水琴窟 57

問、 深層意識
答、 私は、偶々。大谷派の寺院に生まれました。その為、子供の時から仏法を聞かねばならないと言う事は心得て居ました。今思い返して見れば、其れは、よくよく、宿善に恵まれて居た結果でありました。
父も、母も、仏法の志は篤い人でありましたので、自然に、仏法は聞くものだと、思うようになったのです。是れは、大変な事であったと思うのです。今日、仏法を聞くという事は、容易な事ではありません。
遠く、お釈迦様から始まった、仏教の歴史は、印度から、中国大陸を伝わって、朝鮮半島を経由して日本に伝えられたのですが、其れは、文字を伴って伝えられた仏教でありました。
其れとは別の、海上ルートを通って日本に伝えられたものがある様です。其れは、縄文文化と言われているものであります。今日では、その全容は判りませんが、旧モンゴリアンと言われる人々によって伝承されたものである様であります。
その伝承は、アメリカ大陸にまで伝えられて居て、アメリカ原住民の神話に見られるものです。それを、アメリカでは、グレート・スピリットと名付けたと言われています。
日本の、阿弥陀如来と同じ神話に由来するものの様です。日本における、阿弥陀如来の信仰は、縄文時代以来の信仰が、深層意識となって、法然や親鸞の上に顕れたものでは無いかと考えられるのであります。
深層意識というものは、深く人間の心に根ざして居て、意識していないのにその人を動かして居るものです。
梅原猛と云う方が、生前『日本の深層』と言う本の中に力説して居るのです。この梅原説は、注目に値するものであります。今後、縄文時代の研究が進んで、梅原説が証明されることを願う者でありますが、証明は難しいかも知れません、証明されなくても有力な仮説として注意されて良いと思います。
日本民族の深層意識の中に蓄積されていたものが、聖徳太子の名に代表されて、親鸞の『浄土真宗』として、地表に顕れたのでは無いかと思われるのです。この日本民族の深層意識となって居る精神は、今日も我々日本人に保たれている心でありまして、後に日本列島に侵入してきた『弥生人』によって嫌われ、歴史の上からは、抹殺排除されましたが、どっこい、根強く生き残り、今日まで日本人の心の中に、生き続けて居るのです。
これが、親鸞の説いた『浄土真宗』であります。聖徳太子の名のもとに伝えられて居る、『十七条憲法』の精神は、『篤く三宝を敬え』であり、『和を以て貴と成す』で有ります。三宝を敬うと云う事は、仏教の精神以外には、人類が永遠に平和を保って行く道は無いと言う事です。是れは、全人類に向かって明らかにすべき事であります。
この事を、嘗て、暁烏敏師が戦前に提唱したのです。戦後の混乱の中で、この提唱は、うやむやになり、忘れ去られて仕舞いましたが、今こそ、もう一度提唱しなければ成らない問題であります。
仏法は、権力や、威力で押しつけるものではありません。静かに話し合って納得されるべきものです。そんな悠長なことを言っても駄目では無いかと言われるかも知れませんが、仏教は元来そうしたものでありました。その為に、仏教は滅んで行った国もありますが、どっこい頑張って生き残っている地方もあるわけです。真理と言う者は、常にその様な形で生き延びていくものなのでしょう。
日本は、その仏教が生き残っている貴重な国で有ります。是れは偏に、浄土真宗のお陰であります。
浄土真宗以外には、真に人間の救いを成就する道は無いのです。随分思い切った事を云うようですが、浄土真宗が見出されたお陰で、聖道門の意義も見出されたわけです。聖道門が悪い訳ではありません。聖道門は、浄土門の爲の要門であります。
要門は、道を得るために、如何しても潜らねば成らぬ、必要な通路であります。故に、浄土真宗に到るための必要な課程で有るのであります。
私が、仏道成就の爲には、『三つの関門』を潜らなければ成らないと云うのは。人間が救われるための、必須の法則であるからであります。其れは、日本に於いて、法然、親鸞に依って見出された法則でありました。
インドで仏教が衰えたのは、大乗仏教は生まれましたが、浄土の教は充分完成し得なかったからで、浄土真宗までは到達出来なかった爲であります。中国でも現在、仏教は見失われています。矢張り、善導大師までは伝えられた浄土教が、善導以後途絶えたた爲であります。
日本に於いてのみ、仏教が生き残れたのは、まさしく、浄土真宗が仏教を支えたのであります。日本に於いて、初めて、浄土の教えが、晴れて天下に真の姿を表したのであります。
これは、『三つの関門』を潜ってこそ、『往生浄土の道』が、完成される事を証明するものであります。浄土真宗は、まさしく、人間の救いの道を、はっきり指し示すもので有りました。我々は、遠慮する事無く、この事実を海外に発信すべき時が訪れて居る事に目覚めなければ成りません。
戦前は、武力で日本精神を世界に伝えようとしました。其れは明らかに間違いでありました。人間は、武力によって納得するものではありません。話し合いに依って時間を懸けて、言い分を聞いてもらうより道はありません。其れには、時間と辛抱が必要です。
成功するかしないかは判りません。然し、それより外に方法は無いのであります。所が、人はせっかちですから、この方法には耐えられなくなり、いきなり、他の方法を用いようとするのです。其れが世界紛争の原因です。
この儘、世界紛争に巻き込まれて、人類は滅亡して行くのでしょうか。悲しいことであります。人類滅亡の末路を見ることは、悲しいことでありますが、是れも、因縁の然らしめる所でありますから、何とも、致し方の無い事であります。念仏して死んで行くまでの事であります。
兎に角、浄土真宗に依らねば、世界の平和は成就しないのでは無いかと思われるのですが、浄土の教えを辛抱強く語り続けて行くより方法は無いでしょう。これが、日本に生きている、念仏申す者としての今日的使命でありましよう。

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