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聖徳太子について⑵

 

 法然上人が天台宗の寓宗の立場を否定して、浄土宗独立を図ったのは、決して天台宗と覇を争う為ではありません。善導によって確立した『二尊教』としての浄土宗を護るためであります。
 天台の傘下では、一神教的な雰囲気から脱出出来ないからであります。その法然の真意が理解できなかった『良忠上人』(浄土宗、鎮西派、第三祖、天台の優れた学者であった)達には, 法然が覇を争う爲に、天台に異を唱えているのだと映ったのでしょうか。
 親鸞には、覇を争う爲でないことが理解されて居たのです。『一神教』と『二尊教』には重大な相異が有ることは、当時の仏教界では誰も理解していなかったのです。   
 此れが、法然による浄土宗独立の真相です。『たとい、身は八つ割きにされるとも、この事、言わずば在るべからず』とまで、流罪を前にして言い切った、法然の命がけの浄土宗独立の宣言でありました。 しかし、法然門下の大半の人々は、法然の真意が解らず、折角の、命がけの浄土宗独立の宣言を、また元の法華経中心の浄土教に戻したのです。
 そうした雰囲気の中で、唯一人、浄土宗独立の精神を護つったのは、親鸞聖人でありました。その背景に、聖徳太子に代表される、縄文文化の精神が動いて居たのでは無いかと思
うのであります。
 中国大陸伝来の仏教には、一神教の影響が強く影を落としています。それは、大陸では民族の争いが激しく、一神教で無くては生き残れない事情が有ったものと思われま。その為に。仏教も一神教の形が重要視され、もてはやされたものと思われます。勿論、非一神教の『二尊教』の提唱は、中国の善導に始まります。曇鸞・道綽・善導と、大無量寿経の伝統が生きていたのです。所が、善導の滅後百年位で、中国ではこの伝承が、影を没して仕舞いまうのです。一神教の圧力がこれ程強いのです。
 此の善導の二尊教の伝統を、見事に復活させたのは、日本の法然です。『偏依善導一師』と言います。
 日本には、中国伝来とは別のルートから、旧モンゴリアンの宗教が伝えられていて、縄文文化を形成していたのではないかと考えられるのです。幸いにも、日本は島国でありまして、外敵の侵略もなく、比較的に平和な状態が一万年も続いて居ましたから、二尊教の形式の宗教が、静かに発展したものと思われます。
 日本に、中国大陸に無い独特の浄土教が根を深く張った経緯は、ほぼ右のような次第です。勿論、法然・親鸞と言う優れた人格の存在は無視できませんが、よくも日本と言う国に生まれものと思うことで有ります。 

   和国の教主聖徳王 広大恩徳謝しがたし
    一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ                       (皇太子聖徳奉讃、11の39)

 親鸞によって、聖徳太子の名のもとに受け継がれてきた浄土真宗という宗教は、縄文時代以来の日本独自の精神文化の伝承でありましょう。我々には、この伝承を大切に受け継ぎ、世界に発信してゆかねば為らない大きな使命があります。
 所が、縄文文化の象徴である縄文土器は、南は沖縄から、北は北海道・千島まで、広く伝播されて居ますが、朝鮮半島には伝えられて居ないのです。縄文人が愛用した、翡翠も朝鮮半島には伝えられて居ないそうです。此れは不思議な現象です。
 対馬までは伝わっているのに、対馬海峡を越えないのです。当時の航海技術では容易に渡れるはずの海を越えていないのです。此れは、恐らく言葉が通じなかったのであろうと言われています。言葉が通じないと言うことは、意識が違うと言うことです。朝鮮半島と日本列島では、全く生活意識が違って居たというのです。此れは驚きです。
 日本と朝鮮半島の間には越え難い壁が横たわっていたのです。その壁を越えて日本列島に進出した弥生人は、従って、徹底して縄文人を忌み嫌いました。
 其れまでの歴史を徹底して抹殺し、全く異なる自分達の歴史を押しつけたのです。それが、古事記と日本書記の編纂です。其れまでの縄文人は、文字を持ちませんでした。その代わり、縄文土器を造って、世界観を表現したのです。今日では、其れを解読することは難しいのですが、縄文人が、優れた文化を持っていたことは否めません。
 しかし、鉄の武器を持たない上に、稲作という優れた耕作技術を持っている弥生人には、縄文人は、とても、あがない切れなかったのです。その為に、蔑まれ、差別に甘んずる結果になりました。後に、穢多・非人と言う差別の風習を生み出す元となったのも、この弥生人の、縄文人に対する差別であると言われています。  
 縄文人は差別を受け乍らも、能く耐えて生き続けて来たのです。この縄文人の精神は、日本民族の底力となって、今日まで日本人の心を支えて居ると思われます。
 その縄文の精神文化を、私は『縄文魂』と呼びたいのですが、この『縄文魂』を掘り起こし、確認し、日本民族の自主的精神として把握し、いじけず、威張らず、毅然として生きて行きたいものと思うのであります。     
 聖徳太子の名は、我々日本人の誇るべき精神の名であります。『厚く三宝を敬え』との十七条憲法の言葉は、日本民族の世界に誇るべき精神であります。聖徳太子の名によって示される日本民族の精神は、度々の困難にも打ち勝って今日まで伝承されて来ました。此れはアメリカにも言うべきことであります。堂々と言うべきことを言う必要がありまあす。
 第二次世界大戦に敗れた日本は、必要以上にいじけてしまいましたが、其れを乗り越えて、焼け野が原から立ち上がりました。縄文文化の名残が今も生き続けて居るのだと思います。
 日本人の、平和の精神は、もとずく所は、二尊教の精神であります。二尊教の正しい意義と、浄土真宗の精神を、世界の人々に理解してもらうことが大切なことだと思います。其れには、先ず、日本人自身にも理解してもらわねばならぬ問題でありますから、聖徳太子の心を日本人に取り戻してもらうことです。
 その為には、やや時間がかかる事でありましょうが、日本人自身が、先ず、この作業に取りかからねばなりません。仲々厄介な仕事でありますが、それだけに、遣り甲斐のある仕事であると思われます。
 日本外交について、朝鮮半島でも、中国大陸でも、厄介な問題が山積しているこの頃です。聖徳太子の精神に立ち返って、日本人のアイデンティティーを確立して、堂々と歩むべきであります。
 以上、聖徳太子こそ、日本の誇るべき人物で在ることを述べました。『和をもって貴しとなす』と言う聖徳太子の精神を、大切に受け継いで、日本の将来を見つめて生きて行きたいものです。

聖徳太子について⑴ 岡本義夫

 聖徳太子の名が、日本人の心に深く馴染じまれて居ますが、その人物の実在は、今日不明とされていまして、恐らく、架空の人物であろうとされています。しかし、十七条憲法を書いた人物が居ることは、疑いの無い事実ですので、その人物を聖徳太子と言っても良いでしょう。

 永く、教科書に載せられていた肖像も、中国伝来のものであると言われていますので、百円札や千円札の肖像も、太子の実像では無いことになります。しかし、日本人にあれ程親しまれてきた聖徳太子と言う人物とは、一体どの様な人物であるのかと言うことを考えてみる事は、今日の日本人に重要なことでは無いかと思われます。親鸞聖人は、『和国の教主、聖徳王』とまで言って、日本仏教の釈尊であると讃えられています。其れはどういうことかを尋ねてみる必要があるのです。

 そもそも、日本に仏教が伝えられたのは、西暦五五二年であると言われています。しかし、其れまでは日本には宗教は無かったのでしょうか。そんな事はあり得ません。日本列島には 一万年に渉る縄文文化が開花して居たのです。その文化は、後に列島に進出して来た、弥生人に依って抹消されました。中国大陸から朝鮮半島を経由して日本に辿り着いた弥生人は、縄文人と同じ『モンゴロイド』でありますが、インドでヒマラヤ山脈をはさんで、南北に分かれて、東へ進みました。南の道を通ったモンゴリアンは『旧モンゴロドイド』といい、北の道を選んだのは『新モンゴロイド』と呼ばれます。それは,日本に到着する時間に一万年もの違いがあったからです。

 南方の海路を選んだ人々は、一万年も早く日本列島に到着したのです。従って、南方経由の旧モンゴロイドが『縄文人』と言われ、北方経由の遅れて到着した人々を『弥生人』と言うのです。共に、モンゴロイドで有りますから同一の神話を携えて居たものと思われます。所が、経由した場所と、時間の違いにより、その神話に相異が生まれたのです。北方経由のモンゴロイドは、激しい民族間の軋轢の中を生き抜いて来ましたが、南方経由の人々は、温和な気候にも恵まれて、約一万年の間、外からの侵略にも犯されず、食料にも恵まれて、豊かな生活を享受して来ました。その結果、豊かで平和な『縄文文化』が育てられていたものと思われます。

 仏教は、釈尊によってインドで生まれたと言われていますが、お釈迦様以前から伝えられていたものが有る筈です。其れは、現生人類の遠い先祖が、独特の進化を遂げて以来、積み重ねて来た、宗教と言う思索で有ります。それは『神話』と言う形をとって長い年月をかけて積み重ねられました。人類は、言葉を駆使することが出来ましたので、神話という形で知識を蓄積出来たのです。

 仏教の経典も、元は神話の形で伝承されたのです。仏教経典の『観無量寿経』の説話と、ギリシャ神話の『オイデプス王物語』とは、非常に似た内容を持っています。恐らく、同一の神話から発展したものでありましょう。大無量寿経の『法蔵菩薩の物語』は、まさしく神話の形式で語られていますが、それは、神話で無ければ語れないものが有るからです。神話は、知性では表現出来ないものを語ることが出来ます。人間の理知を超えた問題も、神話では語れるのです。仏の悟りは、人間の理知を超えた世界ですから、神話の筆法は有効なのです。

 大無量寿経に語られている法蔵菩薩の物語は、非常に優れた内容を持っています。この大無量寿経の教えが、『二尊教』と言われるもので、中国では、唐の時代に善導によって完成されました。其れまでに、曇鸞や道綽など優れた祖師方に依って熟成されていたものです。所が、善導の没後、百年余りで、この『二尊教』は、中国では姿を消して行くのです。何故かを明らかにする必要があります。宗教は、元、多神教から発達したと言われています。『多神教』はこの世の一切のものに神が宿っていると言う世界観です。其れに対して,神は唯一人であり、この世の一切の存在は、神の被造物であると考えるのが『一神教』で有ります。野蛮未開の時代には、多神教が弘まりましたが、次第に純化して、遂に一神教になったと言われてきました。果たしてそうなんでしょうか。一考を要する問題です。

 多神教の世界観には優れたものがあります。人間も自然界の一部分で、自然の法則に従って生きる可きだと言うのです。所が、知恵を持った人類は、自然界は人間に奉仕すべき物質と考えて、思うように改良してきました。此れは人間の傲慢でありました。その結果、今日の様な公害を生み出したのです。一神教は、神の絶対権威を主張しますので、この道理を用いて、支配者の絶対権力を正当化する王権国家が誕生するのです。一度、王権国家が誕生すれば、その国家は、益々権力を増大さして、軍隊の力により、周りの弱小国家を併呑して、強大になろうとします。此れが、覇権国家の実情です。その為に、戦争が止むことは無いのです。人類はこの儘、殺し合いを続けて滅亡していくのでしょうか。

 此処に、『二尊教』というものが存在することに注意すべきであります。二尊教は、一神教が必然的に持っている欠陥に気づいて、阿弥陀仏と言う神を見出したのです。阿弥陀仏は、一神教の神と同じ優れた神格を持ち乍ら、決して他の存在を支配しようと為ないのです。アメリカに進出したキリスト教の宣教師達が、現住民の神話を研究して、その神の優れた神格に驚いて、『君たちの神は、我々の言う『ゴッド』だと言いましたが、原住民は、どうしても納得しなかったと言います。其処でやむなく、此れを『グレート・スピリット』と名付けたと言います。

 確かに、西洋の『神』と、原住民の『神』は、似ていた居たのでありましょう。しかし其処には大きな違いが有ったのです。アメリカ原住民は、アリュシャン列島を通って来た、モンゴロイドの末裔です、恐らく、日本人と同じ神話を持ってアメリカに渡ったものと思われます。

 従って、原住民の神は、二尊教の神であります。キリスト教の神は、一神教の神であります。原住民がよくその違いを見抜いて頑張ったものと思われます。信仰の力の偉大さに唯々、尊敬を捧げるばかりで有ります。話を元に戻して、中国伝来の仏教は、法華経を中心とする一神教の傾向を強く持ったものであります。空海の伝えた真言宗も、同じく一神教の傾向を持ったもので、顕密体制と申します。其れに対して、善導の提唱した浄土教は、二尊教であります。其処で、この両者の関係を考えてみる事に致します。