「胎生と化生の問題」カテゴリーアーカイブ

胎生と化生の問題

胎生と化生の問題  岡本 義夫

 
 胎生と化生の問題 (1)
 康僧鎧の翻訳と伝えられる『仏説無量寿経』(以下『魏訳』と呼ぶ)は、経の終わりに至って『胎生と化生』の問題を提出します。
 このことは、翻訳年代から見て、『魏訳』が他の異訳の大経に先んじていると考えられます。古い翻訳と言われる『二十四願経』では所謂「三輩章」の中で、第二輩と第三輩の者に胎生の者が有ると説いているのですが、『四十八願経』である、『魏訳』と『如来会』には経の終わりに至って、この問題が特に取り上げられて説かれています。(宋訳も同様ですが、これは今は略します。)
 『魏訳』を読んでみると、胎生の教説の前に阿難が世尊に促されて、起坐敬礼します。
 「仏阿難に告げたまわく『汝起ちて、更に衣服えお整え、合掌恭敬し無量寿仏を礼すべし・・・」(島地聖典 1/70 )【以下同じ】
 これは『開顕智慧段』と名付けられる一段ですが、いきなり唐突に出て来るので理解に苦しむのですが、先の『二十四願経』には、この部分で、世尊が阿難に称名念仏を勧めて居られるのです。
 「仏言わく、なんじ起ちて更に袈裟を被て、西に向かいて拝し、日の所没する処に当たりて、阿弥陀仏の為に礼をなし頭を地に着け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え・・・」
     ( 真宗聖教全書 三経七祖部 179頁)
 阿難がこの世尊の言葉を受けて、念仏を称えると、大衆も一斉に念仏を称えます。すると阿弥陀仏の浄土が現れるのです。この経では明らかに世尊が称名念仏を勧めて居られるのです。ところが、四十八願経になるとこれが無くなって、『無量寿仏を礼すべし』となっています。
 称名念仏に対する警戒が感じられます。歴史的に称名念仏に対して、警戒すべき問題があったのかも知れません。
四十八願経と二十四願経との相違点は幾つも数えれますが、その一つに称名念仏が露わに説かれなくなったという事があります。
 更に、本願文の変化が有ります。即ち、二十四願経では、魏訳の十七願と十八願が一つの願として誓われて居るのに対して、四十八願経では十七願から二十願まで詳しく分離されています。特に十九願と二十願が十八願に続いて説かれていることです。     
 この魏訳が翻訳される時に当って、既に、胎生の問題は意識されていたものと考えられますが、これに、はっきりとした自覚を与える為には、遠く海山を隔てた日本の地まで、二千年の時間を懸けて仏法が伝承される必要がありました。
 法然上人までは、この問題はあまりはっきりとは自覚されていません。親鸞聖人に至って初めて、重大な問題として発見されたからです。
 『魏訳』の阿難が無量寿仏を礼念する場面を、二十四願経に照らして読んでみると、この時、大衆が一斉に念仏して居る様子が想像されます。光明の洪水の譬えがひかれていて、浄土とこの世とが一緒になって念仏の渦が湧き起こっています。
 我々は、昔、講習会で、念仏の合唱を体験したものでした。あの頃は高声念仏が流行している時代でありました。念仏の渦巻きの中で念仏して居ると、念仏の雰囲気に酔って、これが浄土の姿かと思うこともありました。それを思い出すとき、『魏訳』のあの場面が『さもありなん』と想像されるのです。
 親鸞聖人も、法然門下の念仏合唱の光景を見ておられたものと思います。その念仏合唱の姿の中に、胎生の者と化生の者が居ることを見て居られたのでありましょう。 
 世尊は、念仏合唱の中に、胎生の者と化生の者が居るのを見たかと阿難に注意をされました。阿難は、世尊に注意されてそれに気付いたのでしょう。
 親鸞も、この世尊の教説によってこれを知ったのです。しかし、『魏訳』の翻訳者は、既に、この事に気付いていたに違いありません。何と云う慧眼でしょう。このような智慧による、内観自覚の歴史が、大無量寿経の歴史であります。
 親鸞聖人は、化身土の巻の初めに、
 『然るに濁世の群萌・穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり、偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し・・・』と、悲痛な述懐を述べて居られます。
 『自分は間違っていないが、あの人達は違っている』と云うのであれば、誰でも云えます。ところが、これは『仏の仰せ』『仏言』であります。人間の判断ではありません。
 如来の教誡は、人間の心から出るものではありません。従って、ただ頭を下げて承るばかりであります。一斉に念仏している大衆の中に、胎生の者と化生の者が居るなどと云う事は、如来でなければ見出せないことであります。阿難も如来に云われて初めてわかったのでしょう。
 親鸞聖人も、この教えによって、『胎生と化生の問題』の重要な意味に目覚め、化身土の巻を開かれたものと思われます。

   胎生と化生の問題 (2)
 二十四願経の第二輩(中輩)と第三輩(下輩)に説かれている胎生の者は、阿弥陀仏の国に生まれようとする者の一部でありました。上輩の者には、胎生の者が居るとは説かれてはいません。
 四十八願経の場合は、世尊が阿難に注意して居られます。阿難は世尊の注意を受けて初めて胎生の者と化生の者が居ることを知ったのです。
 一斉に念仏している姿を見て、この中に胎生の者と化生の者が居ることを見出だすことは、仏の智慧で無いと出来ません。人間の智慧では出来ないのです。
四十八願経が胎生を特別に経の終わりに説いたのは、如来の智慧の目から見出された、哀愍すべき衆生の実相を知らせんがためでありました。
 二十四願経も勿論仏説ですから、中下の衆生をさげすんで仰せになるわけではありませんが、二十四願経を人間の発想で読むと、自分は上輩の者であると自負して、中下輩の者を胎生者とさげすんで批判している見方になります。
 あくまでも、如来の教説であることを忘れてはなりません。この教説の前に自己の実相を知らされ、胎生の者とは誰のことかを知らされて、如来本願の広大恩徳を仰ぐべきであります。
浄土真宗に帰すれども 真実の心はあり難し
虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし
   無慚無愧のこの身にて まことの心はなけれども
    弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたもう
 これは愚禿が悲しみ嘆きにして、述懐としたり
と和讃にあるように、親鸞聖人は、無慚無愧 のこの身と言い、まことの心の無いものであると自己を自覚して居られます。胎生者とは、親鸞その人の内観によって見出された、自己自身の自覚でありました。
 胎生の者を外に眺めている限り、折角の世尊の教誡も虚しく終わります。如来の教誡を自身の上に受け止めて、念仏申すべきです。
 大無量寿経の胎生化生の文が、十九願と二十願の願成就の文であると云われても、どうしてそうなのか、もう一つはっきり受け取れない気がしていましたが、この胎生の問題こそ。化身土の巻が開顕された理由であった事を知らされてやっと納得されました。    因縁に恵まれて仏法を聴く事が出来たのですが、真なるものが少なく、虚なるものが多いという事実、一斉に皆と共に念仏しているのに、胎生の者が多く混ざって居ると云う事実を知ったならどんなに悲しい事でしょう。それが、親鸞聖人に化身土の巻を開らかせた理由なのです。
化身土の巻は、大部なものであります。ある意味では、教行信証六巻開顕の意義は、正しく、化身土に有ったと言うことも、決して過言では無いかもしれません。
 憶うに、化身土巻には、教誨が二つありました。
 一つは、『正真の教意に拠りて、古徳の伝説を披き、聖道浄土の真仮を顕開して、邪偽異執の外教を教誨し、如来涅槃の時代を勘決して、正像末法の旨際を開示す。』とあります。
 二つには、『夫れ、諸の修多羅に拠りて真偽を勘決し、外教邪偽の異執を教誨せば』とありました。
この二つの教誨を見ると、化身土巻の問題がはっきり見えてくるようです。 即ち、一つには真仮の問題でありますし、今一つは真偽の問題であります。
 胎生の者は、真偽の問題は超えて居る様に思われるので、今さら迷信に走ることは無いようですが、案外せっぱ詰まると、真偽の区別が分からなくなるのです。
 さらに、真仮の問題は、最も難しいもので、簡単に真仮を取り違える危険があります。
 これらの問題は、仏法を聞かない人の問題ではなくて、既に、永く聞法している人の上に見られる現象であります。
 真仮と真偽の混乱が、聞法者の緊急課題でありました。胎生者は、七宝の宮殿に居ると云われます。これは本人は、得意の絶頂に居ることを意味します。しかもその宮殿の床は、その人の向かう方にぐるぐる回ると云います。従ってその人は常に七宝の宮殿を見ているわけですが、悲しいかな、その人の視野に映っている限りの七宝なのです。
 何とも皮肉な譬えであります。その人間が見ている限りの七宝の宮殿でありますから、見えない部分がどんなに悲惨なものであっても、本人には一向に気が付かないのです。これが『懈慢界』と名付けられた 『菩薩処胎経』に説かれている宮殿の描写です。名が示すように、懈怠心と憍慢心の世界ですが、自分では気付かず、却って得意になっているのです。
 特に、真仮の区別がつかない者は、『真仮を知らざるに由りて、如来広大の恩徳を迷失す』(12/159)と言われます。
 真仮とは、聖道門と浄土門のことでありますが、同じ仏法の内である聖道と浄土の区別がつかないこと位で、そんなに大きな問題ではあるまいと思われます。ところが、親鸞聖人にとっては、重大な問題でありました。
吉水の教団は、この事だけで、四名の死罪と、七人の流刑者を出したばかりではなく、吉水の教団が崩壊したのであります。
 『真仮を知らざるに由りて、如来広大の恩徳を迷失す』と云う事は、重大な過失でありました。
 
胎生と化生の問題(3)
 『真仮を知らざるに由りて・・・』という重大な過失とは、『正像末法の旨際をわきまえない』ことであります。
 今は末法の時であります。末法の時に聖道門は修し難く、悟り難い教えであります。
 修し難い、悟り難いと云う事は、単に困難であると云うのではなく、不可能であると云うことです。
 末法の時代には、聖道門の修行では、悟りを得ることは不可能であると云うことです。これはすでに道釈禅師によって指摘されていましたが、誰もそれに耳を貸す者が居なかったのです。
 法然上人が、善導大師の指南によって、初めて日本に於いて取り上げられました。これは大変な事でありました。殆んどの人は、それを知らずして、いたずらに専修念仏を誹ることに専念したのは、重大な過失を侵すものでありました。
 聖道門の人たちも念仏を非難したのではありません。念仏は自分たちも称えているのです。彼らが非難したのは、『専修念仏』なのです。『専ら、念仏のみを称える』と云うことです。他の聖道門の修行を排して、『唯、念仏だけを称えればよい』と云うのは、偏頗な考えであると云うのです。誠にもっともな意見です。
 ところが、法然上人にすれば、その考え方が重大な過失であると云うのです。法然門下の人々の中に、この法然の主張を正しく理解していたものが幾人あったのでしょうか。
 親鸞聖人が化身土の巻を書かねばならなかったのはこの為でありましょう。色々の修行がある中で、聖道門の修行はどれも皆困難な修行であることは誰でもよく知っていることです。しかしその中で念仏の修行は容易なものです、だから念仏を称えて往生成仏出来ればそれが一番たやすい道であると考えて、念仏を選んだと云うのです。それを『諸行往生』言います。
 法然上人は、『諸行往生』も認めていられます。但し、それは本願の行では無いと云うのです。聖道門に遠慮して、遠回しに表現してあるようです。その為に、上人没後、鎮西派の第三祖良忠上人は、諸行往生を鎮西派の念仏の正義といたします。これは聖道門に後退したのです。即ち、『真化を知らざる者』に転落したのです。
 親鸞聖人は、法然上人の真意は、専修念仏であることを察知して、専修念仏の意味を問い続ける道を選ばれました。
 諸行往生は本願の行では無いのです。即ち、人間が選ぶ行なのです。ですから、人間の要請にこたえた行なのです。従って、阿弥陀仏の本願は無視されています。仏智を疑うものです。本願の真意は見失われています。それを『広大の恩徳を迷失す』と云うのです。
  仏智疑う罪ふかし この心おもいしるならば
   くゆる心をむねとして 仏智の不思議をたのむべし 
  仏智の不思議をうたがいて 自力の称念このむゆえ
   邊地懈慢にとどまりて 仏恩報ずるこころなし (疑惑和讃)
 『仏智を違う罪』を自覚して、仏智の不思議をたのむ者こそ、本願に相応して浄土往生を遂げる事が出来るのであります。
 ここに、胎生の者と化生の者との区別が生まれるのであります。親鸞聖人はしつこい程疑惑和讃に、何回も何回も繰り返して、仏智疑惑の罪を誡められています。それほど親鸞聖人にとって、胎生と化生の問題は重大でありました。
 魏訳の大無量寿経が、称名念仏を露わに説かなかった理由も、この辺の事情に由るのかもしれません。称名念仏には、確かに胎生と化生の区別がつかない欠点がありました。しかし、だからと言って称名念仏を否定したら、本願の趣旨は失われます。誠に微妙な問題であります。親鸞聖人の苦悶の程が偲ばれます。なぜあれ程までに疑惑を悲嘆されるのかという思いがありましたが、仏道を歩むものが必ず陥る難関として、仏智疑惑の罪の重大さを見出されていたからであります。
 『仏説観無量寿経』と『仏説阿弥陀経』の二巻の経は、まさに胎生の問題を内に秘めながら、極楽の荘厳を説いていました。その秘密を、親鸞聖人は『顕彰隠密の義』として説き明かされました。
 『仏説観無量寿経』は第十九願の、『仏説阿弥陀経』は第二十願の、それぞれの往生には『胎生の往生』が隠れている事を秘かに語っていたのです。
 『仏説観無量寿経』には韋提希夫人の救いが説かれていますが。その背景に親鸞は、第十九願の『諸行往生』の心、即ち『如来の本願力を信ぜず、『自ら行じた諸善万行の功績を頼みにする心』が隠れている事を見出したのです。
また『仏説阿弥陀経』には、みずから称えた念仏の功徳を回向して、往生を遂げんとする『人間の深い野心』が隠れている事を見破ったのです。
 これは何れも本願を疑う罪でありました。第十九願には『己の善根を頼む心』があり、第二十願には『如来回向の功徳を盗む心』があります。それが本願を疑う罪であります。
 『仏説観無量寿経』も 『仏説阿弥陀経』も、阿弥陀如来の浄土の荘厳を説いているわけですが、唯それだけでなく、親鸞聖人は自己内観の智慧の眼によって、そこに、胎生の者の存在を示唆している仏の教説を見出したのです。

    胎生と化生の問題(4)
 化身土の巻に『夫れ、「雑行・雑修」其の言葉一つにして、其の心惟れ異り』と云う御文があります。(12の174)
 これは難解なところでありまして、先輩達も仲々理解に苦しんでいられる所であります。しかし、よく見るとその前で文章が切れています。それで『夫れ・・・』と云う言葉が出ているのでしょう。
 長い御自釈の途中ですが、『すでに真実の行の中に顕し畢んぬ』で文章が一度切れて、改めて『夫れ・・・』と始まっています。ここからは、『雑行・雑修』と云う問題が取り上げられています。
『雑の言に於いて万行を摂入す』と言い、『雑の言は、人天・菩薩等の解行雑るが故に雑と曰えり、本自リ往生の因種に非ず、回心回向の善なり』と言われています。  更に、『諸善兼行するが故に雑行と曰う、定散の心雑るが故に雑心と曰うなり』とあり、また、『雑修とは助正兼行するが故に雑修と曰う、雑心とは定散の心雑るが故に雑心と曰う』とあります。 
 何ともややこしいのですが、じっくり読んでみると『定散の心雑るが故に』と云う言葉を二回繰り返してあります。定散心が二つあるわけです。一つは『諸善兼行』する定散心であり。いま一つは『助正兼行』する定散心であります。  
 諸善兼行は十九願の心であり、助正兼行は二十願の心であります。いずれも同じ『定散心』と言ってありますが、十九願と二十願の相違があるのです。十九願も二十願も、この『定散心』の故に『胎生の者』となるのです。
 諸善兼行は、もろもろの善を励むのですから結構な事でありますが、その為に権実真仮の区別がつかなくなり、末法の世の愚悪の衆生の自覚が見失われて、いつの間にか僅かな善根をよい事にして自惚れ、身の程を忘れて懈慢界に堕ちるのです。
 助正兼行は、善導大師の教えである五種正行を大事に勤めるのですから、何も悪いことは無い筈ですが、助業と正定業の区別がつかず、正定業の意味が判らないのです。五種の正行を専らにする事は善導大師が勧められる浄土の正しい行でありますが、弥陀の本願に誓われた正定業は、『一心専念弥陀名号』の念仏でありました。それは『彼の本願に順ずるが故に』正定業なのであります。衆生が称える念仏ではありますが、『順彼仏願故』の念仏であります。衆生に功績があるのではなく仏願に功績があるのであります。所が、二十願の衆生は、本願の念仏を『己の善根』にしているのであります。ここに、仏智疑惑(如来無視)の罪があるのです。
 諸善兼行は第十九願の心であると云いました。『仏説観無量寿経』には、顕彰隠密の義があると親鸞聖人は頂かれています。それは、善導大師の『上来定散両門の益を説くと雖も、仏の本願に意を望まんには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称するにあり』とのお言葉を受けて、『無量寿仏観経を案ずれば、顕彰隠密の義あり。顕と云うは、即ち定散諸善を顕し、三輩・三心を披く、然るに二善・三福は報土の真因に非ず、諸機の三心は自利格別にして利他の一心に非ず。如来の異の方便・欣募浄土の善根なり。是はこの経の意なり、即ち是れ顕の義なり』と示されたのであります。
 諸善兼行の者は、実は念仏の『サンガ』の一員であります。法然門下の念仏者は、全て純粋な他力念仏の人達ばかりではありませんでした。それが、この世の『サンガ』の実態であります。しかしその『サンガ』に支えられて、その中から真の念仏者が誕生するのでしょう。  
 親鸞聖人が第十九願を大悲の願とされるのも。まず『この世のサンガ』に勧め入れて、やがて真の念仏者に育て上げる為の方便の願だからです。 
信心の人におとらじと 疑心自力の行者も
如来大悲の恩を知り 称名念仏はげむべし
 疑心自力の行者も決して卑下してはなりません。自分もサンガの一員として、如来大悲の恩を篤く蒙って、その中に包まれて居るのです。如来の大悲の恩徳に包まれて居ながら、『仏智を疑う罪』を抱えている事に目覚めて、深く自らを懺悔すべき者であったのであります。
 これは助正兼行の者も同様であります。助正兼行とは、第二十願の心であります。この願は、『仏説阿弥陀経』に『不可以少善根福徳因縁得生彼国』と説かれ、『執持名号  若一日・・・若七日 一心不乱』 と説かれます。また、『我見是利 故説此言』と言われました。   
 所が、同じように一心に専ら念仏しているのですが、助正兼行の念仏と、正定業の念仏と二つあるのです。一つは、胎生の者の念仏であり、いま一つは本願に相応した念仏であります。外から見れば全く同じ念仏であるのに、異なると云われるのは何故かと云いますと、信心が異なるのであります。
 信心が異なると云えば、簡単なようですが、これを自覚する事は大変な事であります。
親鸞聖人が『信心』に特に注目した理由はここにありました。
 法然上人は『往生の業には念仏を本と為す』と言われ、念仏を中心に教化をされましたが、親鸞聖人は『信心を要とすべし(歎異抄)』と仰せられ、信心に重きをおかれました。 是は別に法然上人の『念仏』に異をとなえて、『信心』と言った訳では無いと説明されてきましたが、従来なんとなくその理由はぼんやりしていました。同じ事を云われるのであれば、言葉を変える必要は無い筈です。現に、他のお弟子方は、そんな事をしていません。
 親鸞聖人が、なぜ念仏と云わずに信心と云ったのか、その理由ははっきりしています。念仏を勧めるのみでは胎生と化生との区別がつかないからであります。それは法然門下の吉水教団の中に胎生の者と化生の者とが混在している現状を目の当たりにしていたからであります。
 親鸞聖人はその吉水教団の現状を見て、これが現実の『この世のサンガ』の姿であると知られたのでありましょう。『この世のサンガ』の実態は、純粋な『浄土サンガ』ではありません。必ず胎生の者と化生の者が混在しているのです。其の現実のサンガの中に身を置いて、私はどういう存在なのかと云う事が問われねばなりません。
 『勿論、俺は化生者だ』と云い切れるのか。それとも、『サンガの中に包まれて居ながら、仏のお心が判らず、胎生の者に留まって居る存在でありました』と自らに覚めて謝り入るしかない存在なのか、それが大きな問題であります。
 曽我量深先生が、『歎異の精神』と云われた意味がこれでありました。『歎異の精神』と云うのは、『自分は正しいが、あの人達は間違っている』と他人を批判するのではなく、自己を省みて自分の中に『先師口伝の真信に異なることを嘆く』事でありました。
 他人を批判するのであれば、『破邪顕正』であります。『歎異』とは言いません。我が宗門には、『歎異抄』と『改邪抄』(がいじゃしょう)と云う二つの聖教が伝えられています。『改邪』と言えば、自己は正義に立っていて、他の異なるものを改めると云う意味になります。歎異抄は内観の立場であり、改邪抄は外から眺めた立場です。
 ドイツの友達の学生に歎異抄の翻訳の手伝いを頼んだら、ドイツ語には『歎異』と云う言葉が無いと言って、『歎異』と云う言葉を説明するのに困ったと云う話を聞きました。外国語には、『歎異』と云う言葉は無いのでしょう。
 これは、或いは浄土真宗にだけ通用する独特の言葉かもしれません。『破邪顕正』と云うことなら、洋の東西を問わず通用する言葉でありますが、『異なることを嘆く』などと云う言葉は、東洋にも西洋にも聞いたことが無い言葉です。浄土真宗にだけ『歎異抄』に出てくるのですから、ドイツの方が戸惑ったのは無理もありません。
 『ハザード』と云う言葉を新聞やニュースで見かけます。何でも邪を打ち破る為の戦争と云う意味だそうです。そういえば戦前の日本でも、しきりにそんな言葉が飛び交っていました。其の場合それを云っている本人は正義の騎士の心算でしょうが、自己の殺戮を正当化するための言い訳であります。
 『邪』は徹底して打ち滅ぼす事が、『正義』の為の神聖なる行為であると信じられてきました。しかし、歎異抄には、『聖人の仰せには、「善悪の二つ総じて持って存知せざるなり。その故は、如来の御こころによしと思召すほどに知りとおしたらばこそ、よきを知りたるにてもあらめ、如来のあしと思召すほどに知りとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそおおせはそうらいしか。まことに、われもひともそらごとをのみもうしあい候』と述べられています。
 善悪邪正を争う世界は『存知』の世界です。存知は人間の計らいの世界です。人間の存知の世界では、常に善悪邪正の争いが絶えないのです。ぞれを『そらごとたわごとまことあることなし』と見極めて、『ただ念仏のみぞまことにておわします』と決定した所に仏道がありました。これはすでに『世間虚仮、唯仏是真』と言われ、聖徳太子の座右の銘であったと伝えられているように、仏教の昔からの古い伝統であります。
 更に、仏教には『歎異の精神』と名付けられるものがあったのです。これは決して浄土真宗だけのものではありません。仏教全体の精神でありますが、何時の間にか聖道門では忘れられて、浄土真宗でのみ用いられる様になったのでしょうか。しかしこれは明らかに仏教全体に通用すべき精神でありました。
 歎異の精神とは、胎生の自己に覚めて、これを克服する為に限りなく浄土に向かって歩み続ける事を云うのです。若しその歩みを留まれば胎生であり、歩み続けるならば化生であります。
 従って、化生とは名詞では無くて動詞であります。胎生の者は、仮城の快楽に酔うて先に向かって旅を続ける事を欲しないと云われる意味がそれであります。仮城に留まれば胎生、自己の居り場所が胎生である事に目覚めて、立ちあがって歩み続ける事を化生と云います。
胎生と化生の問題 (5)
 化生とは動詞であります。動詞であると云うのは、仮城に留まって動かないのが胎生であり、本来の自己を求めて歩み続けるのを化生と云うのです。
 本来の自己と云うのは、私達が普通に自分だと思っている自分は実は本当に自分ではありません。末那識の働きによって自分だと勝手に思い込んでいる自分なのです。
 本当の自己は、私には判らないのです。しかし判らないでは済まされませんので、適当に是が自分であろうと決めてかかっているのです。それが本当の自分で無い証拠は、自分の思いや願い事をかなえるために尽くしても尽くしても満たされないのです。まだ足りない、まだ足りないと云うのです。それは自分が尽くしている主人公が、実は偽物であるのですがそれが判らない所に人生に悲劇があるのです。
 仏法は本当の自分を尋ねる為の教えです。いや、もともと人生とは本当の自分を訪ねる為にあったのです。しかしどちらを向いて尋ねて行けばよいのかも判らないのですから始末が悪いのです。
 善導大師は、二河白道の譬えでは、『人ありて西に向かいて行かんと欲するに百千の里あらん』と言われました。是が求道の初めであります。『西に向いて行く』と善導大師は云われます。しかしこれはあくまで譬えであります。
 『西に向かう』と云うのが最も適切な譬えでありますが、『西』とは何を譬えているのでしょう。それが判らないと何にもなりません。所が善導大師は、西については、西岸極楽世界とだけ言って、それ以上は何も解説していません。
 そこで、安田理深先生のお考えですが、あの二河白道の譬えを九〇度左に回転してみよと言われました。そうすると、西が下になり、東が上になります。
 東とは、私共の生活の場です。愛憎善悪、喜怒哀楽の世界です。私たちは、上にむかって這い登ろうともがいています。或る者は足を引っぱられて堕ちて行きます。また或る者は自ら足を滑らせて堕ちて行きます。そこで今度は他人の足をつかんで引きずり落とし、それを踏み台にして上に登ろうとします。是が生存競争と名付けられたこの世の生きる為の戦いであります。その生存競争の足元は、貪欲と瞋恚の海であります。貪欲と瞋恚の底にあって貪欲と瞋恚の源となっているのが愚痴であります。この愚痴こそは、我々の一切の悪業の根源であって、無明とも申します。これは、我らの深層意識の底に潜む自我意識【末那識】であります。この自我意識が源となって、この世の一切の愛憎善悪、悪業煩悩が展開しているのです。
 この貪欲と瞋恚と愚痴の海は、深くして底なく、広くして辺なし、果てしもなく続く大海であります。それを火の河と水の河とに譬えたのは、貪欲が起こって居る時は、瞋恚は起こらず、瞋恚が起こって居る時は、貪欲は起こらないからであります。
 西に向かうとは、その足元の、貪欲と瞋恚の海の底に向かって、深く深く自己を掘り下げて行く事でありました。これが、内観の仏道の歩みであります。
 ところが、この内観の歩みは、貪欲瞋恚愚痴の姿を内観凝視する歩みでありますから、自我意識にとって決して快いものではありません。苦痛に満ちた歩みであります。従って、誰も初めから喜んで歩む者は居ないのです。
 しかし、進む事も死、留まるも死、後に引き返すことも死と云う『三定死』の窮地を自覚せざるを得なくなった時、初めて人間はこの『西に向かって行け』と云う教えを思い出します。そうして、この教えを思い出した人間だけが、敢えてこの苦痛に満ちた道へ足を踏み入れようと決心するのです。しかし、容易には踏み出せません。それは死を意味する恐ろしい道でありました。
 その時、『仁者、但決定して此の道を尋ねて行け、必ず死の難なけん、若し住まれば、即ち死せん。』と言う東岸の善知識の声が聞こえてくると言われます。さらに、西の岸から『汝、一心正念にして直ちに来たれ、我よく汝を護らん。』と云う召喚の声が聞こえると云うのです。
 これは誠に善く譬えられた譬喩であります。我々がもし、この発遣と召喚の声を聞き得たなら、初めて『内観の道』に立つ事が出来るのです。阿弥陀仏の浄土は、私共の足元の貪欲と瞋恚の、その底にある愚痴の、更にその底に隠れている自我意識の底まで掘り下げて行った、内観の歩みの、その果てにあるのです。
 正に『内観の一道、彼岸に通ず』のお言葉通りであります。『内観の一道』とは、貪愛と瞋憎の底を深く掘り下げて、無意識の領域にまで透徹して、そこに隠れている自我意識を見出して、これこそ私の迷いの正体である事を自覚した歩みであります。
 この様な内観の歩みは、、人間の努力では出来るものではありません。必ず、如来の智慧光の働きを蒙らなければ成就しないのであります。従って、我々に於いては、聞法に聞法を重ねて、次第にお育てを蒙り、その聞法のあげくに漸く到達できる世界であります。
 『ただ念仏して、弥陀に助けられまいらすべし』と云う事は簡単な事の様でありますが、その内奥には、以上のような歩みの歴史が隠されていたのです。それを『極難信』と云います。念仏は『行』は易行でありますが、『信』が難信であります。即ち、内観の道をたどって漸く到達できるのが、『信』だからです。念仏の易行は極難信の『信』に支えられて居ますから、どんな人でも念仏一つで救われるのです。
 極難信と聞いて驚いてはいけません。と同時に甘えてはいけません。極難の信を成就す
る根源に、真如の働きがあるのです。即ち、一切衆生の根底に、宿りたもう真如の働きがあったのです。これを『・・・法性と云う、真如と云う、一如と云う、仏性と云う、仏性すなはち如来なり、この如来微塵世界にみちみちてまします。即ち一切群生界の心にみちたまえるなり。草木国土ことごとく皆成仏すと説けり。・・・』(20の7、唯信抄文意)と、親鸞聖人は頂かれました。
 唯識学では、『本有の無漏の種子』が、一切衆生に生まれながらに宿っていると云います。まことに、大いなるものは一切のものの内に宿って、常に働き続けているのでありました。これを『仏恩の深重なるを念ず』と親鸞聖人は喜ばれました。
  
胎生と化生の問題 (6)
 胎生の者とは誰の事か。この人生に生を享けて、仏法に遇い、其のサンガの一員に
加えられた喜び、これに過ぎるものはありません。
 所が、其のサンガには、胎生の者と化生の者が居ると、世尊は説かれたのであります。その胎生の者とは、一体誰の事なのか。あの人とこの人が胎生の人であろうと考えるのが、凡夫の分別の智慧であります。しかし、私は如何であるのか。考えた事があるでしょうか。親鸞聖人は、自己の上に胎生のものを見出されたのであります。愚禿悲嘆述懐和讃はそれを語っていました。
  不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して
   罪福信じ善本を たのめば邊地にとまるなり。
  仏智疑惑のつみにより 懈怠邊地にとまるなり
   疑惑のつみのふかきゆえ年歳劫数をふるととく   
これらの和讃は、島地聖典では、『疑惑和讃』となって居ますが、草稿本では、『愚禿述懐』となっており、後書きに『已上二十二首仏智疑う罪とがの ふかきことをあらわす
これを辺地懈慢胎生なんどというなり』と書かれています。
 蓮如上人が編纂された『文明本』では、親鸞聖人の真意が伝えられなくなっています。
蓮如上人は、宗祖のお言葉を聞く立場から頂かれたのでありますが、宗祖の真意は、
『愚禿述懐』でありまして、宗祖自身の事を述懐されて居るのであります。 難思録、 旅愁抄五 (p197)に、
 『念仏の心は。今まで人生を楽園にすることが出来るように考えた考えを、根底から打ち砕いて、劫初より未来際に亘って無明生死の荒涼たる大砂漠である事を自証する。しかるに、この荒涼の旅路にも、清い泉は湧き、念仏の淨華は咲いている。しかし、止まってはならない。さようなら感激の花よ。泉よ。大地の果てからしきりに喚びたもう声が聞こえる。私は新しい旅路に発たねばならない。』とあります。  
 『人生は旅である』とは、誰でも口にする言葉でありますが、『旅』の意味がよく判りませんでした。               念仏のサンガに出会い得た事は、この世に生を享けた者の最上の喜びであります。しかし、この喜びに何時までも浸って居てはならないのであります。ここに留まるものは、胎生の者と言われます。潔く、左様ならを云って旅立つものを化生の者と云います。
 この世のサンガは、化城です。旅愁抄七に、
 『・・・旅人よ。化城は安息の宿場である。理想の国、真理の都、涅槃の城は間近かである。歓喜の化城が壊れたとて悲しまなくてもいい。旅を急げとのことである。懈慢界の化城に足をとどめていつまでも眠ることが、道の如く思えたら、心の芯のとまった時だ。願往生心は、水火の中を進む、だが化城の現れるのも、化城の消えるのも大慈悲の恵みである。大慈悲を体感する事が、旅のいのちである。もののあわれという。』とある。
 人生の旅に疲れた人にとっては、手足を思う存分に伸ばして憩う世界がいる。化城は憩う世界である。心行くまで眠るがよい。しかし何時までも眠っていてはいけない。左様ならを云って新しい旅に発たねばならない。それが、一夜の宿を借りる旅人の姿であり、化生する者の姿であった。
 我々は旅人であります。願生の旅を続ける旅人であります。旅人であると云う事は、留まることを許されぬ者でありました。
 懈慢界・胎宮とは、旅人に留まる事が許されぬ事を教える教誡でありました。サンガの一員に召されて、思う存分手足を伸ばして憩うことが出来たら、また『左様なら』と言って新しい旅に旅立っていく、そこに、願生浄土の風光が展開されて行くのでしょう。
 私は、永遠の旅人であらねばなりません。しかし、その旅は、内観の旅であります。限りなく自己自身を凝視して、自己の真相に覚め続ける旅であります。決して物見遊山の旅ではありません。その事をしっかり心に入れて旅を続ける必要があります。
 胎生と化生の問題は、大無量寿経の帰結でありました。世尊は大無量寿経の終わりに当たって、願生者の大切な最後の問題を、お説き下さったのであります。
 我々の歩みが、胎生の者に終わるか、化生し続けるものになるかは、我々に人生の終わりまで続く課題であります。
 夜晃先生が、晩年に至って,『旅愁抄』を書かれた意味も肯ける様です。念仏のサンガに遇い得たことは、大慈悲の恵みでありました。しかし、その大慈悲に甘えてはならないのであります。『左様なら』を言って、その恵みの化城を後に為て,何処までも、何処までも,内観の旅を続ける事を要求するものが、大無量寿経の生き方でありました。
 今生に生を得て、大無量寿経の説法に遇うとが出来ました。誠に、不可思議の強縁であります。深く、大慈悲の恵みに深甚の御礼を申し上げつつ、此の稿を終わります。   南無阿弥陀仏。