水琴窟 50

    水琴窟 50  
問 ユングの観無量寿経の論文 (ユング心理学撰書5、創元社、1995刊)
答 ユングには、〔『浄土の瞑想』観無量寿経によせて〕と言う論文があるのです。
 古沢の『阿闍世コンプレックス』と言う論文に対して、フロイトは関心を示さなかったのですが、フロイトから離れて袂を分かっていた居たユングは、『観無量寿経について』と言う論文を書いているのです。
 フロイトは、一神教の世界から離れられずに居たので、古沢の意見は理解が出来なかったものと思われます。所が、ユングはフロイトとは異なり、東洋に目を向けて居ましたから、西洋と違った世界観の有ることに気付いていたのでしょう。
 一神教の世界観と異なる東洋の世界観には、儒教や仏教、更に道教の世界観が有ることを、ユングは知って居たのです。西洋の一神教の世界と異なる、母性原理の世界が東洋では弘まっていたのです。
 しかし、その中国でも、次第に一神教的な雰囲気が強くなって来たために、善導の教えは軽視されてしまいます。その為に、ユングは善導の観無量寿経の解釈を読んでいないのであろうと思われます。
 善導の、観無量寿経の解釈を大事に取り上げたのは、日本の法然上人でありました。日本では、母性原理の思想が強く支配していましたから。観無量寿経がとても大きな役割を果たし得たのであります。
 中国では、善導以来途絶えてしまって居た浄土教の精神を、見事に復活した法然の功績は讃えられなければなりませんが、その背後には、日本の独自の風土が在ったものと思われます。其れは恐らく、縄文時代以来の伝承であろうと思われるのであります。
 親鸞聖人に依って、聖徳太子の名と共に提唱された、浄土真宗は、まさしく日本独自の思想でありました。法然・親鸞は、此の日本独自の思想を見出して日本の全土に、二尊教を定着せしめた偉大な功績を担ったのです。
聖徳太子の名を登場せしめたのは、日本書紀でありますが、聖徳太子の名で何を伝えようとしたのか、勿論、日本書紀の目的は、当面、天武天皇の政治の正当化であったと見られますが、その為に、縄文時代の思想文化を借用したのでは無いでしょうか。
 親鸞は、その辺の事情も薄々知っていたのでは無いかと思われます。聖徳太子の描写には、常に夢が付き纏って居るのです。   
 所で、西洋に生まれ、一神教の風土にしか生きていない爲に、古沢の説を認めなかったフロイトに比べて、ユングは、別の世界観があることを認めて居るのですが、善導の思想にまで到っていない爲に、二尊教の存在に気付いて居ないように思われます。  観無量寿経の心は、二尊教の思想にまで到達しなければ正しく理解出来ません。その点にユングの限界があるように思われます。  アルベール・カミユ(1913-60)に、『ペスト』と言う作品があります。第二次世界戦争が終結して間もなく。1946年に公開された作品です。これは、公開と同時に大変な評判となり。カミユは一躍世界的な名声を受けました。
『ペスト』では、アフリカの或る港町に突然ペストが襲いかかるのです。その為に、町は閉鎖され、出ることも入ることも出来なくなります。その町に起こる様々な出来事を語るのでありますが、
その中で、パスルー神父が、ペストの病禍は神の怒りであると捉えて『悔い改めよ』と叫んで居たのですが、その神父の目の前で、熱心な信者が死んで行くのです。その為に、神父は言葉を失ってしまいます。
 キリスト教の世界には、この様な事実の前にどのような教えが用意されているのでしようか。そんな者は『縁無き衆生』として、見捨てられるのでしょうか。また、キリスト教には、漏れる者は居ない事になって居るのでしょうか。しかし、『ペスト』では、熱心な信者までが死んで行くのです。
あの様な描写を敢えて表現するカミユには、キリスト教の救いに対する疑問があったものと思われます。かと言って、コンミユニズムの徹底的合理主義にも与し得ないものがあったのです。
 仏教では、『縁起の法』の法則によって生きている衆生ですから、如何に熱心な信者と雖も、縁さえ催せば、必ず死んで行くのです。其れは何の不思議も無い、この世の現実であります。
 『神の恩寵』も『奇跡』も起こる必要のない問題なのです。『在るが儘を受け取って念仏すべき』事であります。
 『それは余り酷い』と言いたいかも知れません。そうです、そのように酷いのがこの世の事実なのです。其れを、『ペスト』では『不条理』と言いました。『生死の苦海ほとり無し』と言うことです。その酷い現実の真っ只中に救いがあると言うのが、念仏の救いであります。
 西洋では見出せなかったであろう『不条理の人生』からの脱出の問題を、見事に解き明かすことが出来たのは、法然・親鸞の功績でありました。其処には、日本独自の風土が在ったのでありましよう。其れを『縄文時代の文化』と申してよいと思われます。
 それは、旧モンゴロイドの神話が伝えたものであろうと思われるのです。此れが、アメリカでは、グレートスピリットとして受け取られたのです。
 阿弥陀如来の、本願の宗教は、如何なる劣悪の衆生と雖、救わずには置かぬ大慈悲の願いであります。其れは、人間の思いも及ばない異次元の世界であります。其れを、『弥陀の誓願不思議』と歎異抄は言いました。不条理の人生を、在りの儘に受け取って生き切れる道が開かれたのです。 カミユが、『コンミュニスムとキリスト教との間に、より人間的な第三の道を求めようとしている』と評せられている(宮崎嶺雄の解説)『第三の道』こそ、不条理に答え得る唯一の道でありましょう。 
 コンミュニスムの徹底的合理主義も、キリスト教の恩寵主義も、共に一神教的世界観で有ります。其れに対して、第三の道と言うべきものは、東洋に在る二尊教の宗教でありましょう。ユングが目指したのも此れであったのでは無いでしょうか。
 今日、第二次世界戦争が終わって、七〇数年が経ち、米国中心に世界が動いて居ますが、いずれこの体制も崩れていきましょう。その時、果たして『第三の道』が開けてくるのか、別の一神教的国家が台頭して来るのかは判りません。カミユが願って居た、『第三の道』が成就する事を願って此の稿を閉じる事に致します。
  
 

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