問、 深層意識とは?
答、
私は偶々大谷派の寺院に生まれました。その為、子供の時から仏法を聞かねばならないということは心得ていました。今思い返して見れば、それはよくよく宿善に恵まれていた結果でありました。父も母も仏法の志は篤い人でありましたので、自然に仏法は聞くものだと思うようになったのです。
これは大変なことであったと思うのです。今日、仏法を聞くということは容易なことではありません。遠く、お釈迦様から始まった仏教の歴史は、印度から中国大陸を伝わって、朝鮮半島を経由して日本に伝えられたのですが、それは文字を伴って伝えられた仏教でありました。
それとは別の海上ルートを通って日本に伝えられたものがある様です。それは縄文文化と言われているものであります。今日ではその全容は判りませんが、旧モンゴリアンと言われる人々によって伝承されたものである様であります。
その伝承は、アメリカ大陸にまで伝えられていて、アメリカ原住民の神話に見られるものです。それを、アメリカでは、グレート・スピリットと名付けたと言われています。
日本の阿弥陀如来と同じ神話に由来するものの様です。日本における阿弥陀如来の信仰は、縄文時代以来の信仰が深層意識となって、法然や親鸞の上に顕れたものではないかと考えられるのであります。
深層意識というものは、深く人間の心に根ざしていて、意識していないのにその人を動かして居いるものです。梅原猛という方が、生前、『日本の深層』という本の中に力説しているのです。この梅原説は、注目に値するものであります。今後、縄文時代の研究が進んで、梅原説が証明されることを願う者でありますが、証明は難しいかも知れません。証明されなくても有力な仮説として注意されて良いと思います。
日本民族の深層意識の中に蓄積されていたものが、聖徳太子の名に代表されて、親鸞の「浄土真宗」として地表に顕れたのではないかと思われるのです。この日本民族の深層意識となっている精神は、今日も我々日本人に保たれている心でありまして、後に日本列島に侵入してきた「弥生人」によって嫌われ、歴史の上からは抹殺排除されましたが、どっこい根強く生き残り、今日まで日本人の心の中に生き続けているのです。
これが親鸞の説いた「浄土真宗」であります。聖徳太子の名のもとに伝えられている「十七条憲法」の精神は、「篤く三宝を敬え」であり、「和を以て貴と成す」であります。三宝を敬うということは、仏教の精神以外には人類が永遠に平和を保って行く道はないということです。これは全人類に向かって明らかにすべきことであります。
このことを、かつて暁烏 敏(あけがらす はや)師が戦前に提唱したのです。戦後の混乱の中で、この提唱はうやむやになり、忘れ去られてしまいましたが、今こそもう一度提唱しなければならない問題であります。
仏法は、権力や威力で押しつけるものではありません。静かに話し合って納得されるべきものです。そんな悠長なことを言っても駄目では無いかと言われるかも知れませんが、仏教は元来そうしたものでありました。そのために仏教は滅んでいった国もありますが、どっこい頑張って生き残っている地方もあるわけです。真理というものは、常にその様な形で生き延びていくものなのでしょう。
日本はその仏教が生き残っている貴重な国であります。これはひとえに、浄土真宗のお陰であります。浄土真宗以外には真に人間の救いを成就する道は無いのです。随分思い切ったことを言うようですが、浄土真宗が見出されたお陰で聖道門の意義も見出されたわけです。聖道門が悪いわけではありません。聖道門は浄土門のための要門であります。
要門は、道を得るために如何しても潜らねばならぬ必要な通路であります。故に、浄土真宗に到るための必要な課程であるのであります。
私が仏道成就のためには、「三つの関門」を潜らなければならないと言うのは、人間が救われるための必須の法則であるからであります。それは日本に於いて、法然、親鸞に依って見出された法則でありました。
インドで仏教が衰えたのは、大乗仏教は生まれましたが浄土の教は充分完成し得なかったからで、浄土真宗までは到達出来なかったためであります。中国でも現在仏教は見失われています。やはり善導大師までは伝えられた浄土教が、善導以後途絶えたためであります。
日本においてのみ仏教が生き残れたのは、まさしく浄土真宗が仏教を支えたのであります。日本において初めて浄土の教えが、晴れて天下に真の姿を表したのであります。
これは、「三つの関門」を潜ってこそ「往生浄土の道」が完成されることを証明するものであります。浄土真宗は、まさしく人間の救いの道をはっきり指し示すものでありました。我々は遠慮することなく、この事実を海外に発信すべき時が訪れていることに目覚めなければなりません。
戦前は、武力で日本精神を世界に伝えようとしました。それは明らかに間違いでありました。人間は武力によって納得するものではありません。話し合いによって時間をかけて、言い分を聞いてもらうより道はありません。それには時間と辛抱が必要です。
成功するかしないかは判りません。しかしそれより外に方法はないのであります。ところが人はせっかちですから、この方法には耐えられなくなり、いきなり他の方法を用いようとするのです。それが世界紛争の原因です。
このまま世界紛争に巻き込まれて、人類は滅亡して行くのでしょうか。悲しいことであります。人類滅亡の末路を見ることは悲しいことでありますが、これも因縁の然らしめるところでありますから、何とも致し方のないことであります。念仏して死んで行くまでのことであります。
とにかく、浄土真宗によらねば世界の平和は成就しないのではないかと思われるのですが、浄土の教えを辛抱強く語り続けていくより方法はないでしょう。これが、日本に生きている念仏申す者としての今日的使命でありましよう。
