碇草11

碇草  法蔵菩薩
曽我量深先生が、曾て、『法蔵菩薩は阿頼耶識である。』と言われた事があると言われて居ます。其れを聞いて、真宗の僧侶は『曽我は異安心である』と言い、真宗以外の僧侶は『それは誤解である』と言ったと言われて居ます。その出所の文献は、私の手元には有りませんが、安田先生も,唯識と浄土真宗と二つ有るのではない、二つを倶に学べば好いのだ、
『唯識には、法蔵菩薩という言葉はない、また、真宗には阿頼耶識と言う言葉はない。だから、二つ学べば好いのだ』と言っていられました。
此の曽我先生の領解から,素晴らしい浄土真宗の教学が生み出された事実を見るのであります。『法蔵菩薩』は、曽我先生の生涯をかけての課題で有りました。その薫陶を受けた我々は、不十分では有りましょうが、些か、感想を述べさして頂きたいと思います。
さて、法蔵菩薩は、大無量寿経では、最も重要な存在であります。然し、其れが何を意味するのかと言う事は、はっきり誰も言い当てられて居ないのです。
法蔵菩薩は、神話的表現であります。ですから、その神話的表現を解説する必要があるのです。その為に、曽我師は、一生を捧げたのです。
先に,『曽我は、異安心である』と非難した人々も,『其れでは、法蔵菩薩とは何か』と問われても,何とも答えられなかったのです。
『阿頼耶識』は、末那識に依って『自の内我』とされて、煩悩に汚れた識で有ります。『法蔵菩薩』は、従果向因の菩薩であります。従果向因とは、阿弥陀仏が衆生済度の為に,煩悩の世界に姿を変えて降りてきた菩薩であります。
煩悩に汚れた阿頼耶識と、阿弥陀仏が姿を変えた法蔵菩薩とでは、余りにも,違いが在り過ぎます。それなのに、『法蔵菩薩は,阿頼耶識である』と言うのは、余りにも突飛な説であると言うのは、一応は、筋が通って居るわけす。
然し、曽我先生には、『法蔵菩薩とは,如何なる存在なのか』と言う問いを、問い続けると言う長い間の苦闘の歴史があったのです。
阿弥陀如来が衆生済度の為に、娑婆世界に降りてくるとは、どういう事かを問い続けてきた結果、『法蔵菩薩とは、阿頼耶識であると言う』と言う結論に成ったのです。
法蔵菩薩は、衆生済度の為に、清浄真実の身を、敢えて衆生海の泥の中に沈めて,我々が自己と考えている自己よりもっと深く我々を抱いて,『自己に目覚めよ、本来の自己に帰れ』と、私が私と思っている私よりもっと深い私となって,私を促し続けて居るのです。其れを、唯識学者の護法は、『本有の無漏の種子』と名づけたのであります。
誠に、此の『本有の無漏の種子』の働きのお陰で、我々は信心を頂く事が出来るのであります。故に、『如来回向の信心』と言われる所以であります。
親鸞聖人は、唯信抄聞意に、『然れば仏について、二種の法身まします。一つには法性法身と申す、二つには方便法身と申す、法性法身と申すは、色もなし形もましまさず、然れば心もおよばず語もたえたり、この一如より形を表して方便法身ともうす。その御相に、法蔵比丘となのりたまいて不可思議の四十八の大誓願をおこしあらわしたもうなり。この誓願のなかに光明無量の本願、壽命無量の弘誓を本としてあらわれたまえる御形を、世親菩薩は「尽十方無碍光如来」と名ずけたてまつりたまえり・・・』と丁寧に解説しておられます。 (20の7)(註、これは、お東の真宗聖典とは言葉が違いますが、此の方が解り易いのでこれを用います。)
また、これに先立って、『涅槃と申すにその名無量なり・・・佛性すなわち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちてまします。即ち、一切群生海の心にみちみちたまえるなり。草木国土ことごとくみな成仏す」と説けり』 (20の7)と言われます。
『草木国土みな成仏す』と言うような表現は、大陸伝来の佛教には無いと言われていますので、これは、日本独自の思想でありましょう。『八百万(やおよろず)の神々』と言う発想と軌を一つにしているかと思われます。
そもそも、神仏分離令が明治政府によって発布されましたが、あれも、誤りであったと思われます。更に、国家神道なるものが創りだされて、日本の宗教事情は混乱を極めたのです。今も、その混乱は収まって居ないのありましょう。
日本人の、無宗教癖は、明治政府の悪政の結果であります。近代合理主義と言う悪習に振り回されて、誤った教育が為されました。今、この悪政を反省して、宗教に対する正しい認識を涵養すべき時であります。
扨て、如来が、衆生界に降りてくるとは、何いう事でしょうか、前に、『真如は、衆生の心に満ちみちてまします。』と申しました。『真如』即ち『如来』は、我々衆生の心に、我々がこの世に生まれ出る前から住み付いて居るのです。私が私と思って居る私よりも、もっと深い世界まで下りてきて、私を内から見つめて居るのです。この真如の働きが、自己反省の欠陥である、自己肯定の我執を見抜いて居たのであます。
末那識が持つ『自己肯定』の我執は、この真如の働きに依らねば見い出せ無いのであります。此処に、『如来来たって我となり、我を救い給う』という、曽我先生の言葉の意味が有ったのであります。
誠に、法蔵菩薩とは、阿頼耶識が転じられて大円鏡智となった相で在りました。この法蔵菩薩の願行によって、我々の救いが成就するのであります。此の法蔵菩薩の願行は、五劫の思惟、永劫の修行と言われます。此は、我々の願生浄土の歩みは、歩み続けるものである事を語るのでありましょう。歩みが止まれば胎生であります。何処までも歩み続ける事が、願生浄土であります。
お浄土まで到着すれば、もう其れで終わりかというと、まだ歩みは終わらないのであります。即ち、『不住二際』と言われて、『智慧に依るが故に生死に住さず、慈悲に依るが故に涅槃に住せず』涅槃に留まる事無く、衆生済度の仕事に取りかかるのです。然も、衆生無辺誓願度と言われる様に衆生は無辺でありますから、この歩みは何時までも終わりのない歩みでありました。此処に、法蔵菩薩の五劫の思惟・兆際永劫の修行の意味があるのです。
我々の生は、死と共に終わる生であります。死と共に終わると言うことは、また生まれてきて、また死と共に終わるのであります。つまり、何時までも生と死を繰り返す生死流転の連続であります。
願生浄土の生は,無生の生と言われています。永遠に尽きる事なき生であります。即ち、無の死に向かって生きる生から、永遠に尽きることの無い生に生まれ変わる事であります。
我々の凡夫の生は、死をもって終わる生であります。死を持って終わるということは、実は、終わりが無いのでありまして。また生まれてきて死んでゆくだけの生であります。其れは、虚しく生死を繰り返すだけの生であります。生の目的が無いのであります。ただ、惰性によって繰り返しているだけの生であります。
願生淨土の生は、『願作佛心、即、度衆生心』と言う、ちゃんとした目標がある生であります。先に、『暁烏敏伝』に言われていた様に、願作佛心・度衆生心には、何ものにも揺るがぬ、強烈な願心が一貫していました。この、何ものにも揺るがぬ一貫した願心こそ、願生浄土の生の本質でありました。
暁烏敏師の戦前の言動を『暁烏の恍惚』と評することは、戦争と言うものを知らない世代の評価であります。あの当時、日本人として生きていた者としては、こんな時代に生きている以上、戦争に行って死ぬより他に道は在るまいと、本気になって考えていたのです。誰も、喜んで、死ぬ事を求めている者は居ませんでしたが、時代の風潮の前には如何んとも抗し難いものがあったのです。其処に、業縁の催しに、ただ流されるより他にない、人間の弱さがあるのであります。
この度の戦争に参加した者の一人として、感想を述べない訳にはいかない思いであります。誠に、戦争というものは、個人の運命を踏みにじるものであります。悔いても悔いても、悔い尽くされぬ思い出であります。ただ、戦争で、非業の死を迎えた方々へ、申し訳ありませんと言うより他には有りません。其れが戦争と言うものの、実相であります。
願わくば、戦争の無い世界を創らねばならないのですが、戦争の無い時代など望まれないのでしょうか。仏教の『無我』の教えしかその様な世界は、実現不可能なのでしよう。今後、日本が如何いう状況に置かれるかは、誰も予測できません。願わくば、『世の中、安穏なれ、佛法、広まれかし』と念ずるばかりであります。

目次