場所 住所:三隅町井野下小原
境内は約110年前までは今明(いまあけ)川を挟んだ向かい側の山にあった。
また戦前戦後7年間、三隅井野鉱山(※1)が操業された地域である。
宗旨 浄土真宗 [宗祖:親鸞聖人(1173~1263)]
浄土真宗とは・・・「南無阿弥陀仏」を真実(浄土)からの呼びかけとして聞き開き、真実(浄土)を立脚地として、現実人生を生き抜いていく仏道。
宗派名 真宗大谷派(お東) 本山:京都・東本願寺
歴史
建立は1600年頃。
開基は諸説あり。「元々〈四国の殿様〉が戦いに負けて石見に逃げてきて寺を建てた」という説。「山城国(京都府)生まれで、石見の地に真宗を弘めた〈尾山道智〉が開基」という説。「四国の落ち武者である〈釈氏道智法師〉が開基」という説がある。
昔は栄えた寺であったと伝えられているが、明治の終わり頃12代目の住職を最後に無住となり、寺は荒れ果てていたという。その後、第13代(釋法憧(しゃくほうどう))が入寺し、古くなっていた本堂を現在地に再建した。すでに鐘楼などは多寺にわたっていたが、内陣正面欄間は残っていたため現在の本堂に使われ、かつての徳泉寺の面影を残している。
境内の石碑 「おちてゆく 無間の底も 里の春 釋法憧」
※1 三隅井野鉱山
井野鉱山は太平洋戦争前後の昭和18年7月から昭和25年1月までの約7年間操業された鉱山。現在の三隅町井野徳泉寺集落に従業員やその家族が暮らす「小原町」と呼ばれた鉱山町、その東側丘陵に採掘場があった。
昭和20年には、鋼鉄輸送力を増強するため、三保三隅駅と井野鉱山を結ぶ全長約6キロに及ぶ空中索道が敷設された。また、三保三隅駅には鉱石運搬専用の側線がつくられ、日本製鉄八幡製鉄所へ運搬された。
最盛期の昭和21年には、国内生産量の約13%を生産したとされ、当時家族をあわせて約2千人が暮らしていた。(神 英雄2012「太平洋戦争下の小規模鉄山に関する歴史地理学的考察-島根県浜田市三隅町の鐘紡井野鉱山の場合-」より)