釈迦弥陀は慈悲の父母(9)

釈迦弥陀は慈悲の父母 
            二尊教について 9  
 
 二尊教における弥陀と釈迦の関係を述べて来ましたが、いま何故、二尊教について強調しなければならないのかと言う事を、考えてみる必要があるかと思います。、
 宗教は、『一神教』と『多神教』と言う構造になっていると言われてきました。多神教は、あらゆる存在に神が宿っているという信仰でありまして、日本の『神道』の様に八百万の神の存在を認める信仰です。それに対して、一神教は、唯一神と申しまして、神はただ一神のみを認める信仰であります。
 宗教の発達過の上で、野蛮時代には多神教がもてはやされていましたが、進化が進むにつれて、一神教が最も優れた、進化したものとされ、多神教は進化していないものと考えられ、蔑まれてきました。これは一神教の立場からの考えでありますが、政治的に、一神教国家が優勢になり、多神教国家が押しつぶされて行った結果であります。  その考えが正しか否かはしばらく置きまして。国家としては確かに一神教国家が世界を支配してきました。中でも、キリスト教国家が世界を支配する時代が長く続いていましたので、一神教優位の思想は、世界の常識となった居ます。
 所が、非一神教国家である日本は、近代国家の中で辛うじて生きながらえて今日に至って居まして、一神教優位の常識に異を称えることが出来る、唯一の先進国であります。
 ただし、その日本は、仏教が衰えてしまっていますので、異を称える力がやや心細い次第であります。
 一神教は、優れた面も持っていますので、あながちに否定する必要はありませんが、一神教が持っている、負の面について、穏やかに話し合う必要があるのです。負の面とは、一神教同士の争いであります。これは一神教の抜き 難い負の面でありまして、これが克服されない限り、人類はあくなき戦争によって。やがて滅亡しなければなりません。
 人類も、いずれは、必ず滅亡する運命を免れ得ませんから、仕方が無いと諦めても良いのですが、折角、仏教と言う教えがあるのですから、何とか、話し合って滅亡を先に延ばして、生き残る方法を考えてもいいのではないかと思います。
 では何故、一神教同士は争わねばならないのでしょ云うか。それは『真理は唯一つである』と言う、原則論に固執するからであります。  所が、真理は見る者の見方によって、様々な姿を取るのであります。例えば、神は、原則として唯一でありましても、それを見る者は、夫々異なった見方をするのです。其の為に、ヤーウエーの神も、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で見方が異なるのです。各々自分の見方が本物だと言って、他者の見方を否定しようとします。そうなればこれは争いになるより外に道はないのです。寛容の精神で相手の言い分を許すと言うのですが、人間の寛容の精神なんか、頼りないもので、すぐ堪忍袋が破裂して終うのです。
 『真理は、唯一つである』と言う信念は、人間にはとても厄介な信念です。それは真理が、人間の判断によって判定されて居るからです。真理は元来、人間の判断では判定できないものなのです。
 真理は、人間の判断を待たずに、既に真理なのです。人間の判断には、常に、迷妄を孕んで居るのです。その事に気づかねばなりません。それを怠ると、人間の判断を絶対のものと思い込んで、それに固執するのです。
 それを、自我の固執と言います。本来無我であるべきものに、『我在り』として固執するのです。仏法の無我の教えに照らされて、照らされて、照らし切られて、如何に『我あり』と言う固執の深い自己であるかを知らされて、如来の前に、『出離の縁ある事なき我が身である』と、頭を下げる事に依らねば、『真理は、唯一つなり』と言う信念の固執から離れることは出来ません。
 一神教の弊害は、『我の固執』による、迷妄性から生まれるのです。『我の固執』の弊害に目覚めない限り、世界から戦争を無くすることは出来ません。所が、無我の教えは、容易には納得されませんから、厄介なのです。
 仏法の『無我の教え』が、世界の心ある人々に理解されて、宗教同士の争いが少なくなることに力を尽くす事が、目下の急務でしょう。
 宗教同士の争いは、寛容の精神では解決できません。我々の『我の固執』が如何に強いものであるかを、教えによって知らされ、徹底した懺悔を通さなければならないのです。その道は、往生浄土門の『お念仏申す』道しか無いのではなかと思うのですが、如何なものでしょうか。 兎に角、『我の固執』が問題であります。しかし、『無我』の教えは、仏教にしかありませんから、仏教以外の方とは、お互いに寛容の精神を尊重することを話し合うより外に道はないのでありましょう。
 幸い、キリスト教でも寛容の精神は尊重されていますので、先ずその一点から話し合う事が大事であります。イスラム教でも殺し合いをすることは、困ったものであると云う事は、理解されているのですから、話し合いさえ出来れば、問題解決の糸口は生まれると思いますが、今は貧富の格差が憎しみを生み出している時代であります。 そこで先ず、貧富の格差の是正と言う問題を解決しなければなりますまい。世界が益々、富の偏りの方向に進んでいる現代は、何とか、これを解決する事を考えなければなりません。中々難しい問題であります。  
 イスラムの過激派の思想が目下の世界不安の原因ですが、その背景には貧富の格差があります、それに対して、トランプ氏の様に、同じ原理主義で対抗しようとすることは、火に油を注ぐ事になり、世界戦争に成る危険があります。こんなことは、アメリカ人も分かって居る筈ですので、恐らく、アメリカも落ち着いて来る事でしょうが、とにかく、危険な状態が迫っているのが今日の世界情勢であります。仏教の無我の思想が世界の人々に理解してもらえることを祈る次第です。 
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