水琴窟 51

水琴窟 51
問 定善と散善
答 観無量寿経には、定善と散善の教えが説かれて居ると言われています。所が、この二つの教えについて、善導大師は定善は韋提希の請によるが、散善は釈尊が自ら説かれたもの〔佛の自説〕であると強調されます。何故その様な事に拘るのかと不審に思っていました、所が、平野修先生の『観経疏、玄義分』を拝見していて、大切な事を教えて頂きました。
『仏教の中で行と言えば、全て此の定善・散善に収まるわけです。定善は字の通り、定まると言うことですから、心、身体、口、此れを一つの方向に定める訳です。その場合には、佛が教えられた言葉を集中して考えて行きます。身を一定にし、心を一定にし、口を一定にして、佛の教えられた言葉と相対する。此れが定と言う意味になります。観法と言うこともこういう内容になるわけです。・・・真宗で言えば、聞法というのがおおよそ定善に当たるわけです。』
『其れに対して散善というのは、定に対して散と言いますが、心が散っていると言う意味ではありません。人間の存在は関係を持って生きていると言う点で出て来るのが、この散善と言われるものです。ですから、戒律などが散善の代表になります。
散善はどこまでも自他の関係と言うことが考えられている訳です。定善だけでありますと、此れはみんな個人的にならざるを得ないわけです。しかし人間の存在は関係の存在ですから、関係という事を問題とせざるを得ない一面を持っています。』
平野修選集、第四巻 p376
善導大師は、散善顕行縁に説かれる〔孝養父母〕の四文字を解釈する爲に、実に長い言葉を尽くして居られます。中国は儒教の國であるから、孝養と言う徳目に特に力を入れられるのかと思って居ましたが、よく注意して読んで見ると、力点が少し違っています。 父を能生の因とし、母を所生の縁として、私はこの世に生まれてくると言うのです。しかし、更に自の業識を内因とし、父母の精血を外縁とし因縁和合してこの身ありと言って居ます。父母は外の縁であり、自の業識こそ内因であると言うのです。
私が今、私として生きているのは私自信の責任であって、誰の所為でも無いと言うのです。一人ひとりが自己の責任に於いて、相手を平等に尊敬し合いう関係こそ、人間として生きている意味だというのです。
父を因、母を縁と考えるのは人間の知恵、儒教の説く孝養はこの領域でしょう。これだけでは、不十分だというのが、善導の言い分なのです。
自の業識を内因となし、父母の精血を外縁と為ると知るのは、如来の智慧で有ります。、佛法による自覚の領域で、世間の道徳とは次元が違うのです。
歎異抄の第一章から第三章までは定善ですが、第四章から第六章までは、まさしく人間と人間の関係、人間と一切有情との関係を、佛の教えに照らしてどの様に受け止めていくかと言う問題であります。
『佛の自説』とは、世尊出世の本懐を表すのです。若し散善を説かなかったら、一切衆生を悉く救うことが出来ない、佛の出世の意義が失われるのです。
聞法が大切である事はよく理解していても、仏法を聞いて呉れない家族との関係が、本当に尊敬し合えるものでないとすれば、定善の世界、即ち個人的な自己中心の殻の中に閉じこもって、あらゆる衆生と平等に関係して行くという、散善の意味が見失われて居るのでは無いでしょうか。
散善こそ、人間はどの様な関係を保って生きねばならないかを明らかにする『行を顕す縁』なのでしょう。
今まで、私は、散善の意味がはっきりして居ませんでした。この平野先生のご指摘で散善とは人間が人間として生きるための、最も重要な問題であることを知らせて頂きました。
善導は、法事讃に『双樹林下』と書いてその下に小さい字で『往生楽』と書いています。其れを元にして親鸞は、『双樹林下往生』と言う言葉を作っています。
『双樹林下』とは、釈迦如来の入滅を表わす言葉です。釈迦如来の入滅は、仏陀として成すべきを全て成し、悟る可き事は既に悟った、円満完成した姿であります。佛教者であれば目標は当然此れであります。自らも釈迦如来の如くに教化し、釈迦如来の如くに行じ、釈迦如来の如くに完成円満して滅度をとる、此れが仏教者の最も願う所であります。所が、この願う所が叶わないと言うことがあるわけです。その為に、この観経が、注目されたのです。
即ち、双樹林下の滅度が叶わないので、せめて阿弥陀仏の浄土に往生して、改めて、浄土で修行を仕直して、双樹林下の目的を果たそうと為る訳です。従って、阿弥陀の浄土は仏道成就の爲の便法で有ります。之はあくまでも、一神教的発想で有ります。此処に、天台宗の配下にある限り、二尊教の発想は出来ません。法然上人が、天台宗の寓宗の立場を嫌ったのは、正にこの為でありました。
親鸞聖人が、双樹林下往生を邪定聚と言い、難思議往生を正定聚とする理由も此処にあるのです。折角善導大師が、釈迦弥陀二尊の教えとして打ち立てた、往生極楽の道を、天台宗は打ち壊して、一神教の仏道に戻して仕舞ったのです。
しかし、その様な主張は、当時の日本仏教界では誰も気づいて居ないのです。その為に、法然門下は四面楚歌の非難を受けることになりました。その中で、親鸞一人頑張って、二尊教を護ったのです。
之が、法然の浄土宗独立の真相で有ります。若しこの事が、法然・親鸞に依って行わなければ、今日浄土真宗は、この世に存在しないのです。改めて、法然・親鸞両聖の御恩徳を深謝申し上げる次第です。
三願、三機、三往生については、稿を改めて申し上げます。この稿は、定善と散善の問題でありますから。定善ばかりでは、個人的な世界に留まって、小さな殻に閉じこもって、大きな世界に目を向けることが出来ない事を注意しておけばよいのですが、その為には、双樹林下往生の問題がある事に気付いたのです。
善導が、難思議、難思、双樹林下と併記した意図は私には分かりませんが、之を元にして、親鸞が、三願に配当して、区別した意図は、明らかに、一神教的仏教から脱出して、善導によって完成された、本来の『二尊教』に戻す爲でありました。之に依って、善導の提唱した『二尊教』が、日本国土に無事定着し、『浄土真宗』として伝承されたのであります。

目次