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碇草~ikarisou~

    いかり草 1
   日本の深層 (一)
 梅原 猛に、『日本の深層』という著作があります。(小学館、梅原猛著作集、6)
 彼は、母が仙台の生まれであり、母の死によって、父の生家である愛知県知多郡の田舎で育てられたのであるが、自分の血の中には、東北の血が混ざっていると述懐しています。此の『日本の深層』は、『梅原猛が、日本の本土に残る縄文文化の跡を訪ねた紀行文』であります。
 芭蕉の『奥の細道』は、江戸時代の日本人の常識である東北文化に対する偏見、『東北は文化の遅れた辺境の地』というイメージによって『奥の細道』と名付けられましたが、この『奥の細道』は、『江戸時代の小氷河期の過酷な風土を生き抜いた東北の人々に永遠の命が与えられ、日本人の全てが供有する心の原点となった。(安田貴憲、解説)』と解説されて居る様に、日本人の心に深い印象を残した書であります。
 又、『遠野物語』について、『柳田国男の『遠野物語』によって、明治末期の東北の片田舎の伝統的生活と民話に永遠の命が与えられた。』といわれています。(同上、解説)
『しかし、梅原先生のこの『日本の深層』によって、二十世紀後半の東北の人々と風土そして縄文文化の伝統に永遠の命が与えられたのである。(同上、解説)』と解説され、東北に対する偏見が拭いさられる切っ掛けを生み出した書であると、評せられています。 この三つの名著は、何れも、日本民族の心の深層に懐かれている、深層意識を揺り動かすものでありまして、私達の長く忘れていた故郷を思い出させる機縁になる著作でありましょう。
 蓋し、大和朝廷によって東北に追いやられ、文化に見放される結果になったのは、基づくところは、弥生人の縄文人蔑視の悪癖の結果であると言わねばならないのであります。
 今、改めて縄文時代を見直そうという時代を迎えて、彼(梅原猛)の此の書は、新しい脚光を浴びることになったのであります。
 彼は、度々、自分の推理は正しいものであると主張していますが、確かに、今日この書を一読すべき時が訪れていると思われます。 
 この書で梅原猛は、『縄魂弥才』という言葉を作っています。これは、佐久間象山の『和魂洋才』という言葉を捩って作られたものでありますが、『縄文の精神文化』の基礎の上に、大陸伝来の『弥生の才能』を積み上げて『日本人の原型』が作り上げられた姿を如実に物語って居て絶妙であります。
 紀元前三世紀頃に大陸から日本にやって来た、弥生人に依って齎された、文字文化と稲作技術、並びに青銅と鉄の鋳造技術は素晴らしいものでありましたが、その技術を巧みに取り入れて、『日本人の基礎』を作り上げた『縄文人の根性』には、したたかなものがあったと言わざるを得ません。其のエネルギーは何処から来たのか、其処に、縄文時代という文化的基礎が存在して居たのであると思われます。
 何しろ、一万年以上と言われる縄文時代の歴史は、唯、無内容に過ごされていたのでは無いのでありますが。私達はすっかりその事実を忘れていたのであります。それは、日本に後から進出してきた弥生人の策略に、まんまと、嵌まって仕舞ったのであります。
 弥生人の故郷は、恐らく、中国大陸の『殷の時代の後継者』では無いかと思われます。秦の統一によって大陸から追い出された、春秋戦国時代の国の指導者達が、朝鮮半島を経て、日本にまで亡命して来たのでは無いかと思われます。従って、優れた統治能力と技能を持っていたものと思われるのです。
 その為に、文字を持たない縄文人には、大陸伝来の技術の威力には、とても歯が立たないのです。その結果、縄文人の其れまでの歴史は、抹殺され、新しい歴史に書き換えられました。
 然し、精神は書き変えられませんから。深層意識に残された縄文魂は、その後の日本人に受け継がれて今日に到っているのです。従って、『縄魂弥才』は今も生きているのです。私は、この縄文魂を掘り起こして、聖徳太子の名と共に、今の日本人に受け継がれて行くことを願う者です。
 偖、その縄文魂ですが、其れは、十七条憲法の第一條『和を以て貴となす』という言葉と、第二條『篤く三宝を敬え』の二つの言葉に尽きると思います。
 聖徳太子の名を、日本の歴史に登場させたのは、日本書紀ですが、日本書紀の作者は、架空の人物である聖徳太子を登場させて、密かに、縄文の精神を日本の歴史に忍び込ませたのです。天皇家の一員であると言う触れ込みで、誰からも非難されることの無い人物として聖徳太子は、日本歴史に堂々と登場しました。然も、悲劇の一族という日本人好みの設定は見事に功を奏して、日本人にうってつけの人物になりました。
 親鸞は、薄々このからくりに気付いて居たようですが、太子の名で日本仏教が大きく力を発揮することが出来た功績を高く評価して、『和国の教主聖徳王』と崇めたのです。
 親鸞に依って,見出された、浄土真宗と言う精神は、聖徳太子の名と共に、永く日本民族の精神生活を支え、日本民族の心に定着する事が出来ました。
 従って、日本民族の深層には、浄土真宗の精神が生きて居るのであります。此れは、旧モンゴリアンと言われる民族に受け継がれてきた伝統であろうと思われます。その証拠としては、アメリカ・インディアンに受け継がれて居る神話に大無量寿経の神話に共通するものがあるからです。アメリカ・インディアンは旧モンゴリアンの末裔であります。
 今日、日本民族の深層と言われているものは、梅原猛氏は其処までは言わなかったのですが、親鸞の浄土真宗の精神が蓄えられていると言わねばなりません。
 親鸞に依って、聖徳太子の名と共に、浄土真宗として提唱された、この縄文時代以来の精神は、大切に日本民族の心の中に受け継がれて行くべきものと思います。
 梅原猛氏によって提唱された、『日本の深層』には、以上のような問題があったのです。この事実を踏まえて、我々は、此れからの日本の行くべき道を見つめて行かなければならいと思います。
 私が、度々申しあげています様に、日本人の使命として、浄土真宗の精神によって世界の平和を訴え続けて行かねばなりません。その為に、この梅原猛氏の『日本の深層』は、大きな力を私達に与えて呉れました。謹んで、御礼申し上げます。
 日本書記によって、架空の人物として創り出された聖徳太子の名によって、旧モンゴリアンの思想が、巧みに新モンゴリアンの歴史に忍び込んで、生き永らえたのです。此処に日本書記作者のしたたかさがあると言えるのですが、其れを見抜いて、『浄土真宗』として、立派に、歴史の上に浮かび上がらせた親鸞にも、類い稀な、したたかさが感じられるのであります。
 こうして、歴史から消え去ったかに見えた 縄文の精神が、日本人の心の中に今も堂々と生き残って居るのです。此れが、『日本の深層』の事実であります。

    碇草 2 日本の深層 (二)
 日本人は、旧モンゴリアンと新モンゴリアンと言う二つの種族が混合して今日に到っています。旧モンゴリアンの血を多く受け継いでいるのは、東北の人々で、東北美人がその典型でしょう。西日本は、新モンゴロイド型の血が多く受け継がれて居るように見えます。
 旧モンゴリアンは、氷河期に暖かい地方に住んでいましたので、寒さの影響が少なく、
顔の起伏も深く、髭も濃いのです。此れが一見すると、現代の日本人と異なるところから、アイヌは日本人とは異なる民族であると主張されてきた理由でありました。
此処には、新モンゴリアンこそ日本人の原型であるとの偏見が支配していたのです。此れは、日本の歴史と同様に、弥生人による戦略に嵌まってしまった結果であります。
 アイヌ人こそ、日本民族の原型であります。アイヌ人は、旧モンゴリアンの形質を保ち続けて来た人々なのです。従って、縄文の文化を知ろうとすれば、アイヌ人の文化を研究する必要があるのです。
 例えば、古代日本語とアイヌ語とは、『宗教的』な『霊』に関係する言葉が、同一の語源から出て居ると言われて居ます。この旧モゴロイドの宗教的意識が、日本人の深層意識となって伝承されて、法然・親鸞によって、初めて意識の表面に顕れたのであろうと思われます。其れが、『浄土真宗』なのです。
 そもそも、モンゴリアンの故郷は、今は太平洋の海底に沈んでいる、スンダーランドと呼ばれて居る場所では無いかと考えられるのです。其処には、人類史上初めての土器の遺跡が眠って居るのでは無いかと思われます。
 永い氷河期が終わり、氷河が溶けて海水が増加して来て、今日では、二三百メートルの海底に沈んでしまった、スンダーランドと名ずけられた海底の何処かに、モンゴリアンの旧遺跡があるのでは無いかと思われます。
 これは、今日では想像以上の領域を出ませんから、其れまでにして置きますが、兎に角、旧モンゴリアンの文化と言われるものがあったものに相異無いと考えられるのであります。その北辺に位置していた日本の地形を考えると、縄文土器の起源も、その辺に在るかと想像されるのです。
 この、旧モンゴリアンの、思想が、縄文文化の源泉になっていたのであろうと思われます。其処には、先祖崇拝という思想が根強く生きて居たと思われます。
 今日、日本の仏教が、葬式仏教だと蔑まれていますが、其れは、理性中心の思想からの批判で在りまして、日本人には、日本独自の思想が在るのです。本来インドでは無かった、死者儀礼が色濃く日本仏教には根着いて居るのです。
 この度の戦争でも、日本人は異常なほど、遺骨収集に熱意を示しました。此れは戦争で、非業の死を迎えた同胞に対する、篤い想いを表現して居るのです。
其処には、生前の善悪の行動は、宿業に支配されたもので、死を通して人間の本来の姿に帰るという思想です。戦争は、人間の思惑による理不尽な行為です。その宿業によって、戦いという現実に振り回された人間ですが、死を通して、本来の平和の世界に帰るのです。
 其処には、敵味方としての愛憎も憎しみも在りません。ただ、宿業の儘に押し流された人間の哀れさが在るのみであります。この人間の哀れさに目覚めるとき、人間の哀れさに同感するのです。其処に、敵か味方かを離れた哀れみが生まれます。
 日露戦争の時、敵味方を超えて、島根県の沿岸では、流れ着いた死者を葬った、と言うことを聞いて居ります。此れが、縄文人の思想でしょう。
其処には、死霊を恐れるという問題もありましたでしょう。流れ着いた死体を、その儘にするわけにはいきませんから、仕方なく葬ったのだという意味もあるのでしょうが、それは、現代人の理性的解釈でしよう。
 明治の人には、もっと素朴な心が在ったのではないかと思われます。敵も味方も、死
んで仕舞えば、愛憎を超えた同じ人間であります。
 明治時代に靖国神社が創建されましたが、戦争で戦死した人達を神として祀るという事です。其処には、明治の近代化的思想が反映していました。神仏分離令と言うものが発布されて、国家神道なるものが生み出され、国粋思想から戦争が美化されたのです。その為、戦後になって、首相が参拝する事に、外国から異議が出たわけです。
所が、日本人には、別の意味があるのでしょう。其れをもっとはっきり説明し得なかったところに、問題があるわけです。それは、死と言うものに対する、日本人独特の思想なのです。
 今日、日本人には、西洋の『近代的合理主義』なるものに毒された爲に、このような『縄文人の精神』は失われて仕舞いました。しかし、『近代的合理主義』なるものは、甚だ怪しいものでありまして、今日、大いに反省すべき代物であります。その反省は、別の機会に譲りますが、反省すべき代物であることを申しあげておきます。
 兎に角、日本人の心の底に、深層意識として残って居る、縄文時代以来の、日本固有の精神を取り出して、明るみに出してみる必要ががあるはずです。そうして、この心を大切に受け継いで行くべきものと思うのです。 
 敵か味方か、正か偽か、真実か然らずんば邪であると言う、激しい『二極対立の世界観』で無く、真と仮と偽と言う、緩るやかな、『三極世界観』に立つ所に、浄土真宗の精神があります。これは、縄文時代以来の日本人の深層意識に培われていた、日本人固有の『精神的世界観』であろうと思われるのであります。
この度の戦争の時、私は、マニラに居りました。アメリカの戦闘機乗りの飛行士が、一人撃ちおとされて居るというので皆見に行きました。私は行きませんでしたが、帰ってきて、敵の兵隊であると言って、死体を蹴飛ばして居たと言うのです。そうして、
『あんなことを為なくてもよいのに』と言っていました。
 『だから、俺は行かなかったのだ。敵地に墜とされたら、俺達も、同じ運命になるのだ。』と言った覚えがあります。
 戦争ですから、こちらが打たなければやられます。そこで、必死になって機関銃を撃ち続けるわけですが、後になって考えると、何の憎しみも無く『只、殺し合っているのです』、国と国との戦争です。個人と個人の間には何の憎しみも在りません。其れが、戦争に参加した者の正直な感想でした。
 こんな事は、西洋人には通用しない考えでしょうか。兎に角、日本人には、その様な心がある事は事実でしょう。『鬼畜・米英』と言う言葉が盛んに新聞などに見受けられましたが、個人的には、余りピンと来ない言葉でありました。
  第二次世界戦争の敗戦の後、日本人は、容易にアメリカの民主主義を受け入れました。これは、西洋人には理解されない現象であったかも知れません。此処にも、縄文人の精神が無意識のうちに動いて居たのかも知れません。
 戦争による憎しみは、この世の妄念であります。念仏によって浄土に流すべき、この世の妄念妄想でありました。浄土の心に帰るとき、この世の妄念妄想は、浄化されるべきものであります。日本人は、無意識の内に、浄土真宗の心を持っていたのではないでしょうか。
 明治維新によって、神仏分離令が施行せられ、廃仏棄釈令まで発行され、仏教など古くさいものは、日本人には、要らないものと言う教育が為されました。此れは日本の近代化の爲には、やむを得ぬ選択で有ったかも知れませんが、その結果は、日本人に取っては悲惨なものになりました。即ち、『覇権国家』という不幸な選択に追いこまれてしまいました。その上、『宗教無視』という荒らあらしい、精神生活に落ち込みました。この傾向は、今日も失われては居ません。
 親鸞聖人に依って開かれた、浄土真宗の思想は、遠く縄文時代の精神を、今日にまで伝えている、日本独自の精神でありましょう。この精神を日本人の宝として、大切に継承して行きたいものです。
 日本人の深層意識の中に伝えられて居る、この様な、縄文時代以来の精神を、更に、世界の人々にも語り得るものとして、大切に維持して行きたいと思います。  

   碇草 3 日本の深層 (三)
『真実』は常に、『仮』を通して表現せられるものであると言うのが、日本人の考えでありまして、決して、絶対的なものでは無いと言うのです。思想が絶対化されれば、勢い其処には、絶対化と絶対化の争いが起こります。
真実は、方便を通して表現されるものです。『嘘も方便』という言葉があるから、『方便』は『嘘』の事だと言って、真宗の『方便法身の尊像』と言う本尊を非難されたことがありました。『方便』という言葉の意味を知らない爲の非難で在りました。
 今日では、そんな非難は消えてしまいましたが、まだ、方便の本当の意味は理解されて居ない様です。実に、『方便』こそ『真実』を表す唯一の方法で有ります。
  日本人は、曖昧であると西洋からは批判されるのですが、其処には、日本人特有の思想があるのです。人間の思想は絶対化為べきものでは無いのです。
 真と偽が激しく対立する世界は。正邪・白黒がはっきりして、解りやすいのですが、其処には必ず、真実同志の争いがあります。
 真と仮と偽と言う三極的世界観は曖昧であると言われます。確かに、そう言う事もありますが、絶対化しないで、争いを避けると言う意味もあるわけです。これは、冷静に判断すべき問題でありましょう 
日本人の曖昧さは、非常に大切な面を持っていることに誇りを持つべきでは無いかと思われます。
 現代日本人の意識の深層にも、縄文以来の精神が生きていると言うことを申しました。
其れが、親鸞に依って提唱された、『浄土真宗』の精神であります。従って、我々は、この浄土真宗を、自信を持って世界に弘め、戦争を止めて、平和を取り戻すべき時であります。
 日本人の深層意識に培われて居る『縄文の精神』は、各々の主張を絶対化するので無く、飽くまでも相対的な意見として語り合っていく精神であります。従って、其処には、争いは無く、冷静に互いの主張を聞き取っていく、話し合いの精神が生きて居るのです。
 今日、日本人も、西洋の『近代的精神文化』に毒されて、この様な縄文の精神が、忘れられて来ているのですが、もう一度、其れを取り戻す努力をしなければならないと思います。
 確かに、西洋文化は、自我の主張には好都合でありますが、東洋の仏教には、『自我』を否定するという、『無我』の教えと言うものが有るのです。この仏教の『無我』の教えに依らねば、世界の平和は実現されないことを、世界の人々に訴え続けて行かねば成らないのです。其処に、日本人の使命があるのです。
 我々日本民族は、この度の戦争に敗れたお陰で、民族の使命に気づかされたのです。今こそ、心して、民族の使命に帰らねば成りません。またぞろ、覇権国家の仲間に入って、覇権を争う事に終始してはならないのです。
 此れは、政治家が気付かなければ、国民の一人一人が、この事の重大性を心得て、政治家を糾して行かねば成りません。今こそ、浄土真宗が、活躍すべき時であります。親鸞聖人に依って、見出された、仏教の『無我の精神』が、国民の指標となり、国家を救うものとならねばならないと思われます。
親鸞に依って見出された『浄土真宗』は、親鸞個人の自覚に基づくものと許り思って居ましたが、そうではありません。此れは『人類全体に通用すべき思想』でありました。この『人類全体に通用すべき思想』即ち、『無我の思想』を、世界に弘めなければならないのです。その貴重な使命が日本人に託されて有ったのです。
『浄土真宗』の『念仏』の精神は、世界の人々に依って承認せられ、弘められて、世界人類の平和に貢献すべき精神であります。
 人類の歴史が、このまま、一神教のみによって支えられて行けば、戦争を止める事が出来ません。真理の主張同志が集まって、互いに自己の主張を繰り返して、戦争になり、人類は軈て滅亡するしか有りません。
 浄土真宗は二尊教で有ります。この二尊教の精神は、『真』と『仮』と『偽』と、三つの極に分かれる世界観であります。三つの世界観というのは、この世のものは、絶対化すべきものは無いと言う世界観であります。
 『絶対化すべきものはない』と言う事は、この世のものは全て『相対有限のもの』で、真理を求める途上、真理に到る過程にあるのです。人間には真理を判定する力は無いのです。真理は、真理によってのみ判定されるものです。
 その原理を、親鸞は、『煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、みなもって、そらごと、たわごと、まことある事なきに、唯、念仏のみぞ、まことにておわします。』と、述懐されました。
 この世に住んでいるものには、『我は、絶対に正義である』と宣言することは許されないのです。この世のものは、全て、相対有限の存在であるのです。其処に、互いに、相対有限の存在を認めて、相手の言い分を聞き抜くゆとりが生まれるのです。
 その様な方式は、大昔には守られていたようです。首長同志が集まって話合って、紛争を解決していたと言います。この、首長の合議制が壊れて行った結果、覇権国家の戦争が生まれたのであります。
 浄土真宗の精神は、『この世の者は、全て、相対有限の存在である』と言う世界観に立って、物事を考えて行こうとします。其処に、必ず、世界の平和を齎すものとしての働きが有る筈です。
暁烏敏師が、戦前に提唱した、『日本人には、世界に誇るべきものがある。』と言う主張には、確かに、明治以来の『日本人は戦争に勝て来た』と言う、誇りと独りよがりが滲んでいました。
 しかし、戦争に敗れて七十数年経った、今日の日本人には其れは有りません。今こそ、もう一度、あの提唱を為すべき時で有ります。其れは、親鸞聖人の浄土真宗の教えからの提言ですが、実は、縄文以来の、旧モンゴリアンの思想からの提言でありました。
 いま、この大昔の、縄文時代の精神に目覚めて、暁烏師の提言に、耳を傾ける必要があると思われるのであります。
しかし、この様な思想は、現代では通用しない思想かも知れません。人類はこの儘、核戦争の結果、滅んでいくべき運命の下に、今日を生きて居るのかも知れません。
 その様な運命であれば致し方ないのです。其れは誰にも、如何することも出来ない問題であります。
 『日本の深層』と題された、梅原猛氏の書物を読んで、この様な感想を懐いた次第であります。

碇草 4 仏法は無我にて候 (一)
 人類は核戦争の結果、滅亡するであろうと申しました。早晩、人類は滅亡するでしょう。其れは、人口が増え続けているからです。地球上では、過去にも、度々生物が滅亡してきました。人類にも例外は認められません。其れは生き物の運命かも知れません。その時は、運命に任せて死んで行くより道は有りません。
 其れで、生きるという事は、虚しいものですね。軈て死すべきものとして、今を生きて居るのです。然し、仏法を聞くという事には、どんな意味があるのでしょうか。軈て、必ず死すべきものとして今を生きて居るのですが、今、生きて居ることに意味があるのです。
 『私は今確かに生きて居る。何をすれば良いのか。』其れが、今、生きている『私』の問題であります。何億年か先の『人類滅亡』を問題にするのではありません。
 今、生きて居ることは、虚しいことでありますが、その虚しさを抱えて、『今』を、生きるのです。何億年か先に人類は必ず滅んでいくでしょう。然し、其れより前に、私自身が、必ず、死んでいくのです。その必ず死んでいく『今』を生きて居るのです。
『そんな虚しい生き方に何の意味があるのか。』と言いたいのですが、其れを問うしか今の私には、道は有りません。そこで、この『問い』を問い続けていくのです。
 仏法には無我にて候う上は・・・。 (一)
『仏法には無我にて候う上は、人に負けて信をとるべきなり、理を見て情を折るこそ、仏の御慈悲よ、と仰せられ候。』 (30の23、御一代記聞書)
 『往生、三度になりぬるに、この度、殊に遂げやすし。』と言う和讃があります。此れは、法然上人の述懐であるとされて居ますが、法然上人だけで無く、多くの過去の聖者達が皆、同じく問い続けた課題で有りました。
 此処に、仏道の共通の課題が有るのです。仏道を成就するためには、三つの関門を潜らねばならないと言いました。
 一つは、外道の教えを離れて、仏道を学ぶという事です。曇鸞大師が『仙経ながく焼き捨てて・・・』と和讃に言われて居るように、此れは、曇鸞大師のみの問題ではなく、仏道を求めた人々は、必ず、この第一の関門を潜ったのです。其処に開かれている世界が、聖道門の教えであります。此れは、仏道を求める者が、必ず通過しなければならない要門であります。 
 所で、第一の関門を潜った者は、先ず、聖道門の教えを学ぶのですが、その第一の関門を潜って仏道(聖道門)を歩んで行くものは、軈て、必ず、第二の関門に打ち当たるのです。勿論この第二の関門に気付かない者も居るのですが、忠実に仏道を歩む者は、其れに気付く筈です。
 第二の関門とは、『聖道門を投げ捨てて、選んで浄土門に帰すべし』と言う教えであります。此れは、法然上人の『選択本願念仏集』の言葉でありますが、浄土の祖師達は、竜樹以来、皆等しく、此の関門を発見して、其れを克服した人々で有りました。
 その証拠は、既に、『大無量寿経』に説かれていたのです。大無量寿経は、お釈迦様よりももっと以前から神話の形で伝えられていたものでしょう。
 聖道門の教えは、仏道とは如何なる教えかと言う事を明らかにするものですから
仏道を求める者は必ず学ぶべき教えであります。然し、此れは人間の発想に基づく理想追求の歩みであります。理想追求は、人間の求めるべき課題でありますが、愚悪の凡夫には実行不可能な道でありました。此れは、浄土門の人ばかりでなく、聖道門を学んでいる人々にも薄々気づかれていたのです。
 然し、誰もその事をはっきり明言する事は出来なかったのです。何故かと言いますと、実は、仏道成就の爲には、もう一つ、第三の関門がありまして、此れを超える方法が見付からない限り、聖道門に見切りを付けることが出来ないのです。
 聖道門は凡夫には不可能な道であるとは、とても言えないのです。矢張り、儚い望みを懸け続けて、夢を懐いて生きる以外に生きる道が無かったのです。
 此の、第三の関門を超える道が見付からない限り、仏道は成就しないのですが。第三の関門とは、『佛智疑惑の罪』で有ります。此れをはっきり自覚して、言葉で言いあらわしたのは親鸞でありました。しかし、浄土の祖師達は、既に其れをはっきり自覚していたのです。其れが、『大無量寿経』の最後に説かれる『胎生と化生の者』と言う教説でした。
 所が、此処に、登場してくるのが『無我』の教えであります、此れも既に善く知られて居る教えでありまして、所謂、仏道とは『無我を説く教えである』と言う事です。 『無我』は、仏教独自の教えでありまして。此の『無我』を証明するために、『唯識』という学門が生まれたのでありますから、『大乗仏教』の基本を成すものでありました。
 『仏法は無我にて候上は、人に負けて信を取るべきなり』と蓮如上人は、易しい言葉で言われましたが、此の聞き慣れた易しい言葉には、実は、重大な問題が孕まれてあったのです。世間には、『負けて勝つ』と言う言葉まではありますが、仏法は、『負けて、負けよ』と言う教えです。『負けて、負けよ』と言うような教えは、到底人間の発想では有りません。そんな生き方は、人間には不可能なのです。所が、仏法は、その不可能を要求するのです。其処に、仏教の独自の思想が在りました。
 先にに言いました第三の関門は、仏道成就の爲の最後の問題でありますが、『無我』の教えは、仏教最初の教えであります。其処に、最初と最後が重なっているのです。此れは随分奇妙な事ですが、仏教は最初から、仏道成就の方法を熟知していたのです。
 従って、阿弥陀仏の本願を説かなければ、仏道は完結しないのです。親鸞にいたって初めて、弥陀の本願が見出された様に思いますが、そうではありません。仏道は、初めから、弥陀の本願が説かれなければ完結しなかったのです。
 如来興世の本意は、唯、弥陀の本願を説く爲でありました。『如来所以興出世、唯説弥陀本願海』の正信偈の文の通りであります。
 話が少し先走り過ぎましたので、元の、『第三の関門』の問題に戻ります。
第三の関門というのは、仏智疑惑の事であると申しました。即ち、如来ましますことを忘れて、人間の思いを中心にして生きるのです。其れを自力と言い、自己肯定と言い。我執と言います。此の仏智疑惑の問題こそ、仏道成就の爲の最後の難関であります。
 此の我執は、人間に最後まで食いついて離れない煩悩であります。此の難関を如何にして超えていくかが、仏道最後の課題でありました。

 碇草 5 『仏法には、無我にて候上は』 (二)
 仏道成就の爲の第三の関門が、『我執』の克服であります。然し、此の『我執』は、人間に最後まで食いついて離れない煩悩であると申しました。其れ故に、此れは仏道最後の難関であります。
 私は求道の最初に、『頭を下げよ』と、厳しく叱られましたが、其の時は何故頭を下げねばならないのか、さっぱり解からず、形だけ頭を下げてその場は通り過ぎました。其の後は戦争に行きましたので、仏法には逢えないままでした。敗戦になって、不思議に命を頂いて帰りましたので、再び仏法の御縁を頂いたのでした。
 東本願寺の伝道研習会が、十日間の日程で開かれてありまして、其れに参加すると、徹底して『自己を掘り下げよ』と迫られました。此れも驚きでしたが、何度も責められて居る内に、漸く其の意味が判るようになりました。あの『頭を下げよ』とのみ教えもこの事であったのです。
 東本願寺の講習会は、凄まじいものでした。徹底して叩きあげるもので、『伝導研修会と懸けて、何と解く、寺の釣り鐘と解く、答は、吊し上げて、叩きあげる』と言われたものであります。
 何故あんなことを為るのかと、疑問に思うくらいで有りましたが、あれくらい荒療治をしなければ根性に入らないのです。其の爲に、ノイローゼになるも者も出た位でした。戦後間もなくの頃ですから、軍隊の気風が生きており。あんな荒療治が出来たのです。誠に有難いことでありました。今はあんなことは出来ません。然し、其の結果はどうであったか。目出度く第三の関門を突破できたかと言えば、答は『ノ-』であります。
 叩いても、叩いても、ビクともしないものが居るのであります。此れが私の心の底に巣くっている我執でありました。其れを徹底して見せられたのが此の講習会でありました。その講習会を幾度も受けたのであります。此れも戦後ならではの貴重な体験でありました。
 其れでは、この『我執』は如何すれば好いのでしょうか。答は唯一つ、『如来の御前に頭を下げて、謝り入るより道はありません。』
 最初に言われた、『頭を下げよ』とは、誠に、この事でありました。しかし、其れが我がこととして肯ける様になるまでには、実に、長い年月が掛かりました。『仏法聞きがたし』と、滲みじみ思い知らされる事です。
 此の三つの関門を克服して、初めて仏道が完成するのであります。この事は、教えて下さる方も、教えられる者も、とても御苦労の事でありますが、其れが、連々として絶えること無く続けられてきたのが、仏法の歴史でありました
 今日、仏道に逢い得たものは、此の御苦労の歴史に、深甚の感謝を捧げなければなりません。謹んで、深く深く御礼申しあげる次第であります。 
              
  
  
 

   碇草 6  『実相身』と『爲物身』 (1) 
 曇鸞大師は論注に『彼の如来の御名を称すること、彼の如来の光明智相如く、彼の名義の如く実の如く修行し相応せんと欲するが故にと言えり・・・』(12の57)と、天親菩薩の言葉を述べられ、次いで『然るに、称名憶念すること有れども、無明由お存して、所願を満てざるはいかんとなれば、実の如く修行せざると、名義と相応せざるに由るが故なり。云何が実の如く修行せず、名義と相応せざると為すや、言く、如来は此れ実相身なり、爲物身なりと知らざればなり・・・』と、疑問を提起して居ます。
                               (12の58)
仲野良俊先生は、『此れが『信巻』開設の起点である』言われて居ました。此れについて、宮城顗先生の言葉がありました。(宮城顗選集17、p80)
 『つまりそこに、人格への帰依という、欣慕の情としての在り方と言うものが、あくまでもそれは、実相身としてのみ仏を見て、爲物身たることを知らぬと言うことになる。 そして、其の実相身たることのみを知って、爲物身たることを知らぬと言う事について、全くその事とは離れているけれども、曽我量深先生が、『四字名号主義』と言う言葉を出しておられます。
 これは、『親鸞の仏教史観』の中に、(中略)四字名号主義と言うものに対して、『六字名号の仏意』に生きると言う事をおっしゃっています。四字名号と六字名号の違いですね。そこに真宗における『主』と言う問題、『主』と言う事がどこまでも対象的な、外なる存在ではなく、私の最も内なる力として帰命されるところのはたらきですね。
 爲物身とは、私のための身と言う事です。仏とは私のための仏、更に言えば、私の事実としてはたらいているものの他に仏なる存在はないということです。』 (同上)
 此れは、歎異抄の後序に説かれている『信心一異の争論』における問題であります。浄土真宗、高田派の伝承によると、あれは、念仏房の法話に由来すると言われて居ます。即ち、念仏房は、長く上人の弟子として師に事えてきた最も古い長老であります。其の念仏房が 『私は永年、法然様の御育てを受けてきた身であります。法然様の御信心に少しでも、近づきたいものと思って励んで参りましたが、上人の御信心には、到底及びもつかぬ者であります。』と述懐されました。其れを聞いていた並み居る弟子達が、一斉に念仏房を褒め讃えたのです。所が、親鸞が一人これに反対したので、争いが起こったというのです。
 此れは、誰が見ても親鸞に歩が悪い争いであります。法然上人は、『智慧第一の法然房』とうたわれた、誰一人疑う者の居ない方であります。その法然上人の御信心と、名も無き一介の親鸞の信心が一つであると言うのです。此れは誰が見ても、親鸞の不遜な考えであると思われます。所が、親鸞は譲らなかったのです。そこで事の是非を決すべく、法然上人に申しあげたというのです。
 法然上人が、親鸞の申し立てをじっと聞いていて、初めてこの事に気付いたのでしょう。それは、既にその事が自覚されて居たならば、法然の口から既に、説かれていた筈です。そうすれば、法然の弟子達は其れを聞き逃すはずはありません。所が、此れは初めて聞いた問題なのです。
 法然上人も、親鸞の釈明を聞いて、初めて、これに,気付いたのでしょう。それ程、重要な問題でありましたが、之に就いて、法然の伝記を書いた法然門下の誰もこの事を語って居ません。其処で、『大事な証文として此の書に添えまいらせた』と言うのです。
 先に、『親鸞の危険思想』で申した様に、親鸞の存在は、流罪以後法然門下ではすっかり忘れ去られて居たものと思われます。其の故に、親鸞だけがこの問題を語り残したのです。
 勿論、法然上人の人徳を慕う人々は、皆等しく上人の徳を慕って疑う者は一人も居ませんでした。親鸞も其の一人でありります。所が、信心については、親鸞は、厳しく其の意味を追求していたのです。
 第十九願の信心は、『欣慕の情』で有ります。  (宮城顗選集、17、p65)
最も人間らしい宗教心であります。然し、これに安住することが出来ない者が、進んで第二十願を求めます。然し、其処には、仏智疑惑という壁があるのです。此の壁に打ち当たって、跳ね返されると、又、元の十九願に帰るより道はありません。
 この様に、十九願の世界と、二十願の世界を行きつ戻りつしているのが、私達の事実で有ります。
 三願転入と言う事は、『私は確かに、十八願に入っている』と言って自慢することではありません。それならば、此の三願転入の文は信巻にあるべきだと言うのです。(宮城顗説、同上p77)誠にもっともな説です。
 所が、『真門決釈の文』として、化身土巻の最後に有るわけです。此の三願転入は、二十願の問題であります。即ち、二十願の『仏智疑惑の罪』の自覚で有ります。
 曇鸞が、『然るに、称名憶念すことあれども、無明尚存して、所願を見てざるものは、如何となれば』と重大な問題として提起していたのは、正に、文字通り、念仏申す者にとって重大な問題が其処にあるからです。折角念仏しながら、その結果を全く台無しに為るようなことが、其処にあったわけです。
 師の教えを受けて、ひたすら念仏申している。其れが、法然門下の人々の現状でありました。其処には、何ら非難すべきものは見当たりません。所が、其処に重大な問題があったのです。
 即ち、『如来は、実相身・爲物身で有ることを知らぬ』と言う事です。この為に、折角、『称名憶念する事あれども、無明尚存して、所願を満たさず』と言う結果に成るのです。  
先に、『如来は実相身で有ることのみを知って、爲物身で有ることを知らぬ者』と言いました。これが最も人間らしい宗教心であるとも申しました。
 『師の人徳を慕って、師の言葉を聞き、其の教えを忠実に守って生きて居る弟子達でありました。』言葉を換えて言うと、『師の言葉であるから信じられると言う事です。』そこに、最も人間らしい宗教心が有るのです。其れが『恋慕の情』と言われる第十九願の宗教心であります。
 実は、其処に問題があったのです。人間の宗教心は、人間の心です。迷妄であることを免れられません。其の、迷妄であることを知って、これを超えようと為るのが、二十願でありました。しかし、二十願の佛智疑惑の罪の壁に打ち当たって、跳ね返されて前進することが出来ないのです、それで其処に居座るのです。『自分は念仏して居るから大丈夫だ』と言うのです。

   碇草 7 実相身と爲物身 (2)
 如来が実相身で有ることは、誰も疑う者は居ません。其の如来が、その儘『爲物身』であるという事です。爲物身とは、私のための身で有ると言うことです。其れは、如来によって悲しまれている私であるというのです。所が、爲物身にのみ留まれば、恩寵の信仰になり、ひたすら、弥陀のお慈悲に縋って助けて頂くと言う信仰に成るのです。
 実相身と言う厳しい批判が無く、爲物身のみに偏れば、恩寵の宗教になり、爲物身を忘れて、実相身のみに偏れば、観念に終わります。誠に厄介な問題であります。 
 『そこに、真宗における「主」という問題、「主」ということは、どこまでも対象的な、外なる存在ではなくて、私の最も内なる力として帰命されるところのはたらきです。事実として働いてい居るものの他に仏なる存在はないと言うことです。』(同上、p80)
 爲物身とは、私のための身と言うことです。仏とは私のための仏、更に言えば私一人の爲の仏ということになるわけです。
 イスラム教は、厳しい神の権威の前に立って、恐れの信仰に成り、神の権威による殺戮を許す宗教に成りました。神の厳しい批判精神は是とするも、その厳しさを、自己以外の者に向けて、他を責める事のみにエネルギーを使うことに成りました。自己を顧みる事を忘れた結果であります。是れは、無我の教えが無い為の、『我執(自己主張)』の結果であります。
 一方、キリスト教は、『愛』の宗教でありまして、『神の愛』を説く訳であります。その点は好いのですが、其の結果、『恩寵の宗教』か、『奇跡信仰』に成りやすく、恩寵の宗教は他因外道であり、奇跡信仰は無因外道であります。其れを如何に克服して行くかが、この教の問題でありましょう。
無我という事に徹しないならば、如何なる主張も自己主張に成り、イスラムでは他を攻撃するばかりに終わり、キリスト教では恩寵の宗教に成るのです。
 それは、『自分』という者がこちらに居り(我見)、あちらに『他人』という者が居ると思うのです、其の爲、自他を比較し優劣を決める『我慢』、さらに其の結果自分が可愛いという『我愛』の心を起こして、如何しても、此の自分を守らねばならないと考える『我執』を起こすのです。是れが,唯識学で言う『末那識』の働きです。
 此の末那識の自他区別の意識こそ、『我痴』『我見』『我慢』『我愛』という四つの煩悩による、愛憎善悪の心を起こす原因であります。是れが、自己肯定の実態で有ります。
 仏法は、この末那識を転識得智して、平等性智にするのです。その結果、愛憎善悪が転じられて平等性智に成り、今、自分がここに居るのは、偶々の因縁に依って、此の様な自分が居るが、因縁が尽きれば跡形もなく消えてしまうものに過ぎないことを知らされ、自他の争いは消えて、一切平等の世界が開けて来るのです。
 仏法の無我の教えは、此の様に素晴らしい教えで有りました。『如来は、実相身・爲物身で有ることを知らぬ』と言う事は、仏法の無我の教えに依らねば、他人を責める事か、恩寵に甘えることに成るのです。
 キリスト教や、イスラム教の社会には、無我の教えが無いものですから、所詮、全てが自己主張に成るのです。然も、此の自我の主張は強烈なもので、容易に解決出来ない問題でありました。
 仏教の無我の教えを世界に弘めて行かねば、この問題は、解決出来ないでしょう。大変な課題が、我々日本人に託されてあることを、痛感するものです。
 『そんな無我の教えなど、今時、本気で信ずる者なんて居るものか』と言う声が聞こえてくるようです。確かにそうかも知れません。だが、心ある人は必ず居るものです。そんな人を探して、仏法を静かに語り合い納得してもらうより道はありません。
其の爲に、仏道の歴史は悪戦苦闘をしてきたのです。前に申しました様に、『唯識』という学問は、『無我』を証明するために生まれたのです。其れまでの仏道では、無我を証明するために、『五蘊』(色・受・想・行・識)という言葉を使用していました。人間の所作動作は全て、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識によって行われます。
 この六識で一切の人間の行動は説明されます、其の心と肉体の集まりを五蘊と言うのです。其れは心と身との集まりに過ぎませんから、『五縕仮和合』と申しまして、心と肉体とが仮に集まって色々のことをしでかすのですが、元々、『仮和合』に過ぎませんから、『我』と
して執着すべきものは無いと言うのです。
 所が、自殺というような行動は、五蘊では説明出来ないのです。人間は、この五蘊を否定してまで,主張しなけばならないものがあるのです。其れは一体何なのでしょうか。
 其処に、主体というものが考えられて来るのです。其の主体を主張しているものが無意識の内に働いているのです。其れを、『末那識』と名付け、更に其の末那識の拠り所になる主体として『阿頼耶識』と言うものを見付けて説明したのです。六識構造から、八識構造に成り、識が転じられて、仏の智慧に成る事に依って、諸法無我が完全に証明されたのです。
仏法によって、『無我』が証明されて、『我』として固執すべきものは無いことが明らかに為らなければ、戦争は無くならないのです。若し戦争が無くならなければ、人類は滅んで行くより道は無いでしょう。それが人類の運命であれば、其れも又、致し方はありません。
 その時は、広い宇宙の何処かに住んでいる生きものに、仏教の教えが伝えられて居る事でしょう。真実の道理というものはその様なものなのです。   
  

  碇草 8 自己反省の構造 (1)
 自己を省みると言うことは、人間の美徳とされていますが、其処に問題は無いのでしょうか。考えてみたいと思います。
 自己を省みるというとき、省みられている自己〔相分〕と、省みている自己〔見分〕とが有るわけで、これを、自己反省の見分と相分の二分性と申します。
 更に、見分をもう一つ後ろから反省する作用がありますから、これを『自証分』と申します。更に、自覚は深くなって、もう一つ後ろに後退して自己を反省する事が出来ます、それを『証自証分』と言うのです。この様にして、自証分と証自証分が交互に繰り返されて、自覚は何処までも深められて行きます。此を『自覚の無限後退性』と申すのです。
 この様に、人間の自覚は無限に深められて行きますので、深い自覚の人ほど、優れた人格者とされるのです。しかし、この自覚の構造には、問題点があるのです。即ち、無限に後退して、自覚は深くなって行くのですが、相分と見分という、自覚の二分性と言う自覚の構造は変わりませんので、無限後退の最後の見分である自証分か証自証分は、見分の別名ですから、見分の性質上、決して反省の対象にならないのです。実は、そこに『自己肯定』の親玉が隠れて居るのです。
 従って、この自覚の構造のままでは、『自己肯定』は決して否定されないのです。其処に、人間の自己反省と云うものの、決定的な欠陥があるのです。即ち、自己肯定の『我執』から、永遠に離れられないと言う問題であります。
 この我執は、生きている限り、人間に付き纏って離れない煩悩であります。さて、この煩悩は、どうすれば良いのでしょうか。ここに、仏道の基本的課題があったのです。 此を克服する為には、我執の根本である『末那識』が問題になるのであります。末那識は『我痴、我見、我慢、我愛』の四煩悩を具して居て、恒審思量と言われています。つまり、恒に審らかに思量しているのです。『恒に』と言うのは、寝ている間も休むことなくと言う意味で、しかも、『審らかに』と言うのは、実に細やかに思量するのです。どんな些細なことも決して見逃さないのです。
 『我痴』は、本当の自己が分からないと言うことで、仮の物を見つけて其れを自己とするわけです。其れが『我見』です。この我見に依って、『我慢』と『我愛』を起こすのです。
 『我慢』は自分と他人を比較して、喜怒哀楽、善悪邪正の心を起こし、優越感と劣等感の間を右往左往するのです。また『我愛』は、自分が何処までも可愛いと言うことから、自己に愛着して、何事にも、我執を離れることが出来ないのです。
 この末那識こそが、人間の一切の悪業を創り出す源に成って居る中心で、その為に、生死流転を果てしなく繰り返して居るのが私達の生き様であります。
 この末那識を転じて、平等性智にすることが、仏道の目的でありました。どうすれば末那識を転じて、平等性智にすることが出来るのか、その為に、仏道の先輩達は悪銭苦闘したわけです。
 そうして遂に弥陀の本願にまでたどり着いたのです。転識得智は、人間の努力では不可能なのです。阿弥陀仏の本願に目覚めるより他には方法が無いのであります。
 阿弥陀仏の本願は、人間の生死流転の原因を、仏の智慧に依って、熟知して居られて、其れを克服する方法も心得て居られるのです。この阿弥陀仏の本願の御働きに依らねば、『転識得智』と言う難問題は解決しないのです。
 其の事は、仏教は、初めから知っていたのです。然し、其れが人間の意識に登り、自覚される迄には、長い時間が掛かりました。仏教の三千年の歴史はその為に費やされたのであります。
 今、阿弥陀如来と申しました。然し、阿弥陀如来と言う様な方が何処かに存在するのでは有りません。存在するのは、真如そのものの働きであります。その働きを『如来』と言うのです。『阿弥陀如来』とは、無限なる真如の働きであります。其れを、神話的表現を用いて、『阿弥陀如来の御働き』と言うのです。
 阿弥陀如来というよな存在が、何処かにいらっしゃると思うならば、其れは人間の妄念妄想であります。其れを、偶像崇拝と云うのです。偶像崇拝は、人間の根深い迷いの心であります。此れを本当に克服したのは、仏教の深い智慧のみでありましょう。
 そもそも、偶像崇拝を否定すべきものとして教えたのは、『モーセの十戒』で有りましたが、西洋では果たして偶像の意味が正しく理解されて來たのか甚だ怪しいものです。しかし、此れは現在の日本人にも云わねばならない事でありますので、洋の東西を問わず、偶像崇拝の問題は永遠に問い続けなければ成らない課題で有ります。
 ニーチエが『神々は死んだ』と宣言して、偶像崇拝を否定しましたが、反って、彼は『ニヒリズム』だと云われて、彼の意見は斥けられました。この様に、西洋では、偶像崇拝の意味が正しく理解されて居ないのです。
 確かに、ニヒリズムの深淵から人生を問い直してみる必要が在るのです。其れが、『無我』の教えで在ります。
 然し、先にも申しましたように、日本でも、偶像崇拝が誤解されて居まして、此を糺して行くことが急務であります。
 神や仏を自己の外に見て、此に向かって、人間の願いを祈願するのは、全て、偶像崇拝であります。
 阿弥陀仏は、私の内に仰がれるものでありまして、決して、私の外に在る何かでは有りません。其れを、仏像として礼拝するのは、宗教の儀式として礼拝しているのであります。決して偶像として、『祈願』しているのでは在りません。
 その事を、しっかり理解して仏像を拝む必要があるのです。だから、真宗では、『仏像よりは絵像、絵像よりは名号』と言うわけです。『名号』こそ最も正確に本尊の意味を表しているのです。
 『南無阿弥陀仏』は『帰命尽十方無碍光如来』と言う意味であります。此が、真宗の本尊で在りまして、私達が礼拝すべき『仏様』であります。
 此れを親鸞は、『光如来』と申しました。飽くまでも、『光』の働きで在りまして、闇を照らす光の働きであります。この光の働きは、先に云いました、見分の更に背後から、衆生の自己反省の『相分と見分』の全体を照らす光であります。
 此れが、真如の働きで在りまして、この真如の働きに照らされない限り、本当の自己は照らし出されません。その真如の前で、衆生は、唯ひれ伏して、自己のあくなき罪業を懺悔するより他に道は無いのでありす。
 此処に、仏像を礼拝する真の意味があるのです。仏教は、仏像を拝む事によって、反って、『偶像崇拝』を否定したのです。我々は、自信を持って、堂々と仏像を礼拝すべきであります。此れは、浄土真宗の信仰を表す厳粛な儀式であります。此れによって、自己反省の欠点を完全に克服する事が出来たのであります。

                   

  
 

  
 
 
 
 
  

    
 
   

      光明団創立100周年を迎へて         
  『島根県への光明団発展の初期の事情』    岡本義夫    
本団創立百周年を迎えて、誠にお目出とうございます。謹んで感謝申し上げ
る次第でございます。  
 島根県に夜晃先生が御出で下さるようになったのは、大麻の染香寺御住職、
河野直臣先生に始まります。
 そもそも、河野直臣先生は、大麻(現在の浜田市三隅町折井)の染香寺に御
養子として入られた方でありますが、当時、東京の浅草本願寺に役僧として勤
めて居られたのであります。そこへ、『父危篤』という電報が来て、急いで上
野駅に出てみると、汽車が出るまでにまだ一時間ほど間があるので、街の中を
ぶらぶらしていて、ふと仏教講演の張り紙が目に入り、覗いて見たと言う事で
す。その講演が耳に残りましたが、汽車に乗らなければなりませんのでそのま
ま島根に帰ってしまったのです。その時の講演の感動が忘れられず、もう一度
是非聞きたいと言う思いがありまして、そのまま島根に帰り,再び、東京へは
帰えられ無かったのであります。所が、その思いが忘れられず、広島の住岡狂
風と言う名を覚えて居られたのです。
 そこで、浜田の顕正寺の住職である幡谷淳心師にその思いを話したら、『そ
の住岡狂風と言う人物の噂は、儂も聞いている、貴方がそれ程に思うなら一度
呼んでみてはどうかね』と言われて、呼ぶ事になったと言うのです。
 幡谷先生は、布教師として広く活躍して居られたので、夜晃先生の事も知っ
て居られたのです。そこで幡谷先生の力添えで、夜晃先生が、山陰の地に来ら
れることに成りました。
 そのとき、私の父、岡本法憧が、折井の駅から歩いて徳泉寺に帰る途中で何
人かの御同行がお詣りすのと行き合い、事情を聞いたのです。後日、染香寺さ
んに、『この間、俗人の方を呼んだそうだが、どうでしたか』と聞きました。
父は以前から懇意にしていたのです。すると、『とってもありがたいお話でし
た。貴方も是非呼んで見てください』との事で、『貴方が、それ程までに言う
のなら、是非私も呼んで見よう』と言う事になりました。
 そこで、先ず、隣寺の明覚寺、武井諦了師に相談しました。武井先生は、当
時、『査察』と言う役目を持っていられました、是は『異安心』を取り締まる
役目であります。その頃は、僧侶以外の人の説教など聞く者は居ない時代であ
りましたから、武井先生の許しを請わねばなりません。
 すると、『よし、一度呼んで見なさい、儂が行って聞いてやろう、若し変な
ことを言う様であれば、その場で、高座から引きすり落としてやろう』といっ
て、許可して呉れたのであります。
 『明覚寺めが、すとんこ、すとんこ、来た、げなーや』と後日夜晃先生がそ
時の事を語って居られました。愈々その時が来ました。
 1931年(昭和6)5月22日~24日、井野徳泉寺、井野小学校と年表
に在ります。私が小学校2年生の時です。人見しりする小心者で、先生の前に
御挨拶に出ることが出来ないので隠れていたのですが、先生がわざわざ探しに
来て、お土産に絵本を下さったのを覚えております。その絵本は、親鸞聖人の
御一代記でありました。それが私の先生との御縁の始まりでありました。
 所が、翌、昭和七年には私は大阪へ転校する事になりますので、先生との御
縁は途切れる事になります。小学校六年の時と、中学校三年、師範学校三年と
三回ほど夏休みに帰省していますが、中学校と師範の時には、夏の県連に出席
しています。特に昭和17年の明覚寺の県連では、父がその年の十月に死にま
すし、翌年は私も兵隊に往かねばならぬ時でありまして、先生も特別に目を懸
けて下さいましたが、遂に仏法が判らぬままに終わりました。
 それでも、仏法を聞かねばならぬと言う事は判っていましたから、戦後すぐ
に聞法を始めることが出来ました。若し戦争で死んでいたら。仏法のご縁は無
いままに死んで行った事であります。誠に、思えば不思議な御因縁でありま
す。  
 武井諦了先生は、鳥取県から御養子に来られている方でありますが、太谷大
学を卒業して、外国で活躍したいと言う望みを抱いて居られた方で、田舎の山
寺で一生を終わる事への不満がありました。その時偶々夜晃先生のお話を聞か
れ、深い感銘を置けられ、この人のお話を一生涯かけて聞こうと決心せられた
のです。
 武井先生の協力を得て、井野の地に光明団が強力に根を生やしました。当
時、小学校の校長が佐々木清一郎氏でありまして、校長の協力もあり、井野村
の中心人物が総力を挙げて応援して呉れたのです。
 講演の時には、小学校の講堂が満員になり、窓にぶら下がって聞く者もあっ
たと言われています。所が、一時の興奮が冷めると、光明団は異安心だとの風
評が広まり、井野の地も批判の嵐に包まれます。大衆と言うものは、何時もそ
も様な行動をとるものです。
 その様な状況の中で、一貫して揺りぎ無く信念を護り続けたのが、明覚寺、
徳泉寺、光善寺、佐々木校長でありました。染香寺は、河野直臣先生が昭和十
八年に亡くなられまして、後が絶えました。顕正寺は、初めから中立を護って
いましたから、非難は免れました。それ以外にも何ケ寺かの協力者はあったの
ですが、皆、批難の中で雲散霧消したのです。所が、一貫して同胞の御念力に
より、昭和九年、第一回島根県連講習会が、大麻の地、折井農業組合会館で開
催されてより、終戦の年まで欠かす事無く、毎年の講習会が続けられてきたの
です。終戦の年は、流石に講習会は開かれませんでしたが、翌年からはまた続
けられて来ました。これが、終戦までの島根県連のあらましの状況です
 戦後になりますと、事情が一変します。私は、昭和二十一年に徳泉寺に帰り
ますが、その頃、徳泉寺を護って呉れた人は日原信哉師でした。昭和二十一年
の秋に徳泉寺で第十二回県連が開かれました。その時から私の聞法が本格的に
始まったのです。
 戦後は貧困に苦しむ時代でありましたが、皆それなりに頑張って生きて来ま
した。今年、島根県連は、第83回の年を迎えます。今日、五日間の地方の講
習会を続けて居るのは、島根県連だけであります。貴重な存在であると自負し
ています。
 島根県の話ばかりになりましたが、是も本団100年の歴史があっての事で
ありますので、100周年を記念する記録の一端になるかと思い申し上げた次
第です。
 光明団は、幸いに一〇〇周年を迎えました。しかし、この後どうなるかは、
判りません。そのことを思う時に、一つ大事な提案があります。それは『サン
ガに帰依する』と言う事です。光明団のサンガも、人間の集まりですから必ず
意見の違いが生まれます。その時大いに議論をすることは結構ですが、その挙
句に、喧嘩別れになれば、サンガは壊れます。仏法が『篤く三宝を敬え』と教
えている事に心を注ぐべきです。
 三宝とは、仏法僧の三宝です。仏と法に帰依する事は勿論でありますが、僧
に帰依すると言う事は,どう言う意味が有るのかと疑問に思っていました。所
が、此の和合僧に帰依すると言うことが無ければ、仏道は破滅するのだと言う
事が判りました。
 破和合僧と言う罪は、単にサンガの団結を乱すのみに留まらず、サンガを破
滅に追いやるのです。即ち、サンガには、色々の人が集まっていますから、必
ず、意見の相違が起こります。その時、機の深信が不徹底であれば、サンガは
分解してしまいます。
 機の深信とは、我も人も同じく業縁に流され、業火に焼かれている身である
と言う自覚です。しかし、その業縁の身が。必ず摂取不捨の救いに預かる身で
あるとの信知です。貴方も私も共に業縁に流されている身でありますが、必
ず、摂取不捨に預かる身であると、何処までも相手を信頼する心です。この信
知があればこそ、サンガは保たれて行くのです。
 これは如来の信知でありまして、人間の信知ではありません。この機の深信
に徹する事なくては、サンガは護れないのであります。幸いに、100年も継
続することが出来た、このサンガが、この後も長く続いて下さるように、機の
深信に徹して念仏申さして頂きたいものです。此処に、深甚の思いを込めて、
提案さして頂く次第であります。
 『篤く三宝を敬え』とは、聖徳太子の願いでありました。この願いは、仏法
が大陸から伝来するよりも1万年も前から、日本列島に伝えられて居たと思わ
れる、日本古来の思想に根差しているに相違ないと思われます。此の言葉の深
い心を頂いて、日本民族の深層意識に深く蓄えられた、サンガに帰依する心を
大切に受け継いで行きたいと思います。
 戦前に、暁烏敏師は、日本の神ながらの道は、仏教であると言う説を称えま
した。さすがに、戦後はそのような事はおくびにも出しませんでしたが、同時
にあれは間違いであったとも、絶対言わなかったのです。今思うに、彼の言わ
んとしたことは、日本仏教の根底に、大陸伝来の仏教思想とは異なるものが有
るのではないかと言う、彼一流の直観であったものと思われます。
 聖徳太子という伝統も、何か、大陸伝来のものと異なるものが有るのではな
いかと思われます。此れは、今後の研究に待つより仕方がありませんが、弥生
時代以前の、縄文時代の伝統が、歴史の記述から消されてしまっている今日、
縄文時代の研究が為されなくては、如何にも言えない訳です。
 それはとも角として、折角親鸞聖人によって見出された浄土真宗の教えを、
大切に次の世代に受け継ぐ為に、『サンガに帰依する』と言う伝統を護ること
が、我々の役目であると思われるのであります。
 日本民族には、この様な、他の国に無い優れた伝統があることを誇りに思う
と共に、この『浄土真宗』と言う教えを、今こそ世界に向かって、発信すべき
時であると思うのです。サンガを護るとは、浄土真宗を護る事であります。 

水琴窟 56

問、 往生みたびになりぬるに
答、法然上人の和讃に、
  命終その期ちかづきて 本師源空のたまわく
   往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし
『往生みたびになりぬるに 』と言われる意味が判らなかったのですが、往生成仏を果たし遂げる爲には、三つの難関を潜って初めて成就為るのであると言うことに気付いてみて、三度目と言う事が頷ける様に思われます。即ち、釈迦の在世中に仏弟子としての生涯を送り、日本に生まれて聖道門から、浄土門に入り、浄土往生を願って、人間に生まれた意義を完成する事が出来たと言う事です。
 第一の関門は、外道から仏道への転回です。世尊の教えを聞き得たのです。世間の教えに従っていた者が、是れを捨てて、仏の教えを聞く事が出来たのです。是れは希有最勝の出来事で有りました。
 曇鸞大師が、『仙経ながく焼き捨てて、浄土に深く帰せしめき』と言われているのは、偏に、この第一の関門の前に立たれて、是れを超えることを、『菩提流支』から厳しく迫まられた事を語っているのです。
法然上人は、父が、仇のために殺される、その臨終に当たって、『お前は、父の仇を討とうとしてはならない、恨みに対して、恨みを持って返せば、恨みは何処までも尽きることはない。父の死を縁として、仏道を求めよ』と言い残したと言われています。その遺言が、法然の出家のきっかけに成ったと言われています。法然上人の例を見るように、この第一の関門を潜る事は、時に、命がけの事でありまして、容易な事ではありません。
 私は、海軍の航空隊の訓練を受けたものでありますが、その時、第一に要求されたのが、『娑婆気を捨てよ』と言う事でありました。これは、中々大変なことで在りました。即ち、娑婆への一切の未練を捨てて、『何時死んでもよい覚悟を決めよ』と言う事でありました。 其れは一応判っていましたが、何時死んでもよいとの覚悟は、容易に決められるものではありません。何度も何度も迫られてやっとその覚悟らしいものが出来あがって行きました。 然し、本当に死ぬ覚悟は出来なかったように思います。やむなく死ぬ覚悟をしていたのであります。其れは、今、申して居る『第一の関門』を潜る様な問題であったと思います。
 この第一の関門は、仏道に入るための、最初の大事な入り口であります。『娑婆気を捨てる』という事は、権力によって無理矢理に超えるより外に方法は有りません。しかし、仏道では、教権や、権力に依らずして、自然に成就されていく、自覚であります。其れが、仏道への目覚めであります。
 若し、この第一の関門を潜る事を怠って聞法すれば、折角の聞法が、皆、『有漏の経験』に終わるのです。有漏の経験は、いくら熱心に積み重ねても、決して、『無漏の経験』にはなりません。有漏の経験に終われば、仏教の知識は増え、物知りには成れるのですが、信心には成りません。如何に多くの人がこの誤りを犯していることでしょうか。
 仏教学者が、どれだけ仏教に精通しても『信心』には成らないのです。其れを物語っているのが、渡辺照宏氏と二葉憲香氏との論争でした。(水琴窟、14、参照)
渡辺氏は、仏教学者としては、自他共に許された人であるかも知れませんが、信心は獲られていない人でありました。その結果、仏教が観念論に成って居るのです。
是れは、仏教を学ぶ者の、最も注意すべき事であります。仏教が、如何に精緻に研究されて居ても、観念論に成れば、仏教の真精神が見失われ、単なる、理論に成るのです。是れは、仏道を求める者の最も恐るべき落とし穴であります。
 法然上人は、父上の遺言に依って、この第一の関門を潜り抜けた方でありました。それは,父上の死を通して成された、悲痛な経験であります。其の故に、必死の求道が始まりました。
 然し、必死の求道のあげくにも、まだ超えなければならない関門があるのです。其れが、第二の関門であります。『聖道門を投げ棄てて、選んで、浄土門に入れ』という関門でありました。
 法然上人の『選択本願念仏集』は、正しく、この第二の関門を潜ると言う問題に答えたものであります。法然上人は、『選択本願念仏集』を著わすことに、その生涯を尽くされたので有ります。
 是れは、誰も成し得なかった、大事業でありました。この第二の関門を見出した功績は、法然に譲るべきでありますが、仏道に関わる多くの人々が、但、観念論に留まって、永く、見出し得なかった課題でありました。
 聖道門は、仏道の基本でありまして、仏道を求める者は必ず学ばねばならない『要門』であります。此の、要門こそ、仏道とはどう言う道なのかを説く教えであります。此の、要門をしっかり学んでこそ、その上に仏道の救いの道が明らかに為るのであります。
 従って、この要門を疎かにしては、仏道は、成り立ちません。浄土の教えを聞く人も、この原則を、よくよく、心得て置くべきであります。
 然し、この要門の世界に留まって、其れから先に進めない者が居るのです。自分には、聖道門の修行が出来るはずだと言う思いを捨てられないのです。その人は、聖道門で頑張れば良いのです。其れが禅宗などの修行者です。
 人間は、よくよく、自己肯定の存在でありますから止むを得ないわけです。如来は、其れを許して、修行を続けよと仰せになるのです。
 聖道門の修行では、自分は助からない存在であると気付いた者だけが、この第二の関門を潜って、浄土の教えに辿り着くのであります。
 浄土の教えは、『唯、本願を信じて念仏申せ』と言う教えであります。本願力回向によりて、阿弥陀の浄土に往生するのです。しかし、目出度く弥陀の浄土に往生しても、仮土に生まれる者が居るのです。その為に、更に、第三の関門が用意されて居るのです。
 折角、弥陀の浄土に生まれながら、仮土に生まれて、三宝の慈悲に離れて、真実報土に往生出来ないのです。それは、偏に仏智疑惑の故であります。其の爲に、第三の関門があるのであります。
 第三の関門とは、浄土門の中の、『正助二業の中、助業を傍らにして、選んで正定業を専らにすべし』という問題であります。是れは、親鸞聖人によって明確に意識せられたものでは有りますが、既に、善導大師によって語られていますので、善導・法然によって見出されて居たもので有ります。
 此の、第三の関門は、『佛智疑惑の罪』であります。仏智疑惑とは、人間の思いを優先して、仏の智慧を疑う事であります。
 私の思いを第一に考えて、何処までも、自己の思いを正当化し、仏の教えには耳を貸そうとしない、頑なな、自己肯定の我執の心で有ります。其れが、仲々見えないのです。
 この心は、私の最も深いところに巣を作っている根性でありまして、人生の終わりまで無くならない根性で有ります。
 この三つ目の関門は、仏の智慧の前に連れ出されて、教えによって叩かれて、叩かれて、如来の前に謝り入る以外には、手の施し様の無い代物で有ります。
親鸞聖人が、晩年になって、『仏智疑惑の罪』に就いて、執拗なほど繰り返し、繰り返し和讃に詠われているお意を、不審に思っていましたが、その深いお意が、やっと頷ける様に思われます。
 この第三の関門を潜ってこそ、念仏の救いは成就為るのです。ここに、初めて、人間に生まれた喜びを、全身に満喫する事が出来るのでありました。
この三つの関門を潜って初めて往生浄土が果たせるのでありました。其れを表す爲に、わざわざ、『往生三たびになりぬるに』と言う和讃が作られて居たのでありましょう。
 この様に、仏道成就の爲には、必ず、『三つの関門』を潜って、超えなければならないのです。これは、仏道の鉄則でありました。仏道を志す者が、銘記すべき事であります。
 此れは親鸞聖人に依って初めて意識されたものでありますが、仏道を成就した人々には、理解されていたものでありましょう。其れが、地下水の様に大地の底を流れ続けていて、親鸞にまで流れてきて、地上に現れたのです。親鸞聖人のお陰で、私はその事を知らせて頂きましたが、浄土の祖師達は既にその事を知って居られたのでありましょう。
 私も、此の三のつ関門を潜り抜けて、『往生三たびに成りぬるに、この度、殊に遂げやすし』と、高らかに歌いつつ、今生を『おさらば』したいものと思って居ます。

水琴窟 20

水琴窟 二十
問、仏像を拝む意味 Ⅱ
答、善導は観経疏に『応心即現』と言いました。『心』とは人間の心の底に隠れている。『真実に遇いたい』と言う『人間至奥の要求』であると云いました。如来は此の『心』に応えて『東域に影臨す』と言われます。
『そんな心など私には有りません』といくら主張しても駄目なのです。如来は先刻見抜いて居られるのです。
『貴方のも必ずこの心は有るのですよ』と、言い切られるのです。そうして、『確かに私にも、この心が有りました』と気づいた時、即座に『摂取不捨』の利益に預かるのであります。
『私にも、この心が有りました』と頷くことは容易ではありません。しかし、聞法を続けるならば、必ず頷けるのです。それは既に先輩たちによって証明されているからです。 『弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞がもうす旨またもって虚しかるべからず候か。詮ずる所、愚身が信心におきては此くの如し。この上は、念仏をとりて信じたてまつらんとも、また捨てんとも面々の御計らいなり。』これ程の証明を並べられて、それでも疑うと言うのは、よくよく疑い深いと言わねばなりません。
さて、『仏像を拝む意味』と云う事ですが。阿弥陀仏は、我々の目で見る事は出来ません。それで、『影臨』と言いました。『影』と成って臨むのです。臨むとは、顕われること、働きかけて来ると云う事です。『影』と云う言葉は、日本語では随分ニュアンスの豊富な言葉です。『月影』は月が照らして居る様ですが、『島影』と言い、面影を偲ぶと 言います。遂に、『お蔭さま』と成れば、愈々意味深重 であります。
阿弥陀如来が『影臨』すると云う事も、『お蔭様』と言うより外ないのでありましょうか。阿弥陀仏は確かに、我々の為に、やって来て働きかけて居て下さるのです。問題は、それを我々衆生が、我が身の上に頷けるか否かと言う事であります。
『阿弥陀仏、此処に在します』と頷く事が出来るか否かと、自己に問うてみるのです。『確かに阿弥陀仏在します』と頷く事が出来れば、もう占めたものです。頷けるまで聞き抜くことです。頷けたらそれでお終いかと言うと、一度、頷いたら、もう逃げられないのです。其の儘人生が終わるまで、聞法を続けなくてはならなくなるのです。
それは如来が離して下さらないのです。いくら私は逃げようとしても、如来が離して下さらないのです。自然法爾なのです。私の努力ではありません。
西遊記の物語にあるように、孫悟空が幾ら逃げようとしても、仏陀の掌の中をぐるぐる回っていたよなものです。孫悟空の神通力と雖も所詮人間の計らいでありますから、仏法力の前には、手も足も出ないのです。
一度、仏法力の前に引き出されたら、人間の計らいは全てお手上げになります。阿弥陀仏在しますと頷けないのは、人間の計らいであります。その計らいの儘が、仏の掌の中なのです。そのことに目覚めて、南無阿弥陀仏と念仏に帰る時、『阿弥陀仏在します』と、頭を下げ、手を着くのです。 仏像を拝む意味は、仏像は仮の形です、その仏像を通して、眞の佛を礼拝するのです。私達は何か対象が無ければ、礼拝する事が出来ません。其の為の仏像です。仏像こそ、真の佛の心を念ずるための形であります。
仏像は、礼拝の為の形であります。礼拝すると云う事実を抜きにして仏像を見るだけなら、仏像はせいぜい美術品か人形にすぎません。従って、其れだけの値打ちしか無いものに成ります。仏像は、あくまでも礼拝の対象であることを忘れてはなりません。
仏像を拝む事は、仏法の大事な儀式でありますが、今日、その儀式の意義が忘れられて、美術品に成って居る事は残念な事であります。その理由は、偏に、仏教自体が堕落している訳です。仏教が、宗教としての意義を失って、堕落しているのです。宗教の堕落には、二つの問題があります。一つは、宗教の観念化であり、今一つは、宗教の偶像化であります。まず、宗教の観念化に就いて考えて見たいと思います。
観念化と言えば、言葉が解かり難いのですが、要するに、話に終わっていると云う事です。話はいくら聞いても話に過ぎません。救いの事実にはならないのです。
彼女の聞法、三十年
しかし彼女には、何物もない
聞くだけが賢いのなら
浪花節道楽の男が、一生を寄席に通うて何ほど賢くなったか
一生を聞法に使うて 然も、何物もない
何処に、欠陥があったのか
彼女は、ただ我を忘れて、話を聞いたのだ
我を知らずして、話を聞けば、話しは話に終わる
話を聞く者は多く、道を求める者は少ない
道を求めて三十年を費やすか
話を聞いて三十年を送るか
往生極楽の話は甘く
往生極楽の道は、易くして辛し (讃嘆の詩、上巻、p131)
自己を見つめる事を忘れて、法を聞けば、仏法が話に終わるのです。自己を見つめるとは、機の深信です。機の深信を抜きにして、仏法を語れば、仏法の話になるのです。
これは、仏法を語る側に責任がありました。仏法によって救いを成就しようとせず、御法礼を稼ぐ事だけを念頭にして、仏法を説くことを忘れた結果であります。ただ、面白おかしい話をして、大衆の歓心を買っていたからです。
仏法の話は甘いので、聞く方もそれを喜び、説く方もそれに依ってお金が貰えるのですから、安易にその方に流れるのです。そのような堕落が続けられて、今日に至りました。 『お前は如何であったか』と問われると、私も、その一人であったことを深くお詫びしなければなりません。
宗教が観念化して、宗教の生命が失われる時、世の中には、迷信ばかりがはびこるのです。現代は正にそのような時代であります。正しい宗教心が見失われて仕舞っています。誠に、浄土真宗の寺院が、真っ先に、目を覚まさなければならない時代であります。
門徒制度に溺れて、寺に住めば、易々と飯が食えることになり、聞法に命を懸ける事を忘れています。是が、観念化の状態を創り出した元凶であります。
住岡夜晃先生は、貧苦の中で、只管に自己を問い続け、『大法の如く』と叫び続けて下さいました。今こそ、夜晃先生の光明団創設の御精神に立ち戻って、『大法の如く、更に大法の如く』歩み切らせて頂かなければならない時であります。
もう一つ、宗教堕落の姿が『偶像崇拝』でありますが、長くなりますので次回に譲りたいと思います。

水琴窟 21

水琴窟 二十一
問、偶像崇拝とは (前号より続く)
答、宗教堕落の姿に偶像崇拝の問題があります。偶像崇拝と言う言葉には、誤解を生む欠点がありますが、此の言葉が定着して長い年月が経ちますので、今、別の言葉を見出すことが困難になりました。其の為にこのまま使用する事にします。
そもそも『偶像崇拝』と言う言葉は、今から3000年以上も昔に、モーセと言う人に遡るのです。モーセは、紀元前16世紀とも13世紀ともいわれる預言者で、旧約聖書の出エジプト記の『モーセの十誡』に出て来る言葉であります。
モーセの十誡の二番目に『偶像を造ってはならない』と禁止してあります。但し、カトリック教会とルーテル教会の伝統にはこの項目がありません。しかし、キリスト教でもイスラム教でも、共通して、偶像崇拝を厳しく戒めているのです。
しかし、宗教には必ず礼拝と云う事が伴いますので、キリスト教では『十字架』を、イスラム教では『メッカの方角』を拝む事になっています。
所で、『偶像崇拝』と云う事の本当の意味は如何いう事でしょうか。仏教の立場から言えば、少なくとも、仏像を拝む事ではありません。人間は何かを対象として、礼拝をするのですが、宗教には、必ず礼拝と云う事が伴います。礼拝をしない宗教はありません。
但し、何を求めて礼拝するかが問題であります。若し間違ったことを求めて礼拝する限り、如何に真剣に祈っても、迷妄に堕するのです。それを迷信と言います。
人間の要求は全て『自我』に裏らずけられています。『自我』を孕んで居る限り、迷妄の謗りを免れる事が出来無いのであります。
仏法は『無我』の教えであります。従って、『自我』を否定すのでありますが、西洋には、『無我』と言う教えがありませんから、これを説明することが困難であります。
しかし、『無我』と云う事が説かれない限り、自己主張が止まず、自己主張と自己主張がぶっつかって、戦争は止められません、その結果は、人類滅亡と云う事になりましょう。 今こそ、『無我の教え』を、世界中の人に理解してもらわねば、核戦争が起こって、取り返しのつかないことに成るのではないでしょうか。
仏教の無我の教えに立つ限り、偶像崇拝とは、人間の要求を神に祈ることです。仏教では、『現世を祈る行者』と申します。人間の要求は、如何に純粋の様でも、必ず、自我が混入していますから、自己肯定と自己主張を、続けるばかりです。
たとい、世界の平和を祈ると言いましても、自分の立場を考え、自己を正当化するのです。自己を犠牲にすると云いましても、自己を犠牲にしたと云う痛みを離れる事は出来ないのです。自己犠牲と言う痛みがある限り、流転輪廻の延長に成るのです。
自己犠牲は素晴らしい美徳だと云うのは、痛くも痒くもない傍観者の云う事で、当の本人が言える言葉ではありません。従って、仏教には自己犠牲と言う言葉は無いのです。
人間の祈りは、全て偶像崇拝であります。『如来の願』のみが『真実の祈り』です。衆生は、『人間の祈り』を捨てて、ただ『如来の祈り』に信順する必要があります。
『今生に如何に、いとおし、不憫と思うとも、存知の如く助け難ければ、この慈悲始終なし』(23の3、歎異抄第4章)と言わざるを得ないのです。
西洋では、この様な思想が、一部の人にしか知られて居ない為、『偶像崇拝』の意味が誤解された儘に成って居ます。日本でも、西洋思想の影響で、同じ誤解が定着して来ました。仏教精神の復活が急がれる次第であります。
歎異抄に『慈悲に聖道浄土の変わり目あり』と言われています。『聖道の慈悲は、存知の如く助け難し』と言われる所以が、この問題であります。
勿論、『聖道の慈悲は助け難し』と言いましても、何もしないで良いのではありません。聖道の慈悲を励むのです。慈悲心と言うのは、相手を哀れみ悲しみ育むことです。此の慈悲始終なしと知って、精一杯、慈悲をかけるのです。ただし『此の慈悲始終なし』と知ったうえで、聖道の慈悲に、精一杯尽くして念仏申すのです。念仏申せば『始終なし』に悔いはありません。それが念仏者の生き方です。
念仏者は、『自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より以来、常に没し、常に流転して、出離の縁有ること無しと深信する』身であることを知って居ますから、人間の慈悲心の限界を熟知しているのであります。其の上で、精一杯の慈悲を注ぐのであります。
慈悲の心が、相手に届く時もあり、届かない時もあります。是は御因縁であります。因縁次第では、届かないこともあるのです。それでも、在りの儘を見つめて念仏申すより仕方がありません。これがこの世の実相であります。
『私は是だけやっているのに、それが解からぬとは、お前が悪いのだ』と腹を立てるのは、この世の実相が分かって居ないのです。念仏の心に帰って、この世の実相に疎い自らを反省すべきであります。
私達は、またしても、自分の思い通りにしたいと思います。しかし、この世は私の思い通りには成ら無い所です。全て因縁次第であります。この世の事は、因縁に任せて、念仏しながら、大法の如く、更に大法の如く、歩ませて頂くのです。
お浄土には、『一切所求満足功徳』が成就されていると言われます。それを曇鸞大師は、『所求に叶て、情願を満足す』と解釈されました。『所求』とは、私達の欲望であります。お浄土は我々の欲望が、悉く満足すると言うのです。
『所求に叶う』とは、我々の欲望を、いきなり否定するのでなく、欲望を静かに聞きながら、その底にある情願を満足させるのです。『情願』とは、私達に必ず賜っている『真実に遇いたい』と言う、止むに止まれぬ願であります。この情願が満足する時、不思議にも、私達の欲望は全て満足して『南無阿弥陀仏』に成るのです。
確かに、我々の心の深いところに『真実に遇いたい』と言う願がありました。『私にはそんなものはありません』と言いたいのですけれど、それは『所知障』と言うものの言い分でありまして、その底にちゃんと情願と言われるものが有るのです。
この頃は、学校教育が進んで、一文不知の人は居ません、その代わり、所知障が発達して誰も仏法を聞こうとしないのです。所知障は、誰も皆、賢く、物知りに成って、其の為に、仏法を邪魔して聞かせなくして居る働きです。一文不知の人は、仏法を善く聞きました。学歴の高い人ほど仏法を聞かなくなりました。学問をした人こそ、仏法を聞いてくれなければならないのです。教育の在り方を一考すべき時です。此の為には、幼児の時の教育が大切であります。念仏の家庭で特に注意すべき問題です。
『私にも、情願が確かに有りました』と我が身に確認出来た時、私の心は晴れて、『心得開明』と成ります。身も心も晴れて清々しくなり、思う存分『世の中安穏なれ。仏法広まれ』と飛び回ることが出来るのであります。
本当の偶像崇拝とは、人間が勝手に描いた願望を、神に祈ってそれを叶えて貰おうとする『信仰』であります。人間が勝手に描いた欲望でありますから、そんな信仰は、正しい信仰とは言えません。願望が叶えられる事もあり、叶えられない事もあるのです。そうすると、叶えられないと、神も仏もあるものかと、神様を恨むのです。だから、偶像崇拝が正しい信仰ではないと、否定されるのは当然であります。
ただ、偶像の意味が正しく理解されていないと、単なる、器物破壊に成ってしまいます。イスラムの過激派教徒が行っている仏像破壊は、単なる、器物破壊に過ぎません。これは、自分達の宗教だけが正しいと主張する、独善的な勝手な暴力であります。
こんな独善的な暴力がまかり通る世界は、社会を混乱させるだけです。是非止めさせる必要があります。人類の叡智に依る良識によって、厳しく忠告すべきであります。
それが出来ないなら、人類は混乱の末、戦争によって破滅を迎える事になりましょう。人類が此の儘破滅に向かって走り続けるか、平和に生き続けられるか、二者択一の岐路に立っていると云わねばなりません。人類の叡智が正に試される秋であります。
偶像崇拝は、迷信であります。今日、信仰の名によって迷信が巷に溢れています。これは、学校教育が進んで、理性のみが発達して、所謂『所知障』と言う『分別』ばかりが蔓延して来たからであります。『分別』は、『所知障』と言いまして、『所知』(人間として、必ず知るべきもの)を障えて、知らせない様にする働きであります。
世間は分別によって成り立っていますから、学校教育が分別を大切に身に付けるように教えるのですが、この分別の為に、仏教の教えが解からなくなるのです。まことに厄介な事ですが、致し方もありません。そこで、仏教の方も頑張って仏教の教育をしなければなりません。今はこんなややこしい時代であります。
いくら教育が進んでも、大丈夫、仏教は伝わって行くものですから、安心して、仏教教育を進めて行けばよいのです。ただ今日は、仏教が解かり難い時代であることは、心得ておく必要があるのです。
二回に渡って『宗教の堕落』を見て来ました。宗教は、いとも簡単に堕落するものです。宗教では無くて、人間が堕落するのですが、人間が正しい信仰に到達することが困難なのです。人間には、煩悩障と所知障がありまして、煩悩障も大変ですが、現代では所知障を克服することが、中々困難な時代であります。
此の二つの障害を越えて、正しい信仰を得る事は、人生の最大の課題であります。それ故に、正しい信仰に遇い得た者は、人生の成功者であります。
以上、宗教の堕落の二つの形を述べました。宗教の観念化と偶像化であります。何れも今日の重要な課題であります。この二つを正しく克服して、信仰の正常を保たねばなりません。 信仰が正常に保たれてこそ、その社会は正常に発展するのです。今の世の中は、どう見ても正常な発展とは言えない状況であります。全てのものが、いびつになり、歪んでいます。『世の中安穏なれ、仏法広まれまれかし』と願わずには居られません。

水琴窟 28

 水琴窟 28

 問 果遂の誓いに帰してこそ
 答 
 二十願の事を果遂の誓いと言います。『果たし遂げずんば、』と言う如来の
大悲の願いの故であります。この第二十の願に特別の意味があることを見出し
た人は、大無量寿経の作者と、親鸞聖人の二人だけであったのでは無いかと思
われます。
 この二十願の特別な意義については、中国では、永い間忘れられていた様で
す。七高僧も、法然上人も、第二十願については、特別に何も言っていられな
いからです。しかし、親鸞聖人は、第二十願の特別な意義に気付いたのです。
それはどういう事かを尋ねてみたいと思います。
 そもそも、大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経を、浄土三部経と名付けたの
は法然上人であります。その時、此の『浄土三部経』は同一格に横に並べられ
ていました。所が、親鸞聖人は、真実の経は大無量寿経であり、観無量壽経と
阿弥陀経は、方便の経であるとされました、
 観無量寿経が第十九願の意を表していると云う事は容易に頷けますが、阿弥
陀経が第二十願の意を表しているというのは少し無理なこじつけかと思われま
す。たまたま、三つのお経があり、大無量寿経と観無量寿経が夫々の役割を演
じているので、第二十願の役割を阿弥陀経に押し付けたという感じも無きにし
も在らじと思われます。これは阿弥陀経にとっては、いささか迷惑なことであ
ったかも知れません。
 兎に角、第二十願の特別な意義は、中国では、長く忘れられていたのでしょ
う。親鸞聖人によって、その意義が、改めて明らかになったのです。    
 阿弥陀経に就いて、特に第二十願の意味が強調されている訳ではありませ
ん。ただ、第二十願を代表する経典として、阿弥陀経が当てられたのでありま
しょう。阿弥陀経にとっては不本意なことかもしれませんが、兎に角第二十願
を代表する経とされたのであります。
 そこで、第二十願の意義でありますが、その前に、第十九願について述べる
必要があるようです。観無量寿経は、第十九願の意を顕す経であると言われて
います。観無量寿経の中心課題は、『一者至誠心、二者深心、三者回向発願
心』と言う、三心の教説にあります。
 『至誠の心を持って、信心を起こして、真実の国に生まれようと願え』と言
うのです。これは、宗教の出発点であり、至心発願の教えであります。観無量
寿経が第十九願を代表する経であると言う事は、誰でも直に納得出来る事であ
ります。
 所が、第二十願は『至心回向の願』と言われていまして、この願の意味 
は、中々解かり難いのです。法然上人まで、七高僧の伝統でも、この願の意義
に言及した方はいらしゃら無いようです。しかし、大無量寿経の作者が、わざ
わざ第二十願として、一願を立てたのですから、その意義は、元々四十八願経
には見出されて居た筈です。
 この第二十願は、無量壽如来会でも重要に取り上げられていますので、経典
が漢訳される初期の時代には、確かに注目されていたものと思われます。所
が、翻訳後中国では、余り問題にならなかった様であります。
 親鸞は、第二十願の問題に気付き、これを大切に取り上げました。此処に親
鸞の特別な経典への視点が見出されるのであります。
 第二十願の存在に目覚めた者は、第十九願に誓われた『至心発願』の教えに
敗れた衆生です、善根を積んで往生を願う事は、とても自分には叶わないこと
と目覚めたのです。ですから『ひたすら弥陀の本願に縋って往生を願う』と言
う生き方を選んだのですが、其処に人間の最後の問題があります。即ち、本願
の嘉号を己の善根とすると言う問題です。
 『私は念仏を申して居るから善いが、お前はまだ念仏しないから駄目だ』と
他を貶めて、自分を正当化するのです。この心は、最後まで私達に食いつい
て、離れようとしない『仏智疑惑』の罪であります。
 印度から始まって、中国・日本に至る約1000年の仏教伝来の歴史の中
で、見失なわれ、気付かれる事無く伝えられたこの問題が、日本の親鸞によっ
て見出されたことは、不思議な事だと思いますが、仏教伝来の歴史の底に地下
水の様に伝えられていたものが、遂に地上に噴き出る時だ来たのでありましょ
う。
 此れは、モンゴリアンと言う民族の深層意識の中に蓄積されて居たものに相
違ありません。モンゴリアンの伝統には、中国、朝鮮半島経由のものとは異な
って、南方海上を伝わって来たものがあるのです。それは中国経由よりも、一
万年も早く日本に伝へられて居たのです。それを日本では、縄文文化と言いま
すが、此の縄文時代の文化に、その痕跡が残って居る筈です。しかし、今日で
はそれを知ることが出来ません。
 親鸞の思想には、中国伝来の思想とは異なる、特別な感性が認められます。
その思想には、多分に、縄文文化の片鱗が有る様に思われるのです。この親鸞
独特の感性によって、第二十願の意義が見出されたのです。
 これは私の想像でありまして、証明出来ませんが、本題から離れますが、少
し寄り道をして、書かせていただきます。
 我々の地球には永い氷河期がありました。この氷河期には、海の水が今より
300mも低かったと云います。その頃、ボルネオの東に大陸が顔を出してい
たと考えられます(スンダーランドと名ずけられています)。大きな河が流れ
ていた跡があると言われています。その大陸は赤道直下で、氷河期にも気候に
恵まれていて文明が栄えていたと考えられます。これがモンゴロイドの根拠地
でした。その文明の北端に位置していた日本は、中央よりは遅れていたかも知
れませんが、氷河が解けて、海の水が増えると、人々は周辺に逃て来て、文化
を拡散したのです。日本も、多分にその恩恵を受けて居た筈です。
 その水没した大陸に発達した宗教が、モンゴリアンの宗教でありました。そ
れは氷河期の終わりと共に、先ずインドに伝えられ、南北に分かれて東に進ん
だのです。従って、北方ルートより南方の方が一万年も早く日本に伝わったの
です。
 これはまだ確定した説ではありませんが、日本民族の特別な文化を考える
時、このような空想をしてみるのも一考かと思われます。兎に角、縄文文化の
源泉を考える時、『スンダーランド文化』と言う、今は失われた未知の文化が
あったことを想定するのが、妥当の様に思われるのです。暁烏敏師が戦前に唱
えた説には、一考を要すものが有った様です。余談は此れ位にして、本題に帰
ります。
 親鸞によって発見された。『第二十願の意義』は、人間の最奥部に潜む、
『仏智疑惑の罪』であります。如来を無視して、自己を肯定するのです。
 我々は、自己の存在を肯定して、何処までも自己の存在を主張しなければ
生きられないのです。その為には、自殺さえ厭わないのです。『死んでまでも
自己の正当性を主張する』のです。
 死んでしまえば、全て終わりではないかと思うのですが、『死霊の祟り』程
恐ろしいものはありません。『死んで、孫末代まで祟ってやる』と言うので
す。そんな脅しは、現代では通じ無いのかも知れませんが、やはり、自分の仕
打ちで相手が自殺したとなれば、気持ちの良いものではないでしょう。孫末代
まで祟ることが出来るのかも知れません。
 それ程に、我々の自己主張は、容易には拭い去れないものとして、私の一生
に付き纏っています。しかし、こんなことは誰でも当たり前のこととして、顧
みるものは居ませんでした。親鸞だけが此れに気付いたのです。其処には、鋭
い如来の智慧光が光って居ました。
 此の、仏智疑惑の罪の深さに気付いて、如来の前に『五体投地』した者の前
にのみ、如来は影現するのです。
 如来は、何処までも衆生の『仏智疑惑の罪』を否定します。しかし、衆生の
存在を見捨てる事なく、摂取するのです。それが如来の大悲心です。親鸞は、
此の大悲心を頂いて、我が身を『大いに悲嘆すべし』と自覚したのでありまし
た。
  信心の人におとらじと 疑心自力の行者も
   如来大悲の恩を知り 称名念仏はげむべし (疑惑和讃 11の37)
 疑心自力の行者である私でありますが、如来大悲の恩を厚く蒙っている身で
あります。それ故に、称名念仏を励むのであります。
 何処までも、衆生の在り方を否定し尽くさねば置かぬ、如来の智慧でありま
すが、決して、衆生を見捨てないのが如来の智慧であります。見捨てないと
は、何処までも、衆生と共に流転して下さる事であります。衆生と共に、地獄
の底まで付き添って下さるのです。
 『地獄に落ちる。(佐々木蓮麿師)。わしが落ちる。(大河内了悟師)。
  仏も落ちる。(宮城の老院⦆』これは宮城師の老院宅の寄せ書きの言葉で
あります。佐々木師と大河内師が書き終わって、宮城の老院の番が来ました。
さてどのような言葉を書かれるのかと、そばで見ていた藤元正樹氏が固唾を呑
んでいると、暫らく考えていた老院が、さらさらと『仏も落ちる』と書かれた
というのです。その時、藤元正樹氏は随分驚いたと語って居ました。『仏も落
ちる』と言い切れる時、『地獄は一定住み家ぞかし』と、自信をもって言える
のでありましよう。それは正しく『果遂の誓いによりてこそ』と云う本願が在
るが故であります。

 

  
  

  

   

  
  

水琴窟 27

水琴窟 27
問 眷属長寿の願
  答
 先に、永遠の今と言う事を申しました。それに就いて眷属長寿の願の事を 
述べましたが。もう少しそれに就いて言いたい事があます。
 『永遠の今』とは、日常的時間の中に、『永遠』なるものが、殻を破って入
って来て充満する事だと云いました。
 永遠なるものとは、如来であります、如来が私の中に入ってくるためには、
硬い殻を破る必要があります。硬い殻と言うのは、我執と言われるものです。
この我執は、固い殻を被っていて、容易に破れません。
 この硬い殻は、実は私の内から破れるのです。私には生まれる以前から賜わ
っている『無漏の種子』があるのです。その無漏の種子は、無明煩悩に覆われ
ていて、自由には動けないのですが、外から加えられる聞法の縁が唯一の因縁
となって、種子を現行せしめるのです。この内からの無漏の種子の現行に依っ
て、初めて、我執の殻が破られて、無漏の信心が誕生するのです。
 この内から破られて誕生した信心が、如来を迎え入れるのです。話は簡単で
すが、信心が私の内に誕生するというい事は、ちょっとやそっとでは誕生しま
せんから、皆、苦労するのです。
 信心の誕生には、聞法しかありません。所が、聞いても聞いても分からない
という人が多いのです。其の為、聞くことを止めてしまいます。また、止めて
は居ないのですが、仏法を話にして聞いてしまうのです。
 仏法を話にして聞くとは、耳に話を聞いて、一応理解もしているのですが、
それが、有漏の経験に終わるのです。有漏の経験とは、聞いて、理解して、解
ったというのです。仏法は、有漏の経験に留まれば、知識を増やしただけに終
わります。仏教学者が、いくら仏教を研究して、知識を増やしても、一向に信
心にはなりません。
 信心は、無漏の経験だからです。有漏の経験を、いくら積み上げても無漏に
はなりません。無漏の経験は、無漏の種子が現行して初めて成就するのです。
 私の内にある無漏の種子を現行せしめる唯一の縁が、聞法ですので、聞法以
外に道はないのです。しかし、その聞法を、中途半端に止めてしまうと、有漏
の聞法に終わります。
 聞いて聞いて聞き抜くとは、無漏の種子が現行するまで聞くのです。私に
も、無漏の種子は与えられていますので、安心して、聞法を続けるのです。必
ず、信心が得られるのです。
 其の事を教えてくれたのは、唯識の学者である、護法と言う方です。護法
は、本有の無漏の種子と言います。これは、如来蔵思想と言いまして、如来蔵
経や涅槃経などに説かれています。衆生には、如来蔵と言う事があって、今は
煩悩に覆われているが、修行を励めば、必ず佛と成れると言うのです。如来蔵
とは、如来となるべき種子を宿していると云う事です。    
 ところで、眷属長寿の願ですが、これは浄土に往生した人々に、自由自在に
衆生を救うために、十方国土に飛んで回れるようにと言う願であります。先に
申すように、例外こそ本命なのです。『いつまでも十方世界を飛び回って、思
う存分衆生利益が出来る人に成れ』と云う本願であります。
 これは、阿弥陀如来が浄土を建立した第一の理由であります。浄土論には、
菩薩功徳の最後に、『無仏の国土に往生して仏法を示す事、仏の如くならん』
と言われていますが、其れこそ、阿弥陀仏の最後の願いでありました。
 大無量寿経には、第二十二願に関係する願が沢山あります。この二十二願こ
そが、四十八願の全体を代表する願であるからです。勿論、第十八願が本願を
代表する願でありますが、その究極的目標は、還相回向にあるのです。
 還相回向の願こそが、十方衆生に願われる最後の救いであります。十方の衆
生は、還相の働きが自由自在に出来るように成る時、初めて出世の本懐を満足
するのです。
 自分の幸福のみを求めてきた衆生が、初めて、他の衆生の事を考えるように
成る事こそ、衆生の本来の存在意義であります。ですから還相回向の願こそ、
決して、単なる付けたしの願ではなく、阿弥陀如来の本願の重要な目的であり
ます。だから、四十八願経では、二十四願経には見られなかった、還相回向に
関わる願が多く見られるのでありましょう。
 この様に、四十八願経では、二十四願経の本願には充分でない、還相回向の
問題を、改めて補強して四十八願として完成させたのです。此れによって、弥
陀の本願が完全な形を整えることが出来ました。
 浄土の眷属とは、阿弥陀如来の正覚の華から化生した者であります。如来の
覚りから生まれた者であります。浄土論には、眷属功徳の前に、主功徳が説か
れています。主に対して、眷属と言うのであります。それで、眷属を『伴』と
言います。『伴』とは『ともがら』であります。
 主伴の関係は、決して『主従の関係』ではありません。上下の関係でなく、
役割の関係であると言われます。即ち、主役に対して、脇役の意味でありま
す。脇役は、あくまでも主役を助けるわけですが、時に、脇役の方が立派な演
技をして、芝居を盛り上げるのです。
 また、主伴が一つになって、世界を作り上げて行くのです。その世界の住民
の一人一人が、本当に生き生きとして居てこそ、その国は開かれた国であると
言えます。弥陀の浄土に生まれた住民は、皆、生き生きと輝いて居るのです。
 如来の眷属と成る事によって、衆生は、弥陀の浄土を証明すると共に、衆生
自身の救いも証明されるのであります。
 如来の正覚から生まれて、如来の正覚を証明するものが眷属です。如来の正
覚を離れて眷属はあり得ませんが、眷属が無ければ、正覚も空しい観念に終わ
ります。眷属こそ、正覚の具体相であります。主功徳と眷属功徳が一つになっ
て、浄土を生み出しているのです。
 誠に、如来の眷属の一員に加えられた事は、これに勝る喜びはありません。
天に踊り、地の踊る喜びであります。この世の生を終え、阿弥陀の浄土に往生
して如来の眷属に成る事を以て、私の出世の本懐は全うされるのです。
 如来が私の内に入ってくるとは、実は如来の浄土に生まれて、如来の正覚の
華より化生する事でありました。
 如来の眷属と成る事によって、『永遠の今』が、私の上に実現するのです。
それを仏道では、『仏法聞き難し、今既に聞く』と言います。
 昔、『永遠の今』と言う事を教えられて、一向に解からなかったことが、九
十四歳になってやっと解かるようになりました。誠に、お育て頂いたご恩徳の
賜物であります。謹んで、ご恩徳を感謝申し上げます。
 条件次第で、右に行ったり左に行ったり、只、当てもなく流されるよりほか
なかった私が、『永遠の今』と言う確かな杭を打ち込まれて、流されることが
無い身になった。それを『念仏申さんと思い立つ心の起こる時』と言います。
 この『時』を、『永遠の今』と言うのです。『念仏なんか申して何になる
か』と言いますが、『念仏申す』と言う事がこれ程大きな事だとは、全く気づ
きませんでした。『念仏申す』その時が、『永遠の今』に直接しているので
す。だから、『念仏者は無碍一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行
者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍する事なし。罪悪も業報を感ずる
ことあたわず、諸善も及ぶこと無き故なり』と言われるのでありす。 
 罪悪は業報を感ずるものであります。私のする事為すことは、全て、三悪道
の業でありますから、当然の事として、地獄、餓鬼、畜生の果報しか行き場は
ありません。所が、その果報を一切受けないというのです。之は誠に、仏法不
思議の働きであります。     
、  いつつの不思議を説く中に 仏法不思議にしくぞなき
    仏法不思議ということは 弥陀の弘誓に名けたり(曇鸞和讃)
 『弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をば遂ぐるなりと信じ
て、念仏申さんとおもいたつこころの発こる時すなはち、摂取不捨の利益にあ
づけしめたまふなり』(歎異抄)
 誠に、この時を与えられた不可思議の利益を謝すばかりであります。 
  

 

  
 

  
  

   

  
  

水琴窟 26

   水琴窟 26
 問、今と言う時間 
 答、昔,学生の頃、 哲学の先生から『永遠の今』と云う講義を受けました。不思議にその言葉は、耳の底に残りましたが、如何いう意味かはその時は解りませんでした。しかし、其の事がすっと私の心に残って居て九十四歳に成って、やっと解るような気がするのです。
 私達は、過去、現在、未来と言う時間区分によって生きているのです、これを日常的時間と言う事にします。その日常的時間の現在は、瞬時に過去に流れ去って行きますから、時間と言うものは、一向に掴み所がない現在を生きている事になります。また、未来は何が起こってくるか、一寸先は闇でありますから、結局、闇の中を手探りで歩いている事になるのです。 現代と言う時代は、愈々その闇が深くなって、暗中模索の不安が深くなり、誰も彼も不安の中に、疑心暗鬼の儘に生活を続けているのです。この頃の世界情勢は、特に、疑心暗鬼の渦巻きの真っ只中に居るのです。明日の情勢がどうなるのか、誰も予測が出来ないのです。若し核戦争が勃発すれば、世界中が火の海になると言われていますが、其れもいまだ一度も経験したことのない出来事でありますから、誰も想像すら出来ない事であります。
 たった二発の原子爆弾が落とされてだけで、広島と長崎であんな悲惨な状況が起こりました。もし今、第三次世界戦争が起こって、世界中が原爆や水素爆弾の標的になれば、それは人類滅亡しかありますまい。北朝鮮もアメリカ大統領もそれを言い放っています。
 其れでも後ろから『時間』と言うものに押されるので、否応なしに歩き続けなけばならないのが人間であります。その様な人間の生きる現実を、どう対処したらいいのでしょうか。切実な問題であります。
 世界情勢の動きに対して、私共にはどうする事も出来ませんが、何が起こても其れを受けて行かなくてはなりません。仕方無くなく、嫌々乍ら、受けていくのか、念仏して受け入れて行くのか、道は二つしか在りません。そこで、念仏して受け入れて行くとはど言う事かを、考えてみたいと思います。
 先に、永遠の今とは、日常的時間と永遠なる時間が交差する事だと云いました。しかし、そんな生ぬるい表現では言い尽くされません。我々の日常的時間の殻を破って、永遠なるものが入って来て、充満する事であります。
『謹んで真実証を顕さば、則ち是れ利他円満の妙位、無上涅槃之極果なり』(証巻、12の118)と、親鸞は言いました。無限なるものが、我々の中に入って来て充満するのです。
 『今』と言う時間は瞬間ですが、その『今』が継続するのです。それを『利他円満の妙位』と言います。原爆が頭上で爆発したら一瞬に全て無くなります、それは止むを得ません。しかし『無上涅槃の極果』は原爆の前にもびくともしないのです。念仏申して、彼の国に往生すればよいのです。
私はもう九四歳ですので、そんな呑気なことを言って居られますが、若い人はそんな訳にはいきません。極力頑張って戦争にならないように為なければなりませんが、如何なる事かわかりません。誠に厄介な時代になったものです。戦争にならない様に祈るしか道はないのでしょうか。

水琴窟 25

水琴窟 25
問、慈悲と智慧の問題 (続き)
答、曽我先生と北森先生との対談で、曽我先生が『仏教の慈悲と言う考え方は、貴方が言われるような悲と云う事に徹しなければ本当のものに成らないでしょう』と言われたと云う事がありました。その時、『これは今思いついたことではなくて、私はもう30年も前からそのことを憶念し続けてきて居る。』更に、『善導の機の深信と『無縁の大悲』とは深く関わるものである。』と言われたと云うのです。『しかし是は曽我量深が言うのであって、他の真宗学者も仏教学者も誰も認めていない。』と。
これに就いて北森氏は、『そういう発想が、仏教の中にあるとは思いもしなかった。』と言って大変ショックを置けたと語って居られます。
所謂、『無有出離之縁』とは、『人間の絶望』であります。その人間の絶望が、その儘『仏の無縁の大慈悲』と云う事を証してくると云う事です。
『無縁』とは、本来『平等』と云う事ですが、また『縁なき衆生は度し難し。』と言う『如来の絶望』につながるものです。
『人間の絶望』は、『如来の絶望』によってのみ見出されるものであります。人間は自ら絶望出来ないものであります。最後の最後まで夢を見続ける存在であります。
私は、高度2000メートルから墜落しましたが、その時、下を見ると大地が湧き上がってくるのが見えました。あそこまで行けばお終いだなと思いました。それと同時に、
『まあ、何とかなるさ』と思ったのです。結局、私は助かったのですが、死んだ同僚も同じことを思ったに違いないと思います。人間は最後まで、望みを捨て得ない存在だと思います。失望はしても、絶望は為ないものなのです。
それ故に、如来の無縁の大慈悲に依ってのみ、衆生の『無有出離之縁』の相が照らし出されるのでありまして、その照らし出された衆生の眞相は、其の儘、如来の光明の中に摂取されるのであります。
光明に摂取される時、『深信自身』と言って、本当の我が身に目覚めるのであります。真実のわが身に目覚めるとき、我々は、我が身を背負って立ち上がることが出来ます。摂取不捨が、独立する力と成る所以であります。それは智慧の働きであります。
金子大栄先生は、『大悲の智慧』と言われています。此の言葉は金子先生の造語でありますが、曽我先生が、永く『金子先生がああ言うのだが、その意味は解らない』と云っていられたそうです。所が、鈴木大拙先生が『キリスト教は、愛の宗教である、仏教は、智慧の宗教である。』と言われるのを聞いて、『智慧とは何ですか。』と問われたと言うのです。『智慧と言っても、本当は、純粋感情でしょう。純粋感情でなければ、智慧と知識とは同じ質のものに過ぎないでしょう。』と言い、『金子大栄氏が、大悲の智慧と言われたのは、妥当な言葉ですね』と言って、初めてあの言葉を認められたと云います。
智慧と言いましても、言っている本人は、知識と同じ質のものとして意識してるなら。又、愛と言うのも愛欲と同じ意識で言っているならば、曽我先生が言う『純粋感情』とは異なるものに成るのです
人間の主観と客観に分離した知識的な判断としてものを見る限り、智慧と言っても知識の延長線上で、如実知見ではありません。
『純粋感情』と言うのは、『無分別智』であります。無分別智の前に於いてのみ、事実は事実として明らかに成るのです。それを『如実知見』と言います。
私は、『純粋感情』と言われる意味が、中々判らなかったのですが、我々の感情は、全て有漏の意識によって起こる有漏の経験です。純粋感情は、無漏の経験でしょう。智慧と言うのも、有漏の経験である限り、純粋とは言われません。
我々の有漏の経験が、如来の智慧光によって照らされて、照らし切られて『有漏の経験でありました。』と頷き、如来の前に頭を下げ切ったとき純粋感情と言われるのでしょう。
『大悲の智慧』という言葉によって、智慧の知識性を完全に払拭すると同時に、慈悲の情緒性と言うものも払拭して行くのです。其処に誕生するものが、『純粋感情』であって、人間の分別を超絶した『無分別智』の智慧と慈悲であります。
『無縁の大悲』と言う言葉も、無分別智であるが故に、人間の絶望である『無有出離之縁』の我の実相をその儘『摂取不捨』して、『疑いなし、慮りなし、彼の願力に乗じて、定んで、往生することを得。』と言う自覚を誕生せしめるのであります。
中村元先生に『慈悲』と云う著作が有り、『仏教で言う『慈悲』には、『滋』と言う意味はあるけれども、『悲痛』と言う意味はない。』と言われているそうです。
観無量寿経も、確かに『慈』を中心にした教えであります。仏の慈しみが、佛自身の位を捨てる形で、苦悩の衆生に寄り添いながら、衆生を救うと云う形をとっています。ですから『摂取不捨』と言われるのです。この『慈』を中心にした浄土教が、それを徹底していった所に、『悲』と言う問題にまで展開したのです。
其処に『浄土宗独立』と言う問題があります。それまでの天台宗に於いても、念仏は称えられて居ました。それは聖道門の修行では仏に成れそうに無い者が、仏の慈悲に縋って浄土に往生して仏の悟りを開くと言うものでありました。正しく『仏の慈悲に縋って』悟りを開くものであります。
法然は、その聖道門からの独立を宣言したのです。『選択本願念仏集』が、その宣言であります。法然は、『摂取』と『選択』とは同じ意味だと言いますが、『摂取』という言葉に代表されてきた仏教が、 『選択』という言葉で確認された時、慈しみが其の儘、人間的、情緒的残滓を全く残さない『仏の慈しみ』に変革したのです。
慈悲と言う言葉には、どうしても恩寵と言う臭いが色濃く残っています。其の慈悲から恩寵と言う臭いを払拭して、如来の智慧光によって、如実知見のもとに事実を事実の如く見ていく所に、仏教は立つのです。其処に、念仏者の独立者としての生き方があります。金子先生の『大悲の智慧』と言う言葉も、そのような念仏者の生き様を顕そうとされたものでありましょう。
遠く、平安時代から受け継がれてきた『慈しみの佛教』としての浄土教が、正しくその真性を発揮して、ここに『浄土教の独立』が宣言されたのです。我々は、仏の慈しみに依らねば救われません。しかし、負んぶに抱っこと言うよな甘い救いは、本当の救いではありません。それは人間を眠らせる悪魔の仕業であります。
今日、宗教と言えば、殆どが、この程度の『人間を眠らせるだけ』の『負んぶに抱っこ』の宗教に成っています。正しい宗教の覚醒が叫けばれている所以であります。
『仏の大慈悲』に依らねば救いは成り立ちませんが、その大慈悲に甘える『恩寵の宗教』では無く、厳しい『仏の智慧』に依る『独立者』と成る為の『念仏往生の道』に目ざめねばならないのでしょう。

水琴窟 24

   水琴窟 24 
 問、慈悲と智慧の問題
答 北森嘉蔵と言う学者に『神の痛みの神学』という著書があります。敗戦後の占領軍が日本を統治して居た頃に、この本は書かれたもので、当時の厳しい検閲の中ではとても出版は許されないと思い、ガリ版で一部に人に読んでもらえればよいと思って書いたと云うのです。所が出版社が印刷して仕舞って世に出る事になったのだそうです。
 この本が、大変有名になり、北森氏の代表作となりました。後に此の本を読んで、対談の時、曽我量深先生が、『仏教の慈悲と言う事も、貴方が言われるような悲と言う事に徹しなければ本当のものに成らないでしょう』と言われたと云うのです。さらに『自分はもう三〇年も前からこれを想い続けている』と言われたのです。それを聞いて、北森氏は大きなショックを受けられた言います。
 元々、北森氏は、昭和六年に出版された金子大栄師の『日本仏教史観』の中の維摩経義疏の言葉『衆生の実病は痴愛に因りて生じ、菩薩の応病は大悲を以て起こる』と言う文章に出会って、自分の神学を明らかにする当たって、仏教者の言葉の中にそう言う問題が提起されていたと云う驚きをもっていたと云うのです。
 これは、日本人である北森氏の深層意識の中に、無意識の儘に、仏教の思想が生きていて、こういう発想が生まれたのではないかと思われるのですが、仏教の慈悲と言う言葉の中に、唯『慈しむ』と云うだけでは終わらないものがあるようです。
 北森氏の『神の痛みの神学』には、『愛の宗教』と言われているキリスト教の伝承の中に、もう一つしっくりいかぬものを感じていたと言う問題提起が有るのです。
 旧約聖書を拠り所とするユダヤ教と、新約聖書を作りだしたキリスト教との相違点は、ユダヤ教の『神の怒り、峻別』と言った厳しさを、キリスト教は、『愛の宗教』の中に解消していく傾向が見られる訳です。その結果、ユダヤ教の偏狭性を破って、キリスト教の寛容性、弘さと優しさを持つものにしていったのです。所が其処に又問題が出てきます。 夫々の時代の中で、世俗的なものの中に埋没するのです、これはキリスト教だけの問題ではありません。仏教も同じですが、人間主義に転落したり、全てを許すと云う恩寵主義に埋没したり、中々厄介なものです。北森氏もその様なキリスト教団の問題と取り組んで来られたのであります。
 維摩経では、釈尊の多くの弟子たちが、維摩を見舞に行って、皆、維摩の為に打ち負かされてしまうのですが、最後に文殊菩薩が登場して、目出度く収まる訳です。文殊は智慧の持ち主です。此の問題の解決には、智慧が必須の条件なのでありましょう。
 智慧の無い慈悲は、痴愛に溺れます。慈悲を欠いた智慧は、裁きに終始します。慈悲と智慧が両立しこそ、真の救いが成り立つのです。
 話は簡単ですが実際にどう取り組むのかと云う事に成ると、簡単ではありません。此の知恵と慈悲の問題と取り組んできたところに、仏教の歴史的展開が有るのでしょう。  
 法然上人の浄土宗の宣言は、天台宗の傘下にあった念仏を、浄土宗として独立させたのだと言われています。何故浄土宗の独立が、八宗同心の訴訟にまで発展したのでしょうか。
 其処には、従来の佛教を根底から揺るがす問題を孕んで居たのです。従来の佛教は、真言・天台を中心に、自力の修行によって智慧を極めて成仏すると云うのが建前でありました。所が、此の聖道門の修行に耐えられない衆生は、念仏して弥陀の浄土に往生して、修行をやり直して成仏の果を得ようとしたのです。
 其処には、聖道門の修行に耐えられない者と言う弱さを認めるしかない衆生の悲しみがありました。しかも、阿弥陀仏の慈悲に縋って仏道を成就したいと云う悲痛な願がありました。此の弱者としての悲痛な願に免じて往生浄土が許されていたのです。
 其処には、聖道門こそ成仏道の唯一の道であるとの矜恃が保たれていました。所が、『浄土宗の興行によって聖道門敗退す』と云う事になったのです。是は、聖道門の体質が暴露されたわけです。  
 聖道門は元来、成仏道の原理を示すものです。何故釈尊は聖道門の悟りを説いたのかと言いますと、聖道門は仏道の基礎原理です。此の基礎原理の上に成仏の道が建立されているのです。其の為に、釈尊は先ず基礎をしっかり固めてその上に成仏の道を説いたのです。
 聖道門の教えだけでは成仏は不可能であることは先刻明らかであったのでしょう。それ故に、浄土の教えが、聖道門に並んで説かれていたのです。
 浄土門は、インドの民間信仰が紛れ込んだもので、本来の佛教では無いと言う人が居ますが、それは間違いでありまして、仏教の経典も、お釈迦様が生まれるよりずっと以前から伝えられていた神話に由来するものでありましょう。
 お釈迦様は、人間の苦悩の源は何か、救いとは如何なるものか、どうすれば救いが得られるのかと問い続けて、それを明らかにして行かれたのですが、その問いに答えるものが神話と言う形で、既に蓄積されて居たものと思われます。      
 人類の歴史は、今日私達が認識しているより、もっと永い歴史と経験を蓄積しているものようでして、その蓄積の叡智の中から、神話と言うものが語り継がれてきたものでありましょう。従って、民間信仰と言って馬鹿にしてはならないものがある筈です。 
 北森氏の『神の痛みに神学』と言う発想の真意は、『愛の宗教』と言われているキリスト教の教義の中に、『愛の宗教』と言うだけでは抑えきれない問題があるのではないかと云う事でした。其れを受けて、曽我量深師が、『仏教の慈悲と云う事も、貴方が言われるような悲と云う事に徹しなければ、本当のものに成らないでしょう』と言われたと云うのです。
 更に、曽我氏は、善導の『機の深信』と観無量寿経の『無縁の大慈悲』とは、深く関わるものである、と言われているのです。つまり、『出離の縁あろことなし』と言う『機の深信』が、『無縁の大慈悲』と言われる、大悲の無縁性を証して来るものだと云うのです。この二つの事柄は、遂に一つの事柄であると云うのです。
 此の事は曽我先生の独自の説として、やがて葬り去られる危険性があるもので、北森氏は、それではいけない、是非この問題を展開して欲しいと云っていられたそうです。
             (広瀬杲著、観経四帖疏講義、定善義、Ⅲ p1112)
 慈悲と言う事を重大なテーマとしている経典は観無量寿経でありますが、親鸞は、真実の教は大無量壽経であり、観経は方便の教であると言われました。方便とはどうでもよいものと云う事ではありません。方便が無ければ真実は伝えられません。
 しかし、方便は何処までも方便であって、真実こそ重要であることは間違いない事であります。其処に、慈悲と言う問題が、慈悲と言うだけでは終わらない問題を抱えていると云う事です。
 慈悲は智慧によって支えられてこそ、『摂取不捨』と言う慈悲の働きを完全に果たし得るのです。