此れは日本の近代化の爲には、やむを得ぬ選択で有ったかも知れませんが、その結果は、日本人に取っては悲惨なものになりました。即ち、『覇権国家』という不幸な選択に追いこまれてしまいました。その上、『宗教無視』という荒らあらしい、精神生活に落ち込みました。この傾向は、今日も失われては居ません。
 親鸞聖人に依って開かれた、浄土真宗の思想は、遠く縄文時代の精神を、今日にまで伝えている、日本独自の精神でありましょう。この精神を日本人の宝として、大切に継承して行きたいものです。
 日本人の深層意識の中に伝えられて居る、この様な、縄文時代以来の精神を、更に、世界の人々にも語り得るものとして、大切に維持して行きたいと思います。  

   碇草 3 日本の深層 (三)
『真実』は常に、『仮』を通して表現せられるものであると言うのが、日本人の考えでありまして、決して、絶対的なものでは無いと言うのです。思想が絶対化されれば、勢い其処には、絶対化と絶対化の争いが起こります。
真実は、方便を通して表現されるものです。『嘘も方便』という言葉があるから、『方便』は『嘘』の事だと言って、真宗の『方便法身の尊像』と言う本尊を非難されたことがありました。『方便』という言葉の意味を知らない爲の非難で在りました。
 今日では、そんな非難は消えてしまいましたが、まだ、方便の本当の意味は理解されて居ない様です。実に、『方便』こそ『真実』を表す唯一の方法で有ります。
  日本人は、曖昧であると西洋からは批判されるのですが、其処には、日本人特有の思想があるのです。人間の思想は絶対化為べきものでは無いのです。
 真と偽が激しく対立する世界は。正邪・白黒がはっきりして、解りやすいのですが、其処には必ず、真実同志の争いがあります。
 真と仮と偽と言う三極的世界観は曖昧であると言われます。確かに、そう言う事もありますが、絶対化しないで、争いを避けると言う意味もあるわけです。これは、冷静に判断すべき問題でありましょう 
日本人の曖昧さは、非常に大切な面を持っていることに誇りを持つべきでは無いかと思われます。
 現代日本人の意識の深層にも、縄文以来の精神が生きていると言うことを申しました。
其れが、親鸞に依って提唱された、『浄土真宗』の精神であります。従って、我々は、この浄土真宗を、自信を持って世界に弘め、戦争を止めて、平和を取り戻すべき時であります。
 日本人の深層意識に培われて居る『縄文の精神』は、各々の主張を絶対化するので無く、飽くまでも相対的な意見として語り合っていく精神であります。従って、其処には、争いは無く、冷静に互いの主張を聞き取っていく、話し合いの精神が生きて居るのです。
 今日、日本人も、西洋の『近代的精神文化』に毒されて、この様な縄文の精神が、忘れられて来ているのですが、もう一度、其れを取り戻す努力をしなければならないと思います。
 確かに、西洋文化は、自我の主張には好都合でありますが、東洋の仏教には、『自我』を否定するという、『無我』の教えと言うものが有るのです。この仏教の『無我』の教えに依らねば、世界の平和は実現されないことを、世界の人々に訴え続けて行かねば成らないのです。其処に、日本人の使命があるのです。
 我々日本民族は、この度の戦争に敗れたお陰で、民族の使命に気づかされたのです。今こそ、心して、民族の使命に帰らねば成りません。またぞろ、覇権国家の仲間に入って、覇権を争う事に終始してはならないのです。
 此れは、政治家が気付かなければ、国民の一人一人が、この事の重大性を心得て、政治家を糾して行かねば成りません。今こそ、浄土真宗が、活躍すべき時であります。親鸞聖人に依って、見出された、仏教の『無我の精神』が、国民の指標となり、国家を救うものとならねばならないと思われます。
親鸞に依って見出された『浄土真宗』は、親鸞個人の自覚に基づくものと許り思って居ましたが、そうではありません。此れは『人類全体に通用すべき思想』でありました。この『人類全体に通用すべき思想』即ち、『無我の思想』を、世界に弘めなければならないのです。その貴重な使命が日本人に託されて有ったのです。
『浄土真宗』の『念仏』の精神は、世界の人々に依って承認せられ、弘められて、世界人類の平和に貢献すべき精神であります。
 人類の歴史が、このまま、一神教のみによって支えられて行けば、戦争を止める事が出来ません。真理の主張同志が集まって、互いに自己の主張を繰り返して、戦争になり、人類は軈て滅亡するしか有りません。
 浄土真宗は二尊教で有ります。この二尊教の精神は、『真』と『仮』と『偽』と、三つの極に分かれる世界観であります。三つの世界観というのは、この世のものは、絶対化すべきものは無いと言う世界観であります。
 『絶対化すべきものはない』と言う事は、この世のものは全て『相対有限のもの』で、真理を求める途上、真理に到る過程にあるのです。人間には真理を判定する力は無いのです。真理は、真理によってのみ判定されるものです。
 その原理を、親鸞は、『煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、みなもって、そらごと、たわごと、まことある事なきに、唯、念仏のみぞ、まことにておわします。』と、述懐されました。
 この世に住んでいるものには、『我は、絶対に正義である』と宣言することは許されないのです。この世のものは、全て、相対有限の存在であるのです。其処に、互いに、相対有限の存在を認めて、相手の言い分を聞き抜くゆとりが生まれるのです。
 その様な方式は、大昔には守られていたようです。首長同志が集まって話合って、紛争を解決していたと言います。この、首長の合議制が壊れて行った結果、覇権国家の戦争が生まれたのであります。
 浄土真宗の精神は、『この世の者は、全て、相対有限の存在である』と言う世界観に立って、物事を考えて行こうとします。其処に、必ず、世界の平和を齎すものとしての働きが有る筈です。
暁烏敏師が、戦前に提唱した、『日本人には、世界に誇るべきものがある。』と言う主張には、確かに、明治以来の『日本人は戦争に勝て来た』と言う、誇りと独りよがりが滲んでいました。
 しかし、戦争に敗れて七十数年経った、今日の日本人には其れは有りません。今こそ、もう一度、あの提唱を為すべき時で有ります。其れは、親鸞聖人の浄土真宗の教えからの提言ですが、実は、縄文以来の、旧モンゴリアンの思想からの提言でありました。
 いま、この大昔の、縄文時代の精神に目覚めて、暁烏師の提言に、耳を傾ける必要があると思われるのであります。
しかし、この様な思想は、現代では通用しない思想かも知れません。人類はこの儘、核戦争の結果、滅んでいくべき運命の下に、今日を生きて居るのかも知れません。
 その様な運命であれば致し方ないのです。其れは誰にも、如何することも出来ない問題であります。
 『日本の深層』と題された、梅原猛氏の書物を読んで、この様な感想を懐いた次第であります。

碇草 4 仏法は無我にて候 (一)
 人類は核戦争の結果、滅亡するであろうと申しました。早晩、人類は滅亡するでしょう。其れは、人口が増え続けているからです。地球上では、過去にも、度々生物が滅亡してきました。人類にも例外は認められません。其れは生き物の運命かも知れません。その時は、運命に任せて死んで行くより道は有りません。
 其れで、生きるという事は、虚しいものですね。軈て死すべきものとして、今を生きて居るのです。然し、仏法を聞くという事には、どんな意味があるのでしょうか。軈て、必ず死すべきものとして今を生きて居るのですが、今、生きて居ることに意味があるのです。
 『私は今確かに生きて居る。何をすれば良いのか。』其れが、今、生きている『私』の問題であります。何億年か先の『人類滅亡』を問題にするのではありません。
 今、生きて居ることは、虚しいことでありますが、その虚しさを抱えて、『今』を、生きるのです。何億年か先に人類は必ず滅んでいくでしょう。然し、其れより前に、私自身が、必ず、死んでいくのです。その必ず死んでいく『今』を生きて居るのです。
『そんな虚しい生き方に何の意味があるのか。』と言いたいのですが、其れを問うしか今の私には、道は有りません。そこで、この『問い』を問い続けていくのです。
 仏法には無我にて候う上は・・・。 (一)
『仏法には無我にて候う上は、人に負けて信をとるべきなり、理を見て情を折るこそ、仏の御慈悲よ、と仰せられ候。』 (30の23、御一代記聞書)
 『往生、三度になりぬるに、この度、殊に遂げやすし。』と言う和讃があります。此れは、法然上人の述懐であるとされて居ますが、法然上人だけで無く、多くの過去の聖者達が皆、同じく問い続けた課題で有りました。
 此処に、仏道の共通の課題が有るのです。仏道を成就するためには、三つの関門を潜らねばならないと言いました。
 一つは、外道の教えを離れて、仏道を学ぶという事です。曇鸞大師が『仙経ながく焼き捨てて・・・』と和讃に言われて居るように、此れは、曇鸞大師のみの問題ではなく、仏道を求めた人々は、必ず、この第一の関門を潜ったのです。其処に開かれている世界が、聖道門の教えであります。此れは、仏道を求める者が、必ず通過しなければならない要門であります。 
 所で、第一の関門を潜った者は、先ず、聖道門の教えを学ぶのですが、その第一の関門を潜って仏道(聖道門)を歩んで行くものは、軈て、必ず、第二の関門に打ち当たるのです。勿論この第二の関門に気付かない者も居るのですが、忠実に仏道を歩む者は、其れに気付く筈です。
 第二の関門とは、『聖道門を投げ捨てて、選んで浄土門に帰すべし』と言う教えであります。此れは、法然上人の『選択本願念仏集』の言葉でありますが、浄土の祖師達は、竜樹以来、皆等しく、此の関門を発見して、其れを克服した人々で有りました。
 その証拠は、既に、『大無量寿経』に説かれていたのです。大無量寿経は、お釈迦様よりももっと以前から神話の形で伝えられていたものでしょう。
 聖道門の教えは、仏道とは如何なる教えかと言う事を明らかにするものですから
仏道を求める者は必ず学ぶべき教えであります。然し、此れは人間の発想に基づく理想追求の歩みであります。理想追求は、人間の求めるべき課題でありますが、愚悪の凡夫には実行不可能な道でありました。此れは、浄土門の人ばかりでなく、聖道門を学んでいる人々にも薄々気づかれていたのです。
 然し、誰もその事をはっきり明言する事は出来なかったのです。何故かと言いますと、実は、仏道成就の爲には、もう一つ、第三の関門がありまして、此れを超える方法が見付からない限り、聖道門に見切りを付けることが出来ないのです。
 聖道門は凡夫には不可能な道であるとは、とても言えないのです。矢張り、儚い望みを懸け続けて、夢を懐いて生きる以外に生きる道が無かったのです。
 此の、第三の関門を超える道が見付からない限り、仏道は成就しないのですが。第三の関門とは、『佛智疑惑の罪』で有ります。此れをはっきり自覚して、言葉で言いあらわしたのは親鸞でありました。しかし、浄土の祖師達は、既に其れをはっきり自覚していたのです。其れが、『大無量寿経』の最後に説かれる『胎生と化生の者』と言う教説でした。
 所が、此処に、登場してくるのが『無我』の教えであります、此れも既に善く知られて居る教えでありまして、所謂、仏道とは『無我を説く教えである』と言う事です。 『無我』は、仏教独自の教えでありまして。此の『無我』を証明するために、『唯識』という学門が生まれたのでありますから、『大乗仏教』の基本を成すものでありました。
 『仏法は無我にて候上は、人に負けて信を取るべきなり』と蓮如上人は、易しい言葉で言われましたが、此の聞き慣れた易しい言葉には、実は、重大な問題が孕まれてあったのです。世間には、『負けて勝つ』と言う言葉まではありますが、仏法は、『負けて、負けよ』と言う教えです。『負けて、負けよ』と言うような教えは、到底人間の発想では有りません。そんな生き方は、人間には不可能なのです。所が、仏法は、その不可能を要求するのです。其処に、仏教の独自の思想が在りました。
 先にに言いました第三の関門は、仏道成就の爲の最後の問題でありますが、『無我』の教えは、仏教最初の教えであります。其処に、最初と最後が重なっているのです。此れは随分奇妙な事ですが、仏教は最初から、仏道成就の方法を熟知していたのです。
 従って、阿弥陀仏の本願を説かなければ、仏道は完結しないのです。親鸞にいたって初めて、弥陀の本願が見出された様に思いますが、そうではありません。仏道は、初めから、弥陀の本願が説かれなければ完結しなかったのです。
 如来興世の本意は、唯、弥陀の本願を説く爲でありました。『如来所以興出世、唯説弥陀本願海』の正信偈の文の通りであります。
 話が少し先走り過ぎましたので、元の、『第三の関門』の問題に戻ります。
第三の関門というのは、仏智疑惑の事であると申しました。即ち、如来ましますことを忘れて、人間の思いを中心にして生きるのです。其れを自力と言い、自己肯定と言い。我執と言います。此の仏智疑惑の問題こそ、仏道成就の爲の最後の難関であります。
 此の我執は、人間に最後まで食いついて離れない煩悩であります。此の難関を如何にして超えていくかが、仏道最後の課題でありました。

 碇草 5 『仏法には、無我にて候上は』 (二)
 仏道成就の爲の第三の関門が、『我執』の克服であります。然し、此の『我執』は、人間に最後まで食いついて離れない煩悩であると申しました。其れ故に、此れは仏道最後の難関であります。
 私は求道の最初に、『頭を下げよ』と、厳しく叱られましたが、其の時は何故頭を下げねばならないのか、さっぱり解からず、形だけ頭を下げてその場は通り過ぎました。其の後は戦争に行きましたので、仏法には逢えないままでした。敗戦になって、不思議に命を頂いて帰りましたので、再び仏法の御縁を頂いたのでした。
 東本願寺の伝道研習会が、十日間の日程で開かれてありまして、其れに参加すると、徹底して『自己を掘り下げよ』と迫られました。此れも驚きでしたが、何度も責められて居る内に、漸く其の意味が判るようになりました。あの『頭を下げよ』とのみ教えもこの事であったのです。
 東本願寺の講習会は、凄まじいものでした。徹底して叩きあげるもので、『伝導研修会と懸けて、何と解く、寺の釣り鐘と解く、答は、吊し上げて、叩きあげる』と言われたものであります。
 何故あんなことを為るのかと、疑問に思うくらいで有りましたが、あれくらい荒療治をしなければ根性に入らないのです。其の爲に、ノイローゼになるも者も出た位でした。戦後間もなくの頃ですから、軍隊の気風が生きており。あんな荒療治が出来たのです。誠に有難いことでありました。今はあんなことは出来ません。然し、其の結果はどうであったか。目出度く第三の関門を突破できたかと言えば、答は『ノ-』であります。
 叩いても、叩いても、ビクともしないものが居るのであります。此れが私の心の底に巣くっている我執でありました。其れを徹底して見せられたのが此の講習会でありました。その講習会を幾度も受けたのであります。此れも戦後ならではの貴重な体験でありました。
 其れでは、この『我執』は如何すれば好いのでしょうか。答は唯一つ、『如来の御前に頭を下げて、謝り入るより道はありません。』
 最初に言われた、『頭を下げよ』とは、誠に、この事でありました。しかし、其れが我がこととして肯ける様になるまでには、実に、長い年月が掛かりました。『仏法聞きがたし』と、滲みじみ思い知らされる事です。
 此の三つの関門を克服して、初めて仏道が完成するのであります。この事は、教えて下さる方も、教えられる者も、とても御苦労の事でありますが、其れが、連々として絶えること無く続けられてきたのが、仏法の歴史でありました
 今日、仏道に逢い得たものは、此の御苦労の歴史に、深甚の感謝を捧げなければなりません。謹んで、深く深く御礼申しあげる次第であります。 
              
  
  
 

   碇草 6  『実相身』と『爲物身』 (1) 
 曇鸞大師は論注に『彼の如来の御名を称すること、彼の如来の光明智相如く、彼の名義の如く実の如く修行し相応せんと欲するが故にと言えり・・・』(12の57)と、天親菩薩の言葉を述べられ、次いで『然るに、称名憶念すること有れども、無明由お存して、所願を満てざるはいかんとなれば、実の如く修行せざると、名義と相応せざるに由るが故なり。云何が実の如く修行せず、名義と相応せざると為すや、言く、如来は此れ実相身なり、爲物身なりと知らざればなり・・・』と、疑問を提起して居ます。
                               (12の58)
仲野良俊先生は、『此れが『信巻』開設の起点である』言われて居ました。此れについて、宮城顗先生の言葉がありました。(宮城顗選集17、p80)
 『つまりそこに、人格への帰依という、欣慕の情としての在り方と言うものが、あくまでもそれは、実相身としてのみ仏を見て、爲物身たることを知らぬと言うことになる。 そして、其の実相身たることのみを知って、爲物身たることを知らぬと言う事について、全くその事とは離れているけれども、曽我量深先生が、『四字名号主義』と言う言葉を出しておられます。
 これは、『親鸞の仏教史観』の中に、(中略)四字名号主義と言うものに対して、『六字名号の仏意』に生きると言う事をおっしゃっています。四字名号と六字名号の違いですね。そこに真宗における『主』と言う問題、『主』と言う事がどこまでも対象的な、外なる存在ではなく、私の最も内なる力として帰命されるところのはたらきですね。
 爲物身とは、私のための身と言う事です。仏とは私のための仏、更に言えば、私の事実としてはたらいているものの他に仏なる存在はないということです。』 (同上)
 此れは、歎異抄の後序に説かれている『信心一異の争論』における問題であります。浄土真宗、高田派の伝承によると、あれは、念仏房の法話に由来すると言われて居ます。即ち、念仏房は、長く上人の弟子として師に事えてきた最も古い長老であります。其の念仏房が 『私は永年、法然様の御育てを受けてきた身であります。法然様の御信心に少しでも、近づきたいものと思って励んで参りましたが、上人の御信心には、到底及びもつかぬ者であります。』と述懐されました。其れを聞いていた並み居る弟子達が、一斉に念仏房を褒め讃えたのです。所が、親鸞が一人これに反対したので、争いが起こったというのです。
 此れは、誰が見ても親鸞に歩が悪い争いであります。法然上人は、『智慧第一の法然房』とうたわれた、誰一人疑う者の居ない方であります。その法然上人の御信心と、名も無き一介の親鸞の信心が一つであると言うのです。此れは誰が見ても、親鸞の不遜な考えであると思われます。所が、親鸞は譲らなかったのです。そこで事の是非を決すべく、法然上人に申しあげたというのです。
 法然上人が、親鸞の申し立てをじっと聞いていて、初めてこの事に気付いたのでしょう。それは、既にその事が自覚されて居たならば、法然の口から既に、説かれていた筈です。そうすれば、法然の弟子達は其れを聞き逃すはずはありません。所が、此れは初めて聞いた問題なのです。
 法然上人も、親鸞の釈明を聞いて、初めて、これに,気付いたのでしょう。それ程、重要な問題でありましたが、之に就いて、法然の伝記を書いた法然門下の誰もこの事を語って居ません。其処で、『大事な証文として此の書に添えまいらせた』と言うのです。
 先に、『親鸞の危険思想』で申した様に、親鸞の存在は、流罪以後法然門下ではすっかり忘れ去られて居たものと思われます。其の故に、親鸞だけがこの問題を語り残したのです。
 勿論、法然上人の人徳を慕う人々は、皆等しく上人の徳を慕って疑う者は一人も居ませんでした。親鸞も其の一人でありります。所が、信心については、親鸞は、厳しく其の意味を追求していたのです。
 第十九願の信心は、『欣慕の情』で有ります。  (宮城顗選集、17、p65)
最も人間らしい宗教心であります。然し、これに安住することが出来ない者が、進んで第二十願を求めます。然し、其処には、仏智疑惑という壁があるのです。此の壁に打ち当たって、跳ね返されると、又、元の十九願に帰るより道はありません。
 この様に、十九願の世界と、二十願の世界を行きつ戻りつしているのが、私達の事実で有ります。
 三願転入と言う事は、『私は確かに、十八願に入っている』と言って自慢することではありません。それならば、此の三願転入の文は信巻にあるべきだと言うのです。(宮城顗説、同上p77)誠にもっともな説です。
 所が、『真門決釈の文』として、化身土巻の最後に有るわけです。此の三願転入は、二十願の問題であります。即ち、二十願の『仏智疑惑の罪』の自覚で有ります。
 曇鸞が、『然るに、称名憶念すことあれども、無明尚存して、所願を見てざるものは、如何となれば』と重大な問題として提起していたのは、正に、文字通り、念仏申す者にとって重大な問題が其処にあるからです。折角念仏しながら、その結果を全く台無しに為るようなことが、其処にあったわけです。
 師の教えを受けて、ひたすら念仏申している。其れが、法然門下の人々の現状でありました。其処には、何ら非難すべきものは見当たりません。所が、其処に重大な問題があったのです。
 即ち、『如来は、実相身・爲物身で有ることを知らぬ』と言う事です。この為に、折角、『称名憶念する事あれども、無明尚存して、所願を満たさず』と言う結果に成るのです。  
先に、『如来は実相身で有ることのみを知って、爲物身で有ることを知らぬ者』と言いました。これが最も人間らしい宗教心であるとも申しました。
 『師の人徳を慕って、師の言葉を聞き、其の教えを忠実に守って生きて居る弟子達でありました。』言葉を換えて言うと、『師の言葉であるから信じられると言う事です。』そこに、最も人間らしい宗教心が有るのです。其れが『恋慕の情』と言われる第十九願の宗教心であります。
 実は、其処に問題があったのです。人間の宗教心は、人間の心です。迷妄であることを免れられません。其の、迷妄であることを知って、これを超えようと為るのが、二十願でありました。しかし、二十願の佛智疑惑の罪の壁に打ち当たって、跳ね返されて前進することが出来ないのです、それで其処に居座るのです。『自分は念仏して居るから大丈夫だ』と言うのです。

   碇草 7 実相身と爲物身 (2)
 如来が実相身で有ることは、誰も疑う者は居ません。其の如来が、その儘『爲物身』であるという事です。爲物身とは、私のための身で有ると言うことです。其れは、如来によって悲しまれている私であるというのです。所が、爲物身にのみ留まれば、恩寵の信仰になり、ひたすら、弥陀のお慈悲に縋って助けて頂くと言う信仰に成るのです。
 実相身と言う厳しい批判が無く、爲物身のみに偏れば、恩寵の宗教になり、爲物身を忘れて、実相身のみに偏れば、観念に終わります。誠に厄介な問題であります。 
 『そこに、真宗における「主」という問題、「主」ということは、どこまでも対象的な、外なる存在ではなくて、私の最も内なる力として帰命されるところのはたらきです。事実として働いてい居るものの他に仏なる存在はないと言うことです。』(同上、p80)
 爲物身とは、私のための身と言うことです。仏とは私のための仏、更に言えば私一人の爲の仏ということになるわけです。
 イスラム教は、厳しい神の権威の前に立って、恐れの信仰に成り、神の権威による殺戮を許す宗教に成りました。神の厳しい批判精神は是とするも、その厳しさを、自己以外の者に向けて、他を責める事のみにエネルギーを使うことに成りました。自己を顧みる事を忘れた結果であります。是れは、無我の教えが無い為の、『我執(自己主張)』の結果であります。
 一方、キリスト教は、『愛』の宗教でありまして、『神の愛』を説く訳であります。その点は好いのですが、其の結果、『恩寵の宗教』か、『奇跡信仰』に成りやすく、恩寵の宗教は他因外道であり、奇跡信仰は無因外道であります。其れを如何に克服して行くかが、この教の問題でありましょう。
無我という事に徹しないならば、如何なる主張も自己主張に成り、イスラムでは他を攻撃するばかりに終わり、キリスト教では恩寵の宗教に成るのです。
 それは、『自分』という者がこちらに居り(我見)、あちらに『他人』という者が居ると思うのです、其の爲、自他を比較し優劣を決める『我慢』、さらに其の結果自分が可愛いという『我愛』の心を起こして、如何しても、此の自分を守らねばならないと考える『我執』を起こすのです。是れが,唯識学で言う『末那識』の働きです。
 此の末那識の自他区別の意識こそ、『我痴』『我見』『我慢』『我愛』という四つの煩悩による、愛憎善悪の心を起こす原因であります。是れが、自己肯定の実態で有ります。
 仏法は、この末那識を転識得智して、平等性智にするのです。その結果、愛憎善悪が転じられて平等性智に成り、今、自分がここに居るのは、偶々の因縁に依って、此の様な自分が居るが、因縁が尽きれば跡形もなく消えてしまうものに過ぎないことを知らされ、自他の争いは消えて、一切平等の世界が開けて来るのです。
 仏法の無我の教えは、此の様に素晴らしい教えで有りました。『如来は、実相身・爲物身で有ることを知らぬ』と言う事は、仏法の無我の教えに依らねば、他人を責める事か、恩寵に甘えることに成るのです。
 キリスト教や、イスラム教の社会には、無我の教えが無いものですから、所詮、全てが自己主張に成るのです。然も、此の自我の主張は強烈なもので、容易に解決出来ない問題でありました。
 仏教の無我の教えを世界に弘めて行かねば、この問題は、解決出来ないでしょう。大変な課題が、我々日本人に託されてあることを、痛感するものです。
 『そんな無我の教えなど、今時、本気で信ずる者なんて居るものか』と言う声が聞こえてくるようです。確かにそうかも知れません。だが、心ある人は必ず居るものです。そんな人を探して、仏法を静かに語り合い納得してもらうより道はありません。
其の爲に、仏道の歴史は悪戦苦闘をしてきたのです。前に申しました様に、『唯識』という学問は、『無我』を証明するために生まれたのです。其れまでの仏道では、無我を証明するために、『五蘊』(色・受・想・行・識)という言葉を使用していました。人間の所作動作は全て、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識によって行われます。
 この六識で一切の人間の行動は説明されます、其の心と肉体の集まりを五蘊と言うのです。其れは心と身との集まりに過ぎませんから、『五縕仮和合』と申しまして、心と肉体とが仮に集まって色々のことをしでかすのですが、元々、『仮和合』に過ぎませんから、『我』と
して執着すべきものは無いと言うのです。
 所が、自殺というような行動は、五蘊では説明出来ないのです。人間は、この五蘊を否定してまで,主張しなけばならないものがあるのです。其れは一体何なのでしょうか。
 其処に、主体というものが考えられて来るのです。其の主体を主張しているものが無意識の内に働いているのです。其れを、『末那識』と名付け、更に其の末那識の拠り所になる主体として『阿頼耶識』と言うものを見付けて説明したのです。六識構造から、八識構造に成り、識が転じられて、仏の智慧に成る事に依って、諸法無我が完全に証明されたのです。
仏法によって、『無我』が証明されて、『我』として固執すべきものは無いことが明らかに為らなければ、戦争は無くならないのです。若し戦争が無くならなければ、人類は滅んで行くより道は無いでしょう。それが人類の運命であれば、其れも又、致し方はありません。
 その時は、広い宇宙の何処かに住んでいる生きものに、仏教の教えが伝えられて居る事でしょう。真実の道理というものはその様なものなのです。   
  

  碇草 8 自己反省の構造 (1)
 自己を省みると言うことは、人間の美徳とされていますが、其処に問題は無いのでしょうか。考えてみたいと思います。
 自己を省みるというとき、省みられている自己〔相分〕と、省みている自己〔見分〕とが有るわけで、これを、自己反省の見分と相分の二分性と申します。
 更に、見分をもう一つ後ろから反省する作用がありますから、これを『自証分』と申します。更に、自覚は深くなって、もう一つ後ろに後退して自己を反省する事が出来ます、それを『証自証分』と言うのです。この様にして、自証分と証自証分が交互に繰り返されて、自覚は何処までも深められて行きます。此を『自覚の無限後退性』と申すのです。
 この様に、人間の自覚は無限に深められて行きますので、深い自覚の人ほど、優れた人格者とされるのです。しかし、この自覚の構造には、問題点があるのです。即ち、無限に後退して、自覚は深くなって行くのですが、相分と見分という、自覚の二分性と言う自覚の構造は変わりませんので、無限後退の最後の見分である自証分か証自証分は、見分の別名ですから、見分の性質上、決して反省の対象にならないのです。実は、そこに『自己肯定』の親玉が隠れて居るのです。
 従って、この自覚の構造のままでは、『自己肯定』は決して否定されないのです。其処に、人間の自己反省と云うものの、決定的な欠陥があるのです。即ち、自己肯定の『我執』から、永遠に離れられないと言う問題であります。
 この我執は、生きている限り、人間に付き纏って離れない煩悩であります。さて、この煩悩は、どうすれば良いのでしょうか。ここに、仏道の基本的課題があったのです。 此を克服する為には、我執の根本である『末那識』が問題になるのであります。末那識は『我痴、我見、我慢、我愛』の四煩悩を具して居て、恒審思量と言われています。つまり、恒に審らかに思量しているのです。『恒に』と言うのは、寝ている間も休むことなくと言う意味で、しかも、『審らかに』と言うのは、実に細やかに思量するのです。どんな些細なことも決して見逃さないのです。
 『我痴』は、本当の自己が分からないと言うことで、仮の物を見つけて其れを自己とするわけです。其れが『我見』です。この我見に依って、『我慢』と『我愛』を起こすのです。
 『我慢』は自分と他人を比較して、喜怒哀楽、善悪邪正の心を起こし、優越感と劣等感の間を右往左往するのです。また『我愛』は、自分が何処までも可愛いと言うことから、自己に愛着して、何事にも、我執を離れることが出来ないのです。
 この末那識こそが、人間の一切の悪業を創り出す源に成って居る中心で、その為に、生死流転を果てしなく繰り返して居るのが私達の生き様であります。
 この末那識を転じて、平等性智にすることが、仏道の目的でありました。どうすれば末那識を転じて、平等性智にすることが出来るのか、その為に、仏道の先輩達は悪銭苦闘したわけです。
 そうして遂に弥陀の本願にまでたどり着いたのです。転識得智は、人間の努力では不可能なのです。阿弥陀仏の本願に目覚めるより他には方法が無いのであります。
 阿弥陀仏の本願は、人間の生死流転の原因を、仏の智慧に依って、熟知して居られて、其れを克服する方法も心得て居られるのです。この阿弥陀仏の本願の御働きに依らねば、『転識得智』と言う難問題は解決しないのです。
 其の事は、仏教は、初めから知っていたのです。然し、其れが人間の意識に登り、自覚される迄には、長い時間が掛かりました。仏教の三千年の歴史はその為に費やされたのであります。
 今、阿弥陀如来と申しました。然し、阿弥陀如来と言う様な方が何処かに存在するのでは有りません。存在するのは、真如そのものの働きであります。その働きを『如来』と言うのです。『阿弥陀如来』とは、無限なる真如の働きであります。其れを、神話的表現を用いて、『阿弥陀如来の御働き』と言うのです。
 阿弥陀如来というよな存在が、何処かにいらっしゃると思うならば、其れは人間の妄念妄想であります。其れを、偶像崇拝と云うのです。偶像崇拝は、人間の根深い迷いの心であります。此れを本当に克服したのは、仏教の深い智慧のみでありましょう。
 そもそも、偶像崇拝を否定すべきものとして教えたのは、『モーセの十戒』で有りましたが、西洋では果たして偶像の意味が正しく理解されて來たのか甚だ怪しいものです。しかし、此れは現在の日本人にも云わねばならない事でありますので、洋の東西を問わず、偶像崇拝の問題は永遠に問い続けなければ成らない課題で有ります。
 ニーチエが『神々は死んだ』と宣言して、偶像崇拝を否定しましたが、反って、彼は『ニヒリズム』だと云われて、彼の意見は斥けられました。この様に、西洋では、偶像崇拝の意味が正しく理解されて居ないのです。
 確かに、ニヒリズムの深淵から人生を問い直してみる必要が在るのです。其れが、『無我』の教えで在ります。
 然し、先にも申しましたように、日本でも、偶像崇拝が誤解されて居まして、此を糺して行くことが急務であります。
 神や仏を自己の外に見て、此に向かって、人間の願いを祈願するのは、全て、偶像崇拝であります。
 阿弥陀仏は、私の内に仰がれるものでありまして、決して、私の外に在る何かでは有りません。其れを、仏像として礼拝するのは、宗教の儀式として礼拝しているのであります。決して偶像として、『祈願』しているのでは在りません。
 その事を、しっかり理解して仏像を拝む必要があるのです。だから、真宗では、『仏像よりは絵像、絵像よりは名号』と言うわけです。『名号』こそ最も正確に本尊の意味を表しているのです。
 『南無阿弥陀仏』は『帰命尽十方無碍光如来』と言う意味であります。此が、真宗の本尊で在りまして、私達が礼拝すべき『仏様』であります。
 此れを親鸞は、『光如来』と申しました。飽くまでも、『光』の働きで在りまして、闇を照らす光の働きであります。この光の働きは、先に云いました、見分の更に背後から、衆生の自己反省の『相分と見分』の全体を照らす光であります。
 此れが、真如の働きで在りまして、この真如の働きに照らされない限り、本当の自己は照らし出されません。その真如の前で、衆生は、唯ひれ伏して、自己のあくなき罪業を懺悔するより他に道は無いのでありす。
 此処に、仏像を礼拝する真の意味があるのです。仏教は、仏像を拝む事によって、反って、『偶像崇拝』を否定したのです。我々は、自信を持って、堂々と仏像を礼拝すべきであります。此れは、浄土真宗の信仰を表す厳粛な儀式であります。此れによって、自己反省の欠点を完全に克服する事が出来たのであります。

                   

  
 

  
 
 
 
 
  

    
 
   

2020年会座情報

◆御正忌 1月8日(水)~10日(金)

◆初法座 2月2日(日)

◆春彼岸会 3月21日(土)9:30~16:00

◆永代経 開催中止(新型コロナウィルス感染拡大防止のため)

◆安居会 7月15日(水)・16日(木)➡ くわしいご案内はコチラ

◆報恩講 11月18日(水)・19日(木)(例年の日程を変更します)
                 ➡ くわしいご案内はコチラ

◆年終法座 12月24日(木)

◆毎月28日前後 同朋会(どうぼうかい)19:00~21:00
 ※日時・時間はお問い合わせください

      光明団創立100周年を迎へて         
  『島根県への光明団発展の初期の事情』    岡本義夫    
本団創立百周年を迎えて、誠にお目出とうございます。謹んで感謝申し上げ
る次第でございます。  
 島根県に夜晃先生が御出で下さるようになったのは、大麻の染香寺御住職、
河野直臣先生に始まります。
 そもそも、河野直臣先生は、大麻(現在の浜田市三隅町折井)の染香寺に御
養子として入られた方でありますが、当時、東京の浅草本願寺に役僧として勤
めて居られたのであります。そこへ、『父危篤』という電報が来て、急いで上
野駅に出てみると、汽車が出るまでにまだ一時間ほど間があるので、街の中を
ぶらぶらしていて、ふと仏教講演の張り紙が目に入り、覗いて見たと言う事で
す。その講演が耳に残りましたが、汽車に乗らなければなりませんのでそのま
ま島根に帰ってしまったのです。その時の講演の感動が忘れられず、もう一度
是非聞きたいと言う思いがありまして、そのまま島根に帰り,再び、東京へは
帰えられ無かったのであります。所が、その思いが忘れられず、広島の住岡狂
風と言う名を覚えて居られたのです。
 そこで、浜田の顕正寺の住職である幡谷淳心師にその思いを話したら、『そ
の住岡狂風と言う人物の噂は、儂も聞いている、貴方がそれ程に思うなら一度
呼んでみてはどうかね』と言われて、呼ぶ事になったと言うのです。
 幡谷先生は、布教師として広く活躍して居られたので、夜晃先生の事も知っ
て居られたのです。そこで幡谷先生の力添えで、夜晃先生が、山陰の地に来ら
れることに成りました。
 そのとき、私の父、岡本法憧が、折井の駅から歩いて徳泉寺に帰る途中で何
人かの御同行がお詣りすのと行き合い、事情を聞いたのです。後日、染香寺さ
んに、『この間、俗人の方を呼んだそうだが、どうでしたか』と聞きました。
父は以前から懇意にしていたのです。すると、『とってもありがたいお話でし
た。貴方も是非呼んで見てください』との事で、『貴方が、それ程までに言う
のなら、是非私も呼んで見よう』と言う事になりました。
 そこで、先ず、隣寺の明覚寺、武井諦了師に相談しました。武井先生は、当
時、『査察』と言う役目を持っていられました、是は『異安心』を取り締まる
役目であります。その頃は、僧侶以外の人の説教など聞く者は居ない時代であ
りましたから、武井先生の許しを請わねばなりません。
 すると、『よし、一度呼んで見なさい、儂が行って聞いてやろう、若し変な
ことを言う様であれば、その場で、高座から引きすり落としてやろう』といっ
て、許可して呉れたのであります。
 『明覚寺めが、すとんこ、すとんこ、来た、げなーや』と後日夜晃先生がそ
時の事を語って居られました。愈々その時が来ました。
 1931年(昭和6)5月22日~24日、井野徳泉寺、井野小学校と年表
に在ります。私が小学校2年生の時です。人見しりする小心者で、先生の前に
御挨拶に出ることが出来ないので隠れていたのですが、先生がわざわざ探しに
来て、お土産に絵本を下さったのを覚えております。その絵本は、親鸞聖人の
御一代記でありました。それが私の先生との御縁の始まりでありました。
 所が、翌、昭和七年には私は大阪へ転校する事になりますので、先生との御
縁は途切れる事になります。小学校六年の時と、中学校三年、師範学校三年と
三回ほど夏休みに帰省していますが、中学校と師範の時には、夏の県連に出席
しています。特に昭和17年の明覚寺の県連では、父がその年の十月に死にま
すし、翌年は私も兵隊に往かねばならぬ時でありまして、先生も特別に目を懸
けて下さいましたが、遂に仏法が判らぬままに終わりました。
 それでも、仏法を聞かねばならぬと言う事は判っていましたから、戦後すぐ
に聞法を始めることが出来ました。若し戦争で死んでいたら。仏法のご縁は無
いままに死んで行った事であります。誠に、思えば不思議な御因縁でありま
す。  
 武井諦了先生は、鳥取県から御養子に来られている方でありますが、太谷大
学を卒業して、外国で活躍したいと言う望みを抱いて居られた方で、田舎の山
寺で一生を終わる事への不満がありました。その時偶々夜晃先生のお話を聞か
れ、深い感銘を置けられ、この人のお話を一生涯かけて聞こうと決心せられた
のです。
 武井先生の協力を得て、井野の地に光明団が強力に根を生やしました。当
時、小学校の校長が佐々木清一郎氏でありまして、校長の協力もあり、井野村
の中心人物が総力を挙げて応援して呉れたのです。
 講演の時には、小学校の講堂が満員になり、窓にぶら下がって聞く者もあっ
たと言われています。所が、一時の興奮が冷めると、光明団は異安心だとの風
評が広まり、井野の地も批判の嵐に包まれます。大衆と言うものは、何時もそ
も様な行動をとるものです。
 その様な状況の中で、一貫して揺りぎ無く信念を護り続けたのが、明覚寺、
徳泉寺、光善寺、佐々木校長でありました。染香寺は、河野直臣先生が昭和十
八年に亡くなられまして、後が絶えました。顕正寺は、初めから中立を護って
いましたから、非難は免れました。それ以外にも何ケ寺かの協力者はあったの
ですが、皆、批難の中で雲散霧消したのです。所が、一貫して同胞の御念力に
より、昭和九年、第一回島根県連講習会が、大麻の地、折井農業組合会館で開
催されてより、終戦の年まで欠かす事無く、毎年の講習会が続けられてきたの
です。終戦の年は、流石に講習会は開かれませんでしたが、翌年からはまた続
けられて来ました。これが、終戦までの島根県連のあらましの状況です
 戦後になりますと、事情が一変します。私は、昭和二十一年に徳泉寺に帰り
ますが、その頃、徳泉寺を護って呉れた人は日原信哉師でした。昭和二十一年
の秋に徳泉寺で第十二回県連が開かれました。その時から私の聞法が本格的に
始まったのです。
 戦後は貧困に苦しむ時代でありましたが、皆それなりに頑張って生きて来ま
した。今年、島根県連は、第83回の年を迎えます。今日、五日間の地方の講
習会を続けて居るのは、島根県連だけであります。貴重な存在であると自負し
ています。
 島根県の話ばかりになりましたが、是も本団100年の歴史があっての事で
ありますので、100周年を記念する記録の一端になるかと思い申し上げた次
第です。
 光明団は、幸いに一〇〇周年を迎えました。しかし、この後どうなるかは、
判りません。そのことを思う時に、一つ大事な提案があります。それは『サン
ガに帰依する』と言う事です。光明団のサンガも、人間の集まりですから必ず
意見の違いが生まれます。その時大いに議論をすることは結構ですが、その挙
句に、喧嘩別れになれば、サンガは壊れます。仏法が『篤く三宝を敬え』と教
えている事に心を注ぐべきです。
 三宝とは、仏法僧の三宝です。仏と法に帰依する事は勿論でありますが、僧
に帰依すると言う事は,どう言う意味が有るのかと疑問に思っていました。所
が、此の和合僧に帰依すると言うことが無ければ、仏道は破滅するのだと言う
事が判りました。
 破和合僧と言う罪は、単にサンガの団結を乱すのみに留まらず、サンガを破
滅に追いやるのです。即ち、サンガには、色々の人が集まっていますから、必
ず、意見の相違が起こります。その時、機の深信が不徹底であれば、サンガは
分解してしまいます。
 機の深信とは、我も人も同じく業縁に流され、業火に焼かれている身である
と言う自覚です。しかし、その業縁の身が。必ず摂取不捨の救いに預かる身で
あるとの信知です。貴方も私も共に業縁に流されている身でありますが、必
ず、摂取不捨に預かる身であると、何処までも相手を信頼する心です。この信
知があればこそ、サンガは保たれて行くのです。
 これは如来の信知でありまして、人間の信知ではありません。この機の深信
に徹する事なくては、サンガは護れないのであります。幸いに、100年も継
続することが出来た、このサンガが、この後も長く続いて下さるように、機の
深信に徹して念仏申さして頂きたいものです。此処に、深甚の思いを込めて、
提案さして頂く次第であります。
 『篤く三宝を敬え』とは、聖徳太子の願いでありました。この願いは、仏法
が大陸から伝来するよりも1万年も前から、日本列島に伝えられて居たと思わ
れる、日本古来の思想に根差しているに相違ないと思われます。此の言葉の深
い心を頂いて、日本民族の深層意識に深く蓄えられた、サンガに帰依する心を
大切に受け継いで行きたいと思います。
 戦前に、暁烏敏師は、日本の神ながらの道は、仏教であると言う説を称えま
した。さすがに、戦後はそのような事はおくびにも出しませんでしたが、同時
にあれは間違いであったとも、絶対言わなかったのです。今思うに、彼の言わ
んとしたことは、日本仏教の根底に、大陸伝来の仏教思想とは異なるものが有
るのではないかと言う、彼一流の直観であったものと思われます。
 聖徳太子という伝統も、何か、大陸伝来のものと異なるものが有るのではな
いかと思われます。此れは、今後の研究に待つより仕方がありませんが、弥生
時代以前の、縄文時代の伝統が、歴史の記述から消されてしまっている今日、
縄文時代の研究が為されなくては、如何にも言えない訳です。
 それはとも角として、折角親鸞聖人によって見出された浄土真宗の教えを、
大切に次の世代に受け継ぐ為に、『サンガに帰依する』と言う伝統を護ること
が、我々の役目であると思われるのであります。
 日本民族には、この様な、他の国に無い優れた伝統があることを誇りに思う
と共に、この『浄土真宗』と言う教えを、今こそ世界に向かって、発信すべき
時であると思うのです。サンガを護るとは、浄土真宗を護る事であります。 

水琴窟 47

水琴窟 47

水琴窟 47
問 『いのち』は誰のもの
答  安心決定鈔に『天親菩薩の「往生論」に「帰命尽十方無碍光如来」と言えり、深き法も浅き譬えにてこころえらるべし。たとえば日は観音なり、その観音の光をば、みどり子より眼に得たれども、稚き時は知らず,少し小慧しくなりて、自力にて「わが目の光にてこそあれ]と思いたらんに、よく日輪の心を知りたらん人「己が目の光ならば夜こそ物を見るべけれ、速やかに元の日光に帰すべし」と言わんを信じて、日天の光に帰しつるものなれば、わが眼の光やがて観音の光なるが如し。帰命の義もまた斯くの如し。知らざる時の命も阿弥陀の御命なりけれども、稚き時は知らず、少し小慧しく自力になりて、「我が命」と思いたらんをり、善知識「もとの阿弥陀の命に帰せよ」と教うるを聞きて、帰命無量寿覚しつれば「わが命無量寿なり」と信ずるなり。』(28の15)
と説かれてあります。
『わが命』と思うのが一般の常識ですが、浄土真宗では『阿弥陀の御命』を頂いて生きているのであると教えるのです。
わが命であれば、私の思い通りになる筈ですが、命の事実は、私の思い通りには決してならないことは、先刻承知のことであります。
私の『いのち』は、如来より賜ったものでありますから、大切に為なければなりません。そうして、因縁が尽きたらお返しするのであります。唯それだけのことですが、其れが中々、頷かれないのです。
所で、『如来より賜った命』と言うことは、どう言う命なのでしょうか、いのちを賜ると言っても,具体的に何を賜るのか一向にはっきりしません。
『いのち』とは、私が『今』生きている事実です。所が、『今』という事実は、私に於いては、何時も瞬間に過去に流れてしまって、捉え所が無いのです。
過去は思い出に過ぎません。どんな美味しい食べ物でも、食べてしまえば、『美味しかった』と言う『思い出』だけに過ぎません。
日常生活では、『今』と言う時間は『過去の思い出』として在るだけです。しかし、今確かに、生きているではないかと言います。実は、その『今』が問題なのです。
日常の今は、常に瞬間に過去に流れて行くのですが、過去に流れない『今』が在るのです。其れを『永遠の今』と申します。
永遠の今とは、永遠なるものが、日常の今の中に入ってきて充満することです。『永遠なるもの』と言うのは、真如であり,如来であります。真如が私の中に入るとは、どう言うことでしょうか。
善導大師は、『応心即現』と言いました。観経の第八像観の言葉です。その前に『安楽の慈尊、情を知るが故に東域に影臨す』と言う言葉がありました。『情』と言うのは、曇鸞の『情願』を『情』と縮めて言ったのです。『情』とは私達の心の底に隠れて居る『真実なるものに逢いたい』と言う切実な願いであります。この情願に目覚めた者の前に現れるのが阿弥陀如来であります。
観経には『是心作佛、是心是佛』と言います。私にはそんなものは在る筈が無いと、思って居ましたが、佛の説法を聴いて、私にも情願が在ることに目覚めた者に、その情願に応じて、阿弥陀如来が現れるのです。それを『他力回向の信心』が成就為ると言います。其れを『今』の成就と言います。
その『今』を、歎異抄では、『念仏申さんと思い立つ心の起こる時、即ち、攝取不捨の利益に預けしめたもうなり』と言いました。この『時』が、『今』と言う時であります。.
『虚無の身』と言うのは、機の深信の意味であると言われます。即ち『信外の軽毛』と善導が言いました様に、吹けば飛ぶような存在でありますが、その軽毛に、真実信心を賜ると,『無極の体』と言う、『絶対無限の徳』が成就するのです。其れを『法の深信』と申します
この『機法二種の深信』は、二種一具と言われて、離れる事は有りません。永遠なるものが来たって充実すると言うのは、虚無の身の上に、無極の体が成就する事です。
平等性智が得られると言うことは、二種深信の成立です。此れを離れて『平等性智』はありません。一神教では成就し得なかった、『権威主義の克服』と言う平等性が、初めて成就する道が開かれたのです。
我々衆生にあっては、過去、現在、未来に渉って『出離の縁有ること無し』と如来の前に頭を下げきった所に開かれるものが、平等性智であります。
決して、『我は信心を得たり』と高上がりした所に開かれるものでは有りません。この平等性智こそ、どんな愚かな悪業の衆生も、平等に仏となる事が出来る唯一の道であります。それ故に、阿弥陀仏は、衆生の上に君臨する事無く、『我が善き親友なり』と衆生を攝取不捨するのです。
親鸞聖人が『御同朋、御同行』と言われたのは、正にこの阿弥陀如来の御心を頂かれて、生きられたからで在ります。
『平等力に帰命せよ』〔讃阿弥陀仏偈和讃)と親鸞聖人は和讃に詠います。此れは、
『末那識を転じて、平等性智を得る』と言う佛経の願いに応答した生きる姿勢で在ります。
『末那識を転じて、平等性智とする』と言う佛道の目的が、見事に成就した姿が,  『念仏成仏』の浄土真宗で在ります。
如来の御いのちを頂いて生きると言う事は、お念仏を賜って生きることであります。

水琴窟 32

水琴窟 32 

水琴窟 32
問、篤く、三宝を敬へ
答 これは、聖徳太子の十七条憲法の言葉であります。今日、聖徳太子は架空の人物であろうという説が言われています。しかし、この十七条憲法を書いた人物がいることは確かな事実です。その人を、仮に、聖徳太子と呼んでおいてよいと思います。
第二条に置かれている『篤く、三宝を敬え、三宝は佛・法・僧なり、』の言葉は、その後永く、今日まで、日本人の深層意識に留まって来ました。
私は、仏教の教えを顕す唯一の言葉である『篤敬三宝』の言葉について、『仏』と『法』を敬う事に就いては異論はありませんが、『僧』を敬うと云う事はどういう意味であろうかと疑問に思って居ました。
『僧』とは『サンガ』であると言われます。印度では、元々、同業組合をサンガ゙と呼んでいたと云いますから。それを仏教も採用したのだろうと思っていたのです。サンガは『和合僧』と翻訳されていて、仏教徒の団結を促す為であろうと思っていました。従って、『破和合僧』の罪が大切に説かれるのも、団結を乱す罪であろうと思っていました。
所が、この『破和合僧』には重大な意味があることを知らされたのです。即ち、サンガに帰依すると云う事が無く、それに背くことは、仏教を破滅させる事になるのです。
『破和合僧』に依って、仏教は弘まら無くなり、やがてこの世から消えて行くことに成るのです。仏教が個人的に信仰されているばかりでは、それは二乗地の信仰です。二乗地の信仰は、独りよがりの信仰で、自己満足に終わり、他に伝えられません。
仏教は、声聞によって始まります。声聞とは、只管に聞法に励む者です。声聞が聞法を重ねて縁覚(独覚)になります。独覚とは、仏法が次第に、よく解るように成る事です。声聞と縁覺は立派な仏教者なのです。しかし、この世界に留まる限り二乗地と言われます。
仏教が二乗地に留まる限り、他に伝えられることはありません。その人の信仰は、個人的信仰で、自己満足に終わるからです。これが『二乗地』は、菩薩の死であると言われる所以です。
竜樹が二乗地に堕する事を菩薩の死であると言って、厳しく戒めたのは、二乗のみでは仏道が滅びるからです。若し仏教徒が、『声聞』と『縁覚』ばかりに成れば、仏教は滅びます。
しかし、今でも二乗と言われる仏教が、東南アジアに立派に生き残っているではないかと言う反論があると思います。それに就いては、説明を要しますが、東南アジアの佛教は、大乗仏教ではありません。大乗仏教から見れば、多分に未成熟の仏教であります。
そもそも、小乗仏教と言われるものは、仏教の基礎であります。何万年と言う長い年月をかけて、人類が蓄積して来た叡智の基礎段階に在るものです。従って、此の基礎段階を無視したり、否定する事は許されません、しかし、其の基礎の上に築かれた思想が大切なのです。
小乗仏教は、戒律を守ると言う強権主義によって維持され生き続けています。大乗仏教は、この戒律厳守と言う教権主義を捨てたのです。即ち、破戒無慚の者も包もうとしたのです。この為に、『サンガに帰依する』と言う、法則を生み出しました。大乗仏教が、教団を維持し、その精神を永遠に継続させる為には、サンガが必要なのです。
サンガに帰依すると云う事は、同朋を尊敬する事です。サンガと言っても、所詮、人間の集まりですから、其処にはいろんな人が集まっています、従って、当然、意見の相違が起こります。その時、互いに相手を批判するだけでは、サンガは成立しません。争いばかりに成り、やがて分裂してしまいます。
キリスト教等が、神の罰を厳しく説いて、神の権威を強調するのは、教団を維持する為でありましょう。仏教は『神の権威』を主張しませんから、教団維持のために別の方法を考えなくてはなりません。その為に『サンガに帰依せよ』との教説を生み出したのであります。
しかし、人間の集まりには、必ず意見の相違が生じ、争いが始まります。それを収める為にはどうすれば良いのでしょうか。これは中々難しい問題であります。
『サンガに帰依せよ』との教えは、大乗仏教では、真に『仏と法に帰依する者』は、自ずから『僧に帰依する』と言うのです。従って、二乗の教えは、自己満足に終わって、真の仏道では無いと言うのです。
仏教に入る為には、必ず声聞・縁覚の段階を潜らなければなりません。仏教の基礎段階であると言うのは、必ず、その段階を潜らねばならないと云う事です。所が、其の段階に留まってはならないと言うのです。
仏教が、小乗仏教から大乗仏教に発展したと言う歴史の事実には、人類の叡智の積み重ねによって、宗教の意義の深化が行われたのです。しかもその思想の深化を、絶やす事無く後世に継承していく為の重大な法則を見つけたのです。この法則を発見した事により、仏教が強権主義を克服して、然も、永遠に伝承される道が開けたのです。
教団を維持していくためには、教権に依る強い束縛が必要なのです。この教権によって団結が維持されるのですが、この教権が強ければ強い程、団結は維持されますが、半面、個人の自由は束縛されます。
一神教は、強い教権によって維持されています。信仰は、『神への恐れ』であると言われます。『最後の審判』と言う恐れが、強く信者にのしかかっているのです。イスラム教徒の『自爆テロ』は、『神の最後の審判』に依って支えられています。
私は、特攻隊に志願した人間ですが、その時の心境は、『俺たちが死んでやらねば、弟や妹たちが助からない』と言うものでした。特攻隊員同士で幾たびも議論し合って、結局落ち着く所は、弟や妹の為に死ぬと言う結論でありました。
『お国の為に』という内容は、往時の私達には、結局、其れしか考えられなかったのです。イスラム教徒の信条とは、随分違っていたと思います。
兎に角、一神教は教権主義で維持されていると云う事です。それに対して、仏教は、教権主義を認めませんから、教団を維持するための方法が無いわけです。これは宗教教団にとって、大変な問題であります。
其処に、『サンガに帰依する』と言う思想が生まれました。サンガに帰依する前に、先ず、佛と法に帰依する事が要求されます。佛と法に帰依する事は、仏法に帰依する事です。仏法に帰依する事は、自身の『機の深信』に目覚める事であります。
業縁に押し流され、業火に焼かれている我が身の事実に徹する心は、同時に周囲の一切のものが、自他共に業火に焼かれている存在であることに気付くのです。此処に、『共に是れ凡夫のみ』(41の4、聖徳太子、十七条憲法、第十条)と言うい自覚が生まれるのです。

聞法する者は、仏と法に帰依する事は当然ですが、サンガに帰依することが無いなら、大乗仏教が成立しないのです。それは二乗の集まりではありましても、大乗仏教にはなりません。
サンガと雖も凡夫の集まりであります。従って、愛憎善悪の渦が巻き起こります。その時、『愛憎善悪の心を浄土に流し、念仏申せ』との師教が思い出されます。誠に、愛憎善悪の心を浄土に流して念仏する道が有ったのです。
サンガに集まる人に対して、不満や批判の思いが起こる時、それをあながち止めよと言うのではありません。議論する時は徹底して議論すべきです。其の上で、愛憎善悪の心を浄土に流して念仏するのです。
『貴方も、私も、宿業に流され、業火に焼け爛れて居る存在であります。しかし、必ず仏に成る可き身であります。』と何処までも、互いに信じ合って、念仏するのです。其処に、『サンガに帰依する』と言う教えが生きて来るのです。
それは大変な事のようですが、真に仏法に遇い得た人には、それが出来るのであります。此処に。サンガに帰依するという事が、仏道成就の必須の条件であると言わねばならい意味がありました。
釈尊在世に時代には、仏陀が現存されていましたから。仏道が成就していました。しかし、仏の滅後になると、釈尊の人徳の影響が衰えて、仏教が当に滅亡しようとしたのです、その時、サンガの意義に目覚めたのが、大乗仏教の先輩たちでした。この先輩たちの目覚めが無かったら、仏教はこの世から姿を消していたことでしょう。此処に、『篤く、三宝を敬え』と言う教えが大切に伝えられ、大乗仏教として、三国に流布して今日に至りました。
『厚く三宝を敬へ』と言う聖徳太子の精神は、三国・七祖を貫いて今日まで伝承されて来ました。この後も、永遠に人類を救う鏡となって頂くよう、我々仏教徒が、此のサンガに帰依し、讃嘆し、護持して行かねばなりません。

水琴窟 59

問 一神教のみでは
答 世界の宗教は、一神教優位になって居ます。このまま、一神教のみが優位になって、一神教のみの世界に成れば、人類は、滅亡する恐れがあると説き続けて来ました。
此処に、二尊教と言う宗教があることを、是非、世界に訴えねばならない理由があるのです。
一神教は、真か偽かと言う二者択一の選択しか出来ない世界観であると云いました。其れに対して、仏教は、真、仮、偽と言う三つの選択肢を持つ世界観を堅持して居るのです。
仏教の、真、仮、偽の選択肢の世界観は、釈迦、弥陀、諸仏が共存する世界であります。是れを、二尊教と言うのは、釈迦は、諸仏の一員であるからです。諸仏とは、真実が、虚偽に働き懸ける具体的課程を表して居るのです。具体的働きは、夫々が、夫々の形を取って働くので、色々の姿を取って居ても好い訳です。全体を一つに統一する必要は無いのです。
釈迦は、特別に娑婆世界という、五濁悪世に働き懸ける使命を持って、この世に出現した仏でありました。五濁悪世は、殊の外、仏法が聞き難い所でありますので、極難信の法を説くと言われて居ます。従って、この娑婆世界に生まれた衆生は、特別に、釈迦の御苦労を身に染みて感謝申し上ねば成らないのです。
何故一神教のみの世界になれば人類が滅びる事になるのかと言うと、真か偽かと言う選択肢しかない世界では、『我は真なり』と云えば、我と異なる考えの者は、皆、偽ということに成ります。その為、『我こそ、真なり』と言う主張を互いに言いはる所に、争いが生まれ、やがて戦争になるのであります。
所が、今日の戦争は、兵器が物凄く発達して、勝負が着かなくなるのです。此れからの戦争は、勝利者が居ない敗者ばかりの戦争になるだろうと言われています。敗者どころか、人類滅亡の戦争に成るに相違ありません。
仮と言う選択肢があれば、『貴方も真を表す爲に努力して居るのですね』と言うゆとりが生まれてくるのです。仮と言う世界は、真を表す爲の課程です。真は、必ず仮を通して表現されるものですから、其処に、和やかに、相手の意見を聞いて行ける世界が展開するのです。
此れが、二尊教が持つ素晴らしい世界であります。日本は、この二尊教の『浄土真宗』を元にして世界に訴えるべきでありましたが、残念ながら、明治以来の戦争に勝利を得たために、のぼせ上がって、戦争ばかりに力を入れて、浄土真宗を無視してきました。
今こそ、浄土真宗に帰らねばならない時であります。しかし、戦争ばかりに走り続けたために、すっかり、宗教の重要性を忘れて仕舞いました。折角、二尊教と言う宗教を与えられながら、宗教無視の生活に明け暮れして居ることは、誠に、勿体ない事であります。
外道とは、真実が何か解らない世界で有ります。皆がよってたかって此れが真実だと叫んで居ますが、全く決め手が無いのです。その外道の世界から、仏教の世界に入って、初めて、此れが真実だと言えるものが見付かったのです。
所が、真実は明らかに示されたのですが、真と偽とが対立するだけでは、真実と真実との主張の争いになります。其処に、もう一つの転回が必要なのです。その転回が浄土教への転回であります。
浄土の教えは、真と仮と偽の三つの選択肢を持つ教えです。その教えは、本願念仏の教えでありますが、本願を信じて念仏申す、この道に於いて、初めて、皆の人々が穏やかに、暮らせる世界が成就されるのであります。
所が、私達が、 真に救われる爲には、もう一つの転回が成されなければ成らないのです。其れは、我執を超えるという問題で有りました。
我々は、心の奥底に、末那識という心の働きを持っています。其れは、自他区別識と言われて、自他を瞬時に区別して身の安全を図る機能でありまして、そのお陰で今日まで生き延びて来られたのであります。しかし、この働きの故に、自我の固執という問題が起こるのです。
この自我の固執(我執)によって、弥陀の回向の念仏の功徳を、自の善根とするのです、『私は念仏しているから良いが、あの人は念仏為ないから駄目だ』という心が抜けないのです。この我執は、根深いものでありまして、死ぬまで無く成らないもので有ります。
如来の智慧光の前に引き出されて、頭を大地に下げきって、謝るより外に、施し用の無い代物で有ります。此れを、『如来無視』、『佛智疑惑の罪』と申します。
この三つの転回を潜って、初めて私達の救いが、見事に成就されるのでありますから、私達は、この三つの関門を必ず潜る必要があります。
これが、『往生三度になりぬるに、この度特に遂げ易し』という法然和讃の意味であろうと思われるので有ります。
法然上人は、『源空みずからのたまわく、霊山会上にありしとき、声聞僧にまじわりて、頭陀を行じて化度せしむ』と言われていたと言います。此れは、先ず、外道を捨てて、仏道を求めたと言う意味であります。そうして、聖道門の修行をされたのが、第一の転回でありました。
更に,日本の国に生まれて、選択本願念仏集を著わし、第二の転回をなさったのです。その専修念仏の一道には、更に、第三の関門があることを見出し、念仏道に一生を捧げきって、目出度く、往生の素懐を遂げられたのであります。
『この度特に遂げやすし』との御述懐は、其れを語って居られたのでありましょう。
法然上人の此の御述懐を、態々和讃に作って述べられる親鸞聖人の御深意は、聖人の御自身の心境でも有りましょう。師弟共に同一の心境に住していられる風光が見られるのであります。
この世に生まれて、此の三つの転回を遂げて、往生浄土の素懐を遂げる事が出来ろ事は、何物にも代えることが出来ない幸せであります。仏法を聞き得たという事は、此の三つの関門を、必ず潜り抜けて、真報仏土に往生する事であります。若し途中で足踏みして前に進めなくなれば、往生の大利益を失う事になります。
往生は歩みであります。留まれば,其れがどんなにこころよい世界であっても、往生ではなく、仮城になるのであります。心して歩み続けねばなりません。
私も、法然、親鸞両聖人の顰み倣い、せめて真似だけでも、『往生三度になりぬるに、この度特にとげやすし』と、高らかに歌いながら、この世を去って行きたいものと思って居ます。

水琴窟 58

問、諸仏と言う事について、
答、諸仏と言う事について、考えることが在ります。其れは、宮城選集を頂いて居て教えられたことです。
『仏教では諸仏と言う事が説かれます。一神教の場合、正と邪の二極に分かれる世界観になります。そして、正か邪かのどちらかに決めつけるようになっていきます。其れに対して、仏教の場合は、そう言う二極ではなくして、諸仏という概念が置かれて居るのです。』
(宮城選集、第十五巻、p535)
一神教には、真と偽の二つしか選択肢が無いのでありましょう。その為、『我は真なり、汝は偽なり』と、自己を肯定して、争う事になります。
諸仏と言うのは、真なるものが働く具体的な姿でありまして、それぞれ、色々の形を取って顕れるのです。百人が百様に顕れて、然も唯一の真実を顕わすのです。
『教学の上では、真・仮・偽と言う三極と言う事になります。この、仮と言う事が大事なのです。真か偽かと言う二極に対して、仮と言う概念を置いているのです。如何なる物も絶対的なものではない。然も其処には、同じ願いが展開して居るのです。同じ願いが、それぞれのすがたを取ってあらわれているのです。
それぞれに具体的な姿と言うものは、何処までもその時その場その存在においてと言う事であって、絶対化すべきものでは決してない。
仮と言うのは、つまり具体相、具体的な存在です。具体的と言う事は、ある時、ある所に、あるものとして在ると言う事で、そこに具体性を見る訳です。』
『その時、其処における、そのもののありようであって、其れをもって、全ての時に、全ての場、全ての存在に、全部押しつけていく訳にはいかない。
そこに、それぞれの現れ方、それぞれの顕わし方が在る。其れが、仮と言う概念です。
ですから、真から仮への間に、無限の展開があると言う捉え方だと言ってもいいでしょう。』
『諸仏それぞれが、それぞれの分に於いて、真を表現し、偽を明らかにして居られます。』
(同上、p536)
真理は、唯一つでも、其れを表す爲には、様々な立場があって然るべきでしょう。私の主張のみが真実であると固執すれば、他のものは偽になるのです、其処には、自己主張同志の争いが始まります。それが、今日の争いの原因であります。
但、弱いから、妥協して他に従うのではなく、それぞれの立場が在ることを認めて、協調しあって生きる、生き方が在るのでしょう。其処に、諸仏の存在を認める世界が在るのです。
諸仏は、それぞれの世界で弥陀の功徳を讃嘆します。釈尊も諸仏の一人でありますが、釈尊は、特に、五濁悪世の但中に立って、弥陀を讃える役目を担って居るのです。弥陀を讃えると言う事は、阿弥陀の世界に行けと勧めるのです。其れを『発遣』と言うのです。  諸仏の発遣が無ければ、弥陀の本願と言うのも、話になります。観念論になるのです。弥陀は偏に『我に来たれ』と『召喚』するのですが、諸仏は、口々に『弥陀に帰れ』と発遣します。此処に、『二尊教』の妙趣が在るのです。
諸仏は、決して『我に来たれ』とは言わないのです。口を揃えて、『阿弥陀に帰せよ、我も共に行かん』と言うのです。其処に、諸仏の役割が在るのです。此の、二尊教こそが、宗教の健康性を保つ原理で有ります。
一神教は、厳しく法の原理を説くのでありますが、その厳しさが、法の権威となり権威主義に陥いる原因になるのです。権威主義の前には、絶対服従が要求され、信仰は、神への絶対服従を要求し、神への『恐れ』となります。是れは、信仰の純粋性を保つためには、有効で有りますが、権威の前に絶対服従が求められる事によって、弱者の声が消されて行くのです。弱者とは、苦悩の衆生と言う事です。
『苦悩の有情を捨てずして』と言う『弥陀の本願』との相異です。弥陀の本願は、飽くまでも『苦悩の衆生を捨てず』という願に生きるのです。聖道門は、賢者の爲の教えでありまして、勢い、弱者の嘆きの声は切り捨てられました。
その為、『聖道門をさしおきて、選んで、浄土門に入れ』と言われるのです。聖道門は、真実の教えではありますが、其処から漏れる者があるのです。万人の爲の教えではありません。漏れる者とは、弱者です。この弱者を救う道は、浄土の教えしかありません。
弱者とは、誰のことでありましょうか。若し弱者が、自分以外の他者であれば、お気の毒とは思っても、そのまま見過ごして通れます。しかし、弱者が、自分のことであれば、そのまま通り過ぎる事は出来ません。誰のことかをよくよく考えてみる必要があるのです。
弥陀の本願は、如何なる弱者も漏れること無く救う道で有ります。
如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり
(正像末和讃、11の35)
私の父は、この和讃をとなえる時には、必ず涙ぐんで居たと、大森先生がよく言われていました。『若い頃は、此の老僧は、随分涙もろい人だなと思って居たが。この頃になって、やっと老僧の心情が解るようになった。』と述懐して居られました。
『苦悩の有情をすてずして』と言う言葉が、受け取られる様に成るには、人生の経験を経なければ成らないのです。人生の経験を経て、弱者とは、我が身の事であったと頷ける様になって、初めて、弥陀の本願が、我が身の爲に興こされていた事に気付くのであります。
『真か偽か』と言う二極対立の激しい人生観でなく、『真・仮・偽』と言う、緩やかな、三極の人生観に立って生きる事が与えられている事に、大いなる幸せを感ずることであります。
諸仏の存在を許すことに、二尊教の特色が有るのであります。一神教の厳しさと、二尊教の緩やかさと、夫々、趣きは、異なりますが、どちらが良いかは各自が、自分の責任で選ぶべきでしょう。
諸仏の存在を認めることは、阿弥陀仏の特別のお心であります。諸仏は夫々の立場に立って、阿弥陀仏を讃嘆します。阿弥陀仏は諸仏を『我が善き親友』として遇します。決して諸仏を支配しようとは為ないのです。これが、釈迦弥陀二尊教の原則です。
二尊教に於いて、初めて、健康な宗教と言えるのです。一神教は、強い力を持っていますが、同時に、恐ろしい支配力を発揮して、権威主義を振り回すのです。
覇権国家が、弱い国を征服して強大になるのも、この権威主義の構造の故です。今、覇権国家同志の覇権争いが、人類滅亡の運命を、引き起こそうとしている事実に、我々は、目を開くべき時であります。

水琴窟 57

問、 深層意識
答、 私は、偶々。大谷派の寺院に生まれました。その為、子供の時から仏法を聞かねばならないと言う事は心得て居ました。今思い返して見れば、其れは、よくよく、宿善に恵まれて居た結果でありました。
父も、母も、仏法の志は篤い人でありましたので、自然に、仏法は聞くものだと、思うようになったのです。是れは、大変な事であったと思うのです。今日、仏法を聞くという事は、容易な事ではありません。
遠く、お釈迦様から始まった、仏教の歴史は、印度から、中国大陸を伝わって、朝鮮半島を経由して日本に伝えられたのですが、其れは、文字を伴って伝えられた仏教でありました。
其れとは別の、海上ルートを通って日本に伝えられたものがある様です。其れは、縄文文化と言われているものであります。今日では、その全容は判りませんが、旧モンゴリアンと言われる人々によって伝承されたものである様であります。
その伝承は、アメリカ大陸にまで伝えられて居て、アメリカ原住民の神話に見られるものです。それを、アメリカでは、グレート・スピリットと名付けたと言われています。
日本の、阿弥陀如来と同じ神話に由来するものの様です。日本における、阿弥陀如来の信仰は、縄文時代以来の信仰が、深層意識となって、法然や親鸞の上に顕れたものでは無いかと考えられるのであります。
深層意識というものは、深く人間の心に根ざして居て、意識していないのにその人を動かして居るものです。
梅原猛と云う方が、生前『日本の深層』と言う本の中に力説して居るのです。この梅原説は、注目に値するものであります。今後、縄文時代の研究が進んで、梅原説が証明されることを願う者でありますが、証明は難しいかも知れません、証明されなくても有力な仮説として注意されて良いと思います。
日本民族の深層意識の中に蓄積されていたものが、聖徳太子の名に代表されて、親鸞の『浄土真宗』として、地表に顕れたのでは無いかと思われるのです。この日本民族の深層意識となって居る精神は、今日も我々日本人に保たれている心でありまして、後に日本列島に侵入してきた『弥生人』によって嫌われ、歴史の上からは、抹殺排除されましたが、どっこい、根強く生き残り、今日まで日本人の心の中に、生き続けて居るのです。
これが、親鸞の説いた『浄土真宗』であります。聖徳太子の名のもとに伝えられて居る、『十七条憲法』の精神は、『篤く三宝を敬え』であり、『和を以て貴と成す』で有ります。三宝を敬うと云う事は、仏教の精神以外には、人類が永遠に平和を保って行く道は無いと言う事です。是れは、全人類に向かって明らかにすべき事であります。
この事を、嘗て、暁烏敏師が戦前に提唱したのです。戦後の混乱の中で、この提唱は、うやむやになり、忘れ去られて仕舞いましたが、今こそ、もう一度提唱しなければ成らない問題であります。
仏法は、権力や、威力で押しつけるものではありません。静かに話し合って納得されるべきものです。そんな悠長なことを言っても駄目では無いかと言われるかも知れませんが、仏教は元来そうしたものでありました。その為に、仏教は滅んで行った国もありますが、どっこい頑張って生き残っている地方もあるわけです。真理と言う者は、常にその様な形で生き延びていくものなのでしょう。
日本は、その仏教が生き残っている貴重な国で有ります。是れは偏に、浄土真宗のお陰であります。
浄土真宗以外には、真に人間の救いを成就する道は無いのです。随分思い切った事を云うようですが、浄土真宗が見出されたお陰で、聖道門の意義も見出されたわけです。聖道門が悪い訳ではありません。聖道門は、浄土門の爲の要門であります。
要門は、道を得るために、如何しても潜らねば成らぬ、必要な通路であります。故に、浄土真宗に到るための必要な課程で有るのであります。
私が、仏道成就の爲には、『三つの関門』を潜らなければ成らないと云うのは。人間が救われるための、必須の法則であるからであります。其れは、日本に於いて、法然、親鸞に依って見出された法則でありました。
インドで仏教が衰えたのは、大乗仏教は生まれましたが、浄土の教は充分完成し得なかったからで、浄土真宗までは到達出来なかった爲であります。中国でも現在、仏教は見失われています。矢張り、善導大師までは伝えられた浄土教が、善導以後途絶えたた爲であります。
日本に於いてのみ、仏教が生き残れたのは、まさしく、浄土真宗が仏教を支えたのであります。日本に於いて、初めて、浄土の教えが、晴れて天下に真の姿を表したのであります。
これは、『三つの関門』を潜ってこそ、『往生浄土の道』が、完成される事を証明するものであります。浄土真宗は、まさしく、人間の救いの道を、はっきり指し示すもので有りました。我々は、遠慮する事無く、この事実を海外に発信すべき時が訪れて居る事に目覚めなければ成りません。
戦前は、武力で日本精神を世界に伝えようとしました。其れは明らかに間違いでありました。人間は、武力によって納得するものではありません。話し合いに依って時間を懸けて、言い分を聞いてもらうより道はありません。其れには、時間と辛抱が必要です。
成功するかしないかは判りません。然し、それより外に方法は無いのであります。所が、人はせっかちですから、この方法には耐えられなくなり、いきなり、他の方法を用いようとするのです。其れが世界紛争の原因です。
この儘、世界紛争に巻き込まれて、人類は滅亡して行くのでしょうか。悲しいことであります。人類滅亡の末路を見ることは、悲しいことでありますが、是れも、因縁の然らしめる所でありますから、何とも、致し方の無い事であります。念仏して死んで行くまでの事であります。
兎に角、浄土真宗に依らねば、世界の平和は成就しないのでは無いかと思われるのですが、浄土の教えを辛抱強く語り続けて行くより方法は無いでしょう。これが、日本に生きている、念仏申す者としての今日的使命でありましよう。

水琴窟 56

問、 往生みたびになりぬるに
答、法然上人の和讃に、
  命終その期ちかづきて 本師源空のたまわく
   往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし
『往生みたびになりぬるに 』と言われる意味が判らなかったのですが、往生成仏を果たし遂げる爲には、三つの難関を潜って初めて成就為るのであると言うことに気付いてみて、三度目と言う事が頷ける様に思われます。即ち、釈迦の在世中に仏弟子としての生涯を送り、日本に生まれて聖道門から、浄土門に入り、浄土往生を願って、人間に生まれた意義を完成する事が出来たと言う事です。
 第一の関門は、外道から仏道への転回です。世尊の教えを聞き得たのです。世間の教えに従っていた者が、是れを捨てて、仏の教えを聞く事が出来たのです。是れは希有最勝の出来事で有りました。
 曇鸞大師が、『仙経ながく焼き捨てて、浄土に深く帰せしめき』と言われているのは、偏に、この第一の関門の前に立たれて、是れを超えることを、『菩提流支』から厳しく迫まられた事を語っているのです。
法然上人は、父が、仇のために殺される、その臨終に当たって、『お前は、父の仇を討とうとしてはならない、恨みに対して、恨みを持って返せば、恨みは何処までも尽きることはない。父の死を縁として、仏道を求めよ』と言い残したと言われています。その遺言が、法然の出家のきっかけに成ったと言われています。法然上人の例を見るように、この第一の関門を潜る事は、時に、命がけの事でありまして、容易な事ではありません。
 私は、海軍の航空隊の訓練を受けたものでありますが、その時、第一に要求されたのが、『娑婆気を捨てよ』と言う事でありました。これは、中々大変なことで在りました。即ち、娑婆への一切の未練を捨てて、『何時死んでもよい覚悟を決めよ』と言う事でありました。 其れは一応判っていましたが、何時死んでもよいとの覚悟は、容易に決められるものではありません。何度も何度も迫られてやっとその覚悟らしいものが出来あがって行きました。 然し、本当に死ぬ覚悟は出来なかったように思います。やむなく死ぬ覚悟をしていたのであります。其れは、今、申して居る『第一の関門』を潜る様な問題であったと思います。
 この第一の関門は、仏道に入るための、最初の大事な入り口であります。『娑婆気を捨てる』という事は、権力によって無理矢理に超えるより外に方法は有りません。しかし、仏道では、教権や、権力に依らずして、自然に成就されていく、自覚であります。其れが、仏道への目覚めであります。
 若し、この第一の関門を潜る事を怠って聞法すれば、折角の聞法が、皆、『有漏の経験』に終わるのです。有漏の経験は、いくら熱心に積み重ねても、決して、『無漏の経験』にはなりません。有漏の経験に終われば、仏教の知識は増え、物知りには成れるのですが、信心には成りません。如何に多くの人がこの誤りを犯していることでしょうか。
 仏教学者が、どれだけ仏教に精通しても『信心』には成らないのです。其れを物語っているのが、渡辺照宏氏と二葉憲香氏との論争でした。(水琴窟、14、参照)
渡辺氏は、仏教学者としては、自他共に許された人であるかも知れませんが、信心は獲られていない人でありました。その結果、仏教が観念論に成って居るのです。
是れは、仏教を学ぶ者の、最も注意すべき事であります。仏教が、如何に精緻に研究されて居ても、観念論に成れば、仏教の真精神が見失われ、単なる、理論に成るのです。是れは、仏道を求める者の最も恐るべき落とし穴であります。
 法然上人は、父上の遺言に依って、この第一の関門を潜り抜けた方でありました。それは,父上の死を通して成された、悲痛な経験であります。其の故に、必死の求道が始まりました。
 然し、必死の求道のあげくにも、まだ超えなければならない関門があるのです。其れが、第二の関門であります。『聖道門を投げ棄てて、選んで、浄土門に入れ』という関門でありました。
 法然上人の『選択本願念仏集』は、正しく、この第二の関門を潜ると言う問題に答えたものであります。法然上人は、『選択本願念仏集』を著わすことに、その生涯を尽くされたので有ります。
 是れは、誰も成し得なかった、大事業でありました。この第二の関門を見出した功績は、法然に譲るべきでありますが、仏道に関わる多くの人々が、但、観念論に留まって、永く、見出し得なかった課題でありました。
 聖道門は、仏道の基本でありまして、仏道を求める者は必ず学ばねばならない『要門』であります。此の、要門こそ、仏道とはどう言う道なのかを説く教えであります。此の、要門をしっかり学んでこそ、その上に仏道の救いの道が明らかに為るのであります。
 従って、この要門を疎かにしては、仏道は、成り立ちません。浄土の教えを聞く人も、この原則を、よくよく、心得て置くべきであります。
 然し、この要門の世界に留まって、其れから先に進めない者が居るのです。自分には、聖道門の修行が出来るはずだと言う思いを捨てられないのです。その人は、聖道門で頑張れば良いのです。其れが禅宗などの修行者です。
 人間は、よくよく、自己肯定の存在でありますから止むを得ないわけです。如来は、其れを許して、修行を続けよと仰せになるのです。
 聖道門の修行では、自分は助からない存在であると気付いた者だけが、この第二の関門を潜って、浄土の教えに辿り着くのであります。
 浄土の教えは、『唯、本願を信じて念仏申せ』と言う教えであります。本願力回向によりて、阿弥陀の浄土に往生するのです。しかし、目出度く弥陀の浄土に往生しても、仮土に生まれる者が居るのです。その為に、更に、第三の関門が用意されて居るのです。
 折角、弥陀の浄土に生まれながら、仮土に生まれて、三宝の慈悲に離れて、真実報土に往生出来ないのです。それは、偏に仏智疑惑の故であります。其の爲に、第三の関門があるのであります。
 第三の関門とは、浄土門の中の、『正助二業の中、助業を傍らにして、選んで正定業を専らにすべし』という問題であります。是れは、親鸞聖人によって明確に意識せられたものでは有りますが、既に、善導大師によって語られていますので、善導・法然によって見出されて居たもので有ります。
 此の、第三の関門は、『佛智疑惑の罪』であります。仏智疑惑とは、人間の思いを優先して、仏の智慧を疑う事であります。
 私の思いを第一に考えて、何処までも、自己の思いを正当化し、仏の教えには耳を貸そうとしない、頑なな、自己肯定の我執の心で有ります。其れが、仲々見えないのです。
 この心は、私の最も深いところに巣を作っている根性でありまして、人生の終わりまで無くならない根性で有ります。
 この三つ目の関門は、仏の智慧の前に連れ出されて、教えによって叩かれて、叩かれて、如来の前に謝り入る以外には、手の施し様の無い代物で有ります。
親鸞聖人が、晩年になって、『仏智疑惑の罪』に就いて、執拗なほど繰り返し、繰り返し和讃に詠われているお意を、不審に思っていましたが、その深いお意が、やっと頷ける様に思われます。
 この第三の関門を潜ってこそ、念仏の救いは成就為るのです。ここに、初めて、人間に生まれた喜びを、全身に満喫する事が出来るのでありました。
この三つの関門を潜って初めて往生浄土が果たせるのでありました。其れを表す爲に、わざわざ、『往生三たびになりぬるに』と言う和讃が作られて居たのでありましょう。
 この様に、仏道成就の爲には、必ず、『三つの関門』を潜って、超えなければならないのです。これは、仏道の鉄則でありました。仏道を志す者が、銘記すべき事であります。
 此れは親鸞聖人に依って初めて意識されたものでありますが、仏道を成就した人々には、理解されていたものでありましょう。其れが、地下水の様に大地の底を流れ続けていて、親鸞にまで流れてきて、地上に現れたのです。親鸞聖人のお陰で、私はその事を知らせて頂きましたが、浄土の祖師達は既にその事を知って居られたのでありましょう。
 私も、此の三のつ関門を潜り抜けて、『往生三たびに成りぬるに、この度、殊に遂げやすし』と、高らかに歌いつつ、今生を『おさらば』したいものと思って居ます。