釈迦弥陀は慈悲の父母 (5)

釈迦弥陀は慈悲の父母
            二尊教について (5)  
 宗教の観念化とは、人間の分別(所知障)に依って、宗教とはこういうもの
と決めてかかることです。人間の知識によって宗教を解釈するのです。
 私は『水琴窟 14と15』で、渡辺照宏氏の『日本の仏教』に対する、二
葉憲香氏の比判文を紹介していますが、渡辺氏の佛教理解は、まさしく、人間
の知識に依る宗教理解で、宗教の観念化の最も顕著なものであります。
 宗教はこの様にして歪められ、誤解されてゆくのです。現代では、宗教の
『偶像崇拝化』と『観念化』とによる歪曲と誤解が最も盛んな時代であると言
えましょう。それ故に『健全な宗教』の復活が何よりも急がれているのです。
 浄土真宗の『二尊教』の教えが、現代と言う時代に果たすべき役割を、声高
く叫ばねばならない所以であります。             
 今こそ、我々は、『無因論』と『他因論』とを超え、『宗教の観念化』と
『偶像崇拝』を超克して、宗教の正しい理解を通して、信仰生活を護らねばな
りません。
 宗教には。今述べたように様々な誤解や偏見が付きまといます。だからと言
って宗教を毛嫌いして、無信仰を誇ることも現代人の大多数が犯す大きな間違
いであります。
 信仰は、現代人の誇る理性によって否定されるものではありません。正しい
宗教は、理性では律し出来ない深い叡智から生まれてくるものです。人間の理
性は、如何に発展しても、所詮、目に見えるものしか考えられないのです。
目に見えるものとは、私達の五感に依って捉えられるものと云う意味です。
五感に依って捉え、それを意識で判断するものは全て目に見えるものと言うこ
とが出来ます。
 所が、人生には意識で判断できない、即ち、理性では測れない現象がいっぱ
いあるのです。さしずめ、自分の命すら予測出来ないのです。一寸先が闇なの
です。全く知る由もなく、予測する事も出来ない世界を、手探りで歩いている
のですから、不安と疑心暗鬼の中に住んでいるのです。その為に色々の怪しい
疑似宗教がはびこるのも無理からぬ事です。
 人生を生きる為の、大事な羅針盤を、全く頼りにならない理性に頼るより外
ないのが現代人の弱みであります。
 そんな理性を金科玉条のものと考えて、理性で測れないものは、無い物と言
って無視して生きるのは、誠に愚かなことです。所が現代人は、そんな愚かな
ことを平気で犯しているのです。
 この現代人の欠陥を救うものが宗教なのですが、その宗教がいかがわしいも
のばかりでは全く救いがありません。
 我々は、先ず、正しい宗教とは如何なるものかを、検討しなければならない
のです。心ある人は、是非真剣に、この問題を究明して頂きたいのです。
 私は正しい宗教の指標として、『無因論』と『他因論』の超克と、『偶像崇
拝』の排除と『宗教の観念化』の克服と言う、四つのキーワードを掲げて論じ
て来ました。何れも大事なものですが、『無因論』は何物も信じないというの
ですから、勿論、宗教も信じないというわけで、これはもう論外でありますか
ら暫らく後に回して、浄土真宗が最も陥りやすい問題は『他因論』でありまし
ょう。それで、先ずこの問題に取り組むことにしたいと思います。
 先ず、浄土真宗に於ける『他因論』の超克とは、何ういう事かを考えること
とします。
 浄土真宗は、八代目蓮如上人に依って全国に拡まりますが、同時に弊害も生
まれました。それは、二尊教の精神が薄められ、一神教的な傾向に傾斜してい
ったことです。蓮如は弥陀一佛を立て、諸仏の意味を変えることによって、二
尊教の意義を後退させました。その後『お文』重視の真宗の布教は、次第に宗
祖の精神を見失い、他力本願は『他者依存の思想』と見られ、他力本願は駄目
だと言われるようになったのです。これは他力本願が誤解されてしまったので
すが、その要因には、多分に真宗自体に思想の変化があったことを認めないわ
けにはいきません。
 この真宗教学の弊害を見出して、警鐘を鳴らしたのは、明治時代に生まれた
哲学者、清沢満之でありました。更に、其の精神を受け継いで立ち上がった人
は多く居ましたが、その中で特に大事な働きをしたのが、曽我量深でありま
す。
 しかし、戦前は、曽我量深は異安心だと言われ、金子大栄と共に大谷大学を
追放されるということまでありました。結局、曽我・金子両氏が認められ活躍
することが許されるのは、戦後に成ってからであります。 
 今日と雖も、まだ古い風習は真宗に色濃く残って居まして、他力本願の誤解
が容易に解けないのです。
 徳川時代の布教の中心とされた『お文(御文章)』には、『夫れ、十悪五逆
の罪人も五障三従の女人も、空しく皆十方三世の諸仏の悲願に漏れて捨て果て
られたる我等如きの凡夫なり。然れば、ここに弥陀如来と申すは三世十方の諸
仏の本師・本仏なれば、久遠実成の古仏として、今の如きの諸仏に捨てられた
る末代不善の凡夫・五障三従の女人をば、弥陀に限りて「われひとり助けん」
と言う超世の大願を発して、われら一切衆生を平等に救わんと誓いたまいて無
上の誓願を発してすでに阿弥陀仏と成りましましけり』と言われています。
            (二帖目、第八通、29の21)
 この様な表現は、お文に何か所も見られるので、後の人が、次第に一神教的
に傾いて行ったのも無理もないことと思われます。蓮如上人の意図は必ずしも
そうでは無かったかも知れませんが、当時の社会の実情では、一神教でなけれ
ば生き残れないと言う社会的事情もあったのです。
 親鸞聖人は、諸仏の意味を第十七願の上に見られ、阿弥陀仏の特長として
『諸仏の発見』を挙げられます。これは二尊教の特色でありまして、阿弥陀仏
は、諸仏に優れて様々な優れた徳を備えて居ますが、決して諸仏の上に立って
諸仏を支配しようとはしないのです。
 これが、一神教との重大な相違点です。一神教は、唯一神教でありまして、
その神は、唯一絶対の権威を持っていて、他に神の存在を認めません、そうし
て、この世の中の全らゆる存在は、被造物であって、全て唯一神に帰属すると
主張するのです。
 この世の被造物は、其の唯一の神に、絶対服従すべきものとされています。
此処に、絶対服従の構造が確立して、戦争のときに最も好都合な人間関係が成
立するのです。
 『十方の諸仏に見捨てられた我等凡夫を、阿弥陀仏のみ、我助けんと誓い給
いて』とい言う表現は、蓮如当時の諸宗の仏と言う意味でありましょうが、親
鸞の考えた諸仏とは違っていたわけです。
 親鸞の諸仏は、釈迦弥陀諸仏と言う諸仏でありますから、二尊教の諸仏であ
ります。
 二尊教の場合は、諸仏と弥陀の関係は、弥陀によって見出された諸仏であり
ます。弥陀は一切の存在を諸仏と認めて尊敬するのです。決して、絶対服従を
要求する思想ではありません。
 二尊教に於ける阿弥陀仏は、一切の存在に、弥陀と同等の悟りを得ることを
認めるのです。即ち、一切の存在を、弥陀と同じ仏にしなければ『我も仏にな
らじ』と誓っている訳です。
 その為に、戦争のような時代には、絶対服従を要求する思想がもてはやされ
るのです。日本も、戦時中は、専ら、絶対服従がもてはやされて、浄土真宗な
どは、戦争に役に立たない軟弱な思想と蔑まれていました。この風潮は、今も
後を絶つていません。
 しかし、戦乱と言う過酷な時代の荒波を潜り抜けて、度々の危機を経ても、
浄土真宗が今日まで立派に受け伝えられたと言う事実に、我等は深甚の敬意を
表すべきであります。
 是は偏に、親鸞に『教行信証』と言う著作が有った為であります。この親鸞
の労作が存在しなかったなら、今日浄土真宗は存在し得なかったと考えられま
す。改めて、聖人の御恩徳の深さを深謝申し上げる 次第であります。
 以上、長々と述べて来ましたように、度々の危機に逢いながらも、浄土真宗
の二尊教の信仰は、他因論に堕せず、無因論にもならず護られて来ました。世
界の殆どの宗教が、恩寵の信仰(他因論)か、奇跡信仰(無因論)に落ちてい
る今日、無因論は勿論ですが、他因論にも堕ちることを拒否して、正しい信仰
を堅持してきた浄土真宗は、貴重な存在であります。是非これを末永く受け継
いで行きたいものです。
 浄土真宗の他力の信仰は、決して他因論(恩寵の信仰)ではありません。親
鸞は『他力と言うは如来の本願力なり』(12の40)と言いました。続いて
曇鸞の浄土論注を引用して、長々と他力論を展開しています。又、曇鸞の論注
『因無くして、他の因の有るには非ざるなり』(12の66)(12の76)
(12の122)(12の127)と、同じ文章を、四度まで引用して注意を
呼び掛けています。 我々は此の親鸞の深意を熟読拝受すべきであります。

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