水琴窟 十九
問、お浄土は何処にあるの
答、お浄土は西方十万億土の彼方に在ると云うのは、大無量寿経に書かれてある神話的表現です。それはどいう事なのかを考えてみる必要があります。
大無量寿経によれば、国王であった人が、世自在王佛の説法を聞き、心に悦豫を懐き、王の位も財産も全て捨てて、沙門となり、浄土建立の志を立てたと説かれています。 国王が、自分の国土を捨てて、浄土と言う国土を建立しようとしたのには、何か深い意味があるのでしょう。
太古の昔には、人類は国と言うものは持ちませんでした。ただし、集団生活をするためには、規律が必要ですので、皆で相談して、首長を立てることにしました。もめ事が起こった時には、首長同士が集まって解決したのです。如何しても解決がつかない時には、戦争になるのですが、その時には、首長は引っ込んで、別の人間が戦争をやり、収まればまた元の首長が、戻ってくると云うしきたりになっていたと言われます。
所が、次第に時代が下がり、国家を造り、国王が統治するようになると、、戦争が激しくなり、強い国家が近隣の種族を占領して、覇権国家を生み出します。
日本で国家が生まれるのは、縄文時代の中頃でしょうか。弥生時代には、もう国家が成立して、国家間の争いが激しくなっていたようです。
インドでは、紀元前数百年も前からすでに国家が成立していた為、覇権国家による弊害が自覚されていました。即ち、国王の権力による民衆支配の弊害です。
国王が、国と位を捨てたと云う事は、覇権国家の否定です。国家間の争いが激しくなって、民衆支配が強化され、力を持たない民衆の苦しみが生まれて居たからでしょう。
しかし、人間は生活の拠り所を持たねば生きられませんから、浄土と言う争いの無い生活基盤を成就しようと云う願いが起こされたのであります。
浄土は、人間の作った国ではありません。如来の願心が成就した国土であります。それで『願心荘厳』の浄土と言います。
我々は、娑婆に生きている限り、愛憎善悪の中に生きねばなりません。『娑婆』と言う言葉は、『勝った者が居る所』と言う意味だそうです。勝った者が居ると云う事は、負けた者が居ると云う事です。それで、娑婆を、『堪忍土』と翻訳されました。これは、玄奘法師の名訳です。娑婆に居る限り、勝ったか負けたか、善か悪かで、苦しみは尽きないのです。それで耐え忍ぶべき所と言ったのです。娑婆は永遠に浄土には成りません。 そこで、善導大師は『無有安心之地』と言いました。何処へ行っても安心することは出来ないと云うのです。所が、親鸞聖人は、この『無有安心之地』と言う善導の言葉を『心を安んずるに、之より地〔ところ〕あることなし』と、全く違った意味に読みました。 親鸞の凄い読破力です。何処へ行っても安心の地が無いのなら、この地で腹を決めて生きる道を見出すより外には、生きることは出来ないのだ。と云うのです。
これは、観無量寿経で、イダイケが『もう娑婆は厭になりました、何処か悪人の居らない国に行きたい』と世尊に訴える所の、善導の解釈です。人間は何処へ行っても娑婆から逃げ出すことは出来ないのです。
イダイケは、世尊に遇っても、娑婆から逃げ出すことしか考えられなかったのです。そのイダイケに対して、世尊は黙ってイダイケの心が仏法を受け容れるようになるまで待たねばなりませんでした。これを『沈黙の説法』と言われます。世尊と雖も如何する事も出来ないのです。
イダイケが次第に心が静まって来たのを見計らって、世尊は『光台現国』を現します。これは、世尊の身を持っての教化です。世尊の教化によって、漸くイダイケが『我今阿弥陀仏の国に生まれたいと思います』と言うようになります。ここまで来るのに随分時間が懸っているのでしょう。十年も百年も、いや何百年も懸るのです。
イダイケにもやっとその時が来ました。宿善開発して善知識に遇い得たのです。しかし、まだ世尊は語ることが出来ません。是から散善顕行縁、定善示観縁が熟さなければならないのです。
浄土の法門を聞き得るまでには、之だけの手続きが必要なのです。観無量寿経の序文が長い所以です。善導は、観無量寿経によって、それを読み取ったのです。
浄土は何処にあるのかと言う質問でありますが、浄土の法を聞く為には、聞き得る心の準備が必要であります。その準備を怠って、教えを聞かないで、いくら浄土を探しても、無駄なことに終わります。
浄土は、願生心の対象であります。願生心とは、この世を生きる目標であります。何に向かって生きるかと言う、生きる方向を定める事です。所が、我々は、生きる方向を見失って、当てもなく、さ迷っている存在なのであります。
『いや、私には、確かな人生の目標がある』と言いますが、やがて、年老いて人生の終焉が近かづいてみると、全く方向が判らない儘に、ただ右往左往していた事実が暴露されるのです。
歎異抄に『名残惜しく思えども娑婆の縁尽きて力なくして終わる時に、彼の土へは参るべきなり』とあります。若い時には『ああ言う事を云うから、仏教は若い者に嫌われるのだ』と思っていました。所が、年を取ってみると、『あれが本当なのだ』と判りました。 しかし、『彼の土へは参るべきなり』と言える世界があったのです。『帰るべき所がある』と確認できると云う事は大変な事であります。
浄土往生の教えを聞き得るまでには、随分手続きが必要だと云いました。確かに、長い手続きを経て、やっと時が熟して法を聞くことが出来るのですが、若し時機淳熟して法を聞く事が出来たら、こんな素晴らしい結果が与えられるのです。
お浄土は、『何処かに在る世界』ではありません。我々衆生の為に『帰るべき世界』として、人生の方向を示したのです。
西路を指授せしかども 自障障他せしほどに
曠劫以来もいたずらに むなしくこそはすぎにけれ (11の28)
これは善導和讃の一首です。『二河白道の譬え』では、西に向かって往けと、釈迦牟尼如来が勧めます。所が、この教えを自障障他して、信じないので、流転を続けて居ると云うのです。
往生浄土の教えは、『浄土に向かって歩め』と言う教えです。『歩む』事以外に人生はありません。教えの如く歩むのです。念仏申して、お浄土まで歩み切ることが、念仏者の全てであります。それを、往生浄土の救いと言うのです。
浄土は、帰るべき所です。人生の歩みを終えて、帰るべき所が明確に定まるのです。これ程有り難い事はありません。年老いて誠に実感できることであります。
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